474人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ
12
というわけであの世から舞い戻ったレオだった。それがどうしてこんな山間にいるかというと、レオの太客であるあの老紳士が関係している。
事件後、しばらく休業していた店に彼はあらためてやってきた。
「例の件、考えていただけましたか?」
例の件? と足元をうろうろする先輩たちの見守る中、彼は提案したそうだ。
「何度かお電話もしていましたが、都心から二時間ほどのところに山にも海にも近いいい物件がありましてね。そこをオーベルジュにしたいと思っているんです。あなたをそこのシェフにお迎えしたい」
マスターは知らなかったが、資産家である老人はマスターが以前いた店のファンだったそうだ。それがある日を境に味が変わった。どうも内部でごたごたがあって、シェフが交代したらしい。
ならばそのシェフは、どこへ行ったのか。
「失礼ながら経歴も多少お調べしました。また海外へ渡ったとなると少々探すのに骨が折れるなと思っていたんですが、日本にいらっしゃって、しかも保護猫カフェをやってらっしゃるという。こういうお店は若い娘さんたちのためのものだと思っていたので、訪ねてくるのはある意味海外よりも勇気のいることでしたが……やはりあなたの料理は素晴らしい」
しかもイタリアンもフレンチも現地で修業した身だ。このご時世、中には料理がおざなりな名ばかりのオーベルジュも増える中、勝機は絶対にある、と老人は語った。
勝機、と言われたとき、マスターの体が強張ったのが先輩猫たちにはわかった。きっともう、料理と他者との競争を結び付けられたくないのだろう。
「申し訳ありませんが、お断りします」の「も」まで確実に出てたな、あれは――のちに先輩が語ったタイミングで、老人は言った。
「猫さんたちのためにも、安定してお客様の来てくれる店にしなければいけませんからね」
「……ねこ?」
「はい。美味しいお料理と猫さんがお出迎えしてくれて、夜には添い寝もしてくれる宿です。――最高じゃありませんか?」
そんなの最高に決まってんだろ! と先輩たちはにゃあにゃあマスターに詰め寄ったという。
それが伝わったのかどうかわからないが、ともかくレオの容体が落ち着くのを待ち、諸々の準備期間を経て〈オーベルジュ・トゥインクル・トゥインクル・リトル〉は本日オープン初日だ。
セールスポイントは「季節の食材合わせた各国本格料理と、可愛い猫さんによるおもてなし」。広告や取材のとき冠にするこの文言はオーナーである老人が考えたのだが「猫さん、てとこに猫への敬意を感じる」とオープン前から評判は上々だった。
大引っ越しを機に「もう頻繁に会えないんだなあと思ったら、一緒に暮らすしかないと思って……!」と何匹かのメンバーが引き取られていったのも、結果的には良かった。
オーベルジュになっても保護猫活動は続ける予定だ。むしろ家のようにリラックスした環境で一晩一緒に過ごすことでより相性のいい猫さんが見つけられるのではないか、ともオーナーは語った。
ちなみに「私は元々そんなに猫好きではなかったんですが」とも言っていた。
俺の接客が少しでも貢献してるなら嬉しいな、とレオは思う。
とにもかくにも、またマスターと一緒に暮らせてよかった!
もう蝉には飽きてしまって、レオはのびーっとする。
周りは広くて、どこでも出入り自由だから、他のメンバーものびのびとしている。このままのノリで好きなときにお客様の部屋に行ったり行かなかったりしてくれればいいとオーナーからは言われていた。天国みたいな話だ。
「よっと」
マスターが膝で押すようにして抱えた食材のバランスを取る。まだ始まったばかりだから、他に人を雇ってはいない。当面は以前のようになんでもかんでもマスター一人で切り盛りすることになるだろう。
ああっ、猫の手貸してあげたいなあ。
レオが簡易的猫又、人型になれたのは、結局あの日一晩だけ。青年曰く、あとは「年季を積んで愛し愛されたら」なのだそうだ。
その日を目指して、今はせめてマスターの行くところどこでもついていく。荷物を運ぶマスターの足に愛情込めてするりと身を寄せる。
「こら、危ないだろ。邪魔するな」
――相変わらず、通じてない気はするけれども。
どこへでもと言ってももちろん厨房には入れてもらえない。だからその手前の食材置き場の前でレオはきちんと足を止めた。
ちょっとした作業用に置いてある机の上に飛び乗って(ここは乗ってもいいことになっている)、マスターの作業を見守る。食材を棚にしまっているだけでも、厨房服にタブリエをびしっときめたマスターはかっこいい。
ここへ来てからのびのびしているのは猫たちだけではなかった。マスターの目の下のクマもいつの間にか消え、肌や髪にも色艶が戻っている。
ただでさえかっこよかったのに、なんだかマスターを覆っていた薄皮のような影ががつるんと綺麗に向けてリニューアル、パワーアップマスターなのだ。お客様が差し入れにくれたときだけもらえる細長いパックの高級おやつ、中でも最高級まぐろほたてミックスなみの抗いがたさ。
「マスターかっこいい! 好き! ちゅーして!」
通じないのはわかっているけれど、レオはにゃあにゃあ鳴いてみる。なにしろいつか人型になるには、愛し愛されないといけないらしいのだから、一日一じゃれに加えて、これからは一日一「好き!」も絶対に欠かさないつもりだ。
マスターは下の棚に食材をしまうためしゃがみ込む。
「やだよ。おまえさっき蝉くわえてただろ」
「そこをなんとか!」
食い下がったちょうどそのとき、リンゴーンと来客を告げるベルが鳴る。マスターは立ち上がると、タブリエの紐をきゅっと占めた。心なしかほんの少し緊張したような面持ちだが、それもまたレオの目にはかっこよく映る。
「さあ最初のお客様だ。レオ、行け!」
「がってーん!」
大事なお客様を任せてもらえるのが嬉しくて、レオは作業台から飛び降りる。とててっと駆け出しながら、あれ、と思った。
――ん? さっき、なんか。
なにかがひっかかったような気がする。なんだか会話が成り立ったような、気が。
するのだが、勢いで次の一歩が出るころには忘れてしまった。なにしろ猫なので。
開け放したままにしてある玄関に向かうと、きゃあっという声にこちらが出迎えられた。
「かーわーいー!」
「えへへ。お腹、吸います?」
ころんと寝転んでへそ天すると、またまた「きゃあっ!」と声が上がる。ほとんど悲鳴だ。これ以上ないくらい顔じゅうくしゃくしゃにして喜んでくれるお客様の顔を見ると、レオも嬉しくなって、ころんころんとさらに床を転げ回った。
食材の片づけを終えてあとから出てきたマスターの、いい声が響く。
「いらっしゃいませ。オーヴェルジュ・トゥインクル・トゥインクル・リトルへようこそ――」
ああかっこいい。
思わず飛びつくと、マスターは「やっぱりおまえに任せたら間違いないな」と嬉しいことを言って、やさしく頭を撫でてくれた。
〈了〉
20190803
最初のコメントを投稿しよう!