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「ねー、レオきゅん聞いてよー! 今度の部長ったらさー!」  今日口開け一番のお客様は常連のOLさんだ。彼女の話はだいたいこうやって始まる。特に今は春の異動があったばかりで、いろいろとストレスが溜まっているらしかった。 「中身のない会議連発してそのうえ終わりに絶対飲み会くっつけようとするのマジうざいんだけど! こちとらすでに数時間おまえの顔見てるんですけど?? その上就業時間外までって、手当てもつかないのに? 今時〈飲みニケーション〉とかよく真顔で言えますね、みたいな。会社の金で飲みたいの見え見えでマジ引くわ~。そもそも何? 『やっぱり飲まないと腹割って話せないよね』って。じゃあ会議酒飲みながらやれよ! 飲まなきゃ言いたいことも言えないって立派なアル中なんですけど~!? だいたい話ってバブルの頃の俺スゲー話と君の為を装った説教しかバリエーションねーだろくそ老害が~!!!!!」  まくしたてながら「四種のチーズニョッキ」に胡椒をふり、蜂蜜を回しかける。あ、と止める間もなくフォークを突き立ててびよーんと伸びるチーズをくるくるからめとると、口に運んだ。 「あつっ、あっつ……!!」 「お水、お水飲んで……!」  マスター特製のニョッキは小さなスキレットのまま提供されるから、熱々なのだ。熱いものが苦手なレオは見ているだけで一緒に口の中をやけどしたような気分になる。OLさんは水を飲み干すと、ぐいっと乱暴に口元を拭った。 「くそ……部長め……!」  いやさすがに今のは部長さん関係ないのでは。 とはもちろん言わない。レオの仕事の役割は、お客様の話を黙って聞くことだ。そして出来れば笑顔で帰っていただきたい。そもそもこうやってブチぎれながらも毎朝決まった時間に起き、決まった時間の電車に乗り、きちんと仕事に向かうというだけでもレオには尊敬ものだ。 「可愛いお顔が台無しだよ。――大丈夫? お腹吸う?」 「やだもー、レオきゅんたら~!」  それしか芸がないのか、という感じではあるが、レオの指名客はこれでだいたい笑顔になってくれる。だからいいのだ。おばかで、なーんにも考えていない、可愛いレオきゅん。売れるものがひとつでもあって良かった。  そんな思惑をあざ笑うように「……フン」と誰かが鼻を鳴らすのが聞こえた。  振り返ると、全身黒できめたメンバーが目に入る。レオよりもずっと前から店にいる、ルナだ。  ルナはクールビューティを売りにしていて、レオのような営業はけしてしない。正直新規の客は少なかった。そんなルナにもマスターは「それぞれ性格があるからな」と無理な営業を強いることはない。  だから繁盛しないのではー。  とも思うが、同時に「マスター、やさしい……」とも思って、だいたい後者の気持ちが勝つ、マスターガチ勢のレオだった。  新規がいない代わりにルナには根強いファンがいる。今日もそんな一人が来店していた。地味なワンピース姿で一番安いメニューを頼む彼女のテーブルについて、ルナは仏頂面 を隠そうともしない。  あ、ああ……こっちがはらはらするぅ。ルナさーん。  とはいえどうすることもできない。生意気にしゃしゃり出ていったりなどしても、噛みつかれて終わりだ。 そうこうしているうちに店のドアが開き、新たな客の来店を告げた。 「ごめん、俺ちょっと行ってくるね。ゆっくり、よく冷まして食べてね」  OLさんの腕にさりげなく体を押し付けてサービスしてから、テーブルを移る。やってきたのは、最近ちょくちょく通ってくれるようになった初老の男性だ。トゥインクル・トゥインクル・リトルは、マスターの方針でどんな客の入店も拒まない。 「いらっしゃいませ」  レオが席に着くと、男性は早速相好を崩した。 「こんばんは、レオくん。お元気にしてましたか」 「はい。