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3
翌朝は雑魚寝部屋で目覚めた。
寝ている間にマスターが運んでくれたのだろう。そのうえ幸せすぎて寝過ごしたから、今日はお参りにもついていけなかった。大失態だ。
いやでも「一日一じゃれ」としては大成功だった。次は絶対眠らないようにして、あわよくばマスターの寝床に……!
夢と鼻の穴がもりもりと広がるレオである。
――ところで、マスター遅いな?
いつもならもうお参りから戻る時間だ。ましてや今日はレオがついていないのだから、商店街の途中でひっかかることもないはずだった。
なにかあったのかな。
もしかして、事故?
ねこねこ♡商店街からこの辺りは入り組んだ路地で、車は入れない。だが何事にも絶対などということはない――元々妄想癖気味のレオだ。考え始めるとよからぬ妄想が止まらなくなった。
「俺、ちょっとマスター探してくる!」
いてもたってもいられずドアに飛びつく。その背に、もそもそと起きだしてきたメンバーがまだ眠そうに目をこすりこすり言った。
「マスターなら上だよ。ルナも一緒」
「ルナさんと?」
「ああ、なんか随分長いこと部屋に入ったままだな」
無事でよかったという気持ちは、その一言で霧散してしまった。入れ替わりにやってきた別の感情がもくもくと集まって、雨雲のように重暗く胸をふさぐ。
「ルナさんとふたりっきりでそんなに話ってなに!?」
「俺が知るかよ。それに――」
メンバーの言葉も耳に入らない。
マスターはつれない人だ。それは嫌というほど知っている。けれどそれはなにもレオに対してだけでなく、メンバー全員にそうだったから、今まで気にしないでいられたのだ。マスターはメンバーの誰かひとりを特別扱いなんかしない。
それなのに――
しかもルナだ。自分とは正反対のクールビューティ。マスターの好みはああいうタイプだったんだろうか。今思えば、営業スタイルを責めなかったのもルナのことを特別気にかけていたからなのか。そういえばいつも真っ黒な装いも、ふたりでお揃いと言えなくもない。
『これならいつもお互いを感じられるだろ、ルナ』
『……ふん』
みたいな展開? みたいな展開―!?
こういうときは妄想癖があだとなる。
「マスタぁ……」
バックヤードに続くドアが開いたのは、自分でもかつて聞いたことのない、ふにゃんと情けない声が出たときだった。
「マスター!」
叫んで駆け寄る。マスターのすぐ後ろには相変わらず仏頂面のルナ。けれどレオは敏感に感じ取ってしまった。ルナが一瞬みんなを見たあと、どこか気まずそうに目を逸らしたのを。
ル、ルナさんが、照れ……っ!?
ごーんと、お寺の鐘で殴られたような衝撃だった。これは、やっぱり、妄想通りの――
「みんなにちょっと話がある」
マスターが妙に改まった様子でメンバーを集めるに至って、絶望は確信に変わった。
きっとそうだ。ルナさんはマスターの特別になって、店にはもう出ないって、そういう――
耳をふさぎたいのにふさげない。こういうときいうことを聞かない体に哀しみが増す。嫌だ。聞きたくない――かろうじていうことを聞いてくれるまぶたをぎゅっときつく閉ざした。
マスターの声が、まだ客のいないホールに響く。
「ルナが店を卒業することになった。今後はこちらのお嬢さんと一緒に暮らす」
――はい?
ぎゅぎゅっと閉じていたまぶたを、おそるおそるほどいた。さっきは気がつかなかったが、ドアの奥にはさらに人影があって、マスターに促されると前に出てくる。
今日も地味なワンピースに身を包んだ、ルナの常連客だ。
ぺこっと頭を下げると、またすぐ奥に引っ込んでしまう。
つん、とつつかれて隣を見ると、さっきマスターは上だと教えてくれたメンバーだった。苦笑したまま顎をしゃくる。 マスターとルナだけでなく、彼女もずっと一緒にいて、今後のことを話し合っていたのだろう。
「な、なんだあ……」
へなへなっと力が抜けていく。
「そういうわけで、急だがルナは最後の出勤だ。常連さんに連絡したから、今日は忙しくなるぞ」
言ったそばから店のドアが開いて、今日一番の客がやってきた。
「こんばんわー。ルナくんの顔見に来ましたー!」
自分の贔屓の卒業だ。中には面白く思わない人もいるのではないかと思ったが、そんなことは杞憂だったようだ。これもマスターがトゥインクル・トゥインクル・リトルを大事に育てて来たおかげだろう。
その後も続々と客が訪れて、店内はすぐにいっぱいになった。
ルナの彼女も珍しくワインをオーダーした。ルナは相変わらず仏頂面で彼女の横にただ陣取っていたが、ときどき「おい、あんた弱いんだから、あんまり調子に乗るなよ」と窘めるのが聞こえる。
――今までも、別につまんなさそうってわけじゃなかったのかな、あれは。
ことによるとあの仏頂面で威嚇して、他の奴が寄り付かないようにしていたのかも。
なんでもひとつの方向から見るだけじゃ、わからないこともある。レオはよく知りもせずなんとなくルナを敬遠していたことを、今更ながらちょっと反省した。
閉店後、メンバー全員で最後の夕食を摂った。メニューはルナの好物のマスター特製チキンだ。
床に車座に座ってみんなでチキンを食べる間、ルナは特別喜びを口にするわけでも、感謝の言葉を述べるわけでもなかった。でも誰も席を外さず、もりもりと食べ、他愛のないことをずっと話した。
少し床を散らかしてしまったけど、マスターは叱らずにいてくれた。
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