おかげさまで」 自分みたいなこわっぱにまで丁寧に接してくれるこのお客様が、レオは好きだった。  もちろんマスターの次にだけど。  年齢でいったらおそらく八百屋のおじさんのちょっと上くらいになるのだろう。いつも違うスーツを自然に着こなしてやってくる、紳士だ。季節やその日の気温、そしてもちろん色にもさりげなく心配りがされているのを感じる。今日は明るいベージュの軽くて着心地の良さそうなスーツに、ネクタイが薄いピンク。きっと春を意識しているのだと思う。素材もおそらく高級品だ。だから実はちょっと緊張もする。汚しちゃいけないと。  そのとき、離れた席から「きゃはは」と黄色い笑い声が聞こえてきた。  他のメンバーが常連さんにぺったり身を寄せて、盛り上がっているようだ。 「俺このスカート好きなんだよね、ふんわりひらひらしてて」 「そう思ったからまた着てきたんだよー」 「マジで? 俺のため? サンキュー!」  先輩は女性の頬に鼻先をこすりつける。また黄色い声があがる。そういうやり方も、マスターは禁じていない。 そちらを遠目に見る男性の目には、迷惑がるというよりは憧憬のようなものがあった。 「レオくんにはこんなおじいちゃんの相手をさせて申し訳ないね」 「全然! いつもお料理いっぱい頼んでくれるから、売り上げ的にオッケーです!」  元気いっぱいに応じると、男性はいっそう破顔して、運ばれてきた料理に手をつけた。レオはそれをただ見守る。お客様の頼んだものに手をつけないというのもこの店の方針で、レオはそれにまったく不満がなかった。 「これはまたわくわくするストウッツィキーノですねえ」  海老の香草ローストを串に刺したものを、嬉しそうに、かつ上品にお客様は口に運ぶ。ストウッツィキーノ、とはイタリアンの「お通し」のことなのだと前回の来店のときにおじさまは教えてくれた。日本の店では省略されることが多い。  知らないことを教えてくれるお客様がレオは好きだ。それがマスターの好きな料理にかかわることならなおさら。  どうやらこのお客様は相当な食通らしい。店に通う本当の理由も俺たちじゃなく料理なのかな、と思う。それはそれで大変喜ばしいことだった。  ――マスターの作ったもの食べるときみんな幸せそうな顔するの、見てるだけで俺も楽しいし嬉しい。好きな人が、みんなに褒められているのが。 たぶんこの気持ちが、俺にとっての大切な〈トゥインクル・トゥインクル・リトル〉。  ところでレオは神頼みだけにかまけているわけではない。  マスターの特別になるため日々のお参りにくっついて行くのはもちろん「一日一じゃれ」を己に課している。積極的にボディタッチして親密度を上げようという、なんの捻りもない、単純かつ明快な作戦だ。  そんなわけなので閉店してメンバーが部屋に引き上げたあと、ひとりパソコンに向かっているマスターの元を訪ねる。  エクセルの売り上げ計算表に向かうマスターの横顔は真剣そのもので、いつにも増してかっこいい。たとえその渋みが渋い売り上げ由来だったとしてもだ。  とはいえいつもずーっとそんな顔では、いいかげん眉間に皺の刻み癖がついてしまう。レオは努めて「むずかしいことはなーんにも考えてません!」という声を作った。 「マースタ!」  腕と机の隙間から潜り込んで、ずぼっと顔を出す。 「……またおまえか、レオ」 「また俺でしたー」 「遊んでるわけじゃないんだぞ」 「俺だって遊びじゃないです!」  なんてったってこれは作戦なのだ。マスターの〈きらきら光る小さな特別〉になるための。  頑として動かずにいると、マスターは諦めたようにため息をつく。それからカチ、カチとマウスをクリックする作業に戻った。こちらをちらりとも見ようとしない。どうやらマスターはマスターで〈完全に無視する作戦〉に出たようだ。  つれない。  まあでも、真剣に仕事するかっこいい顔見てられるだけでも俺は幸せなんだけど。  本音半分、強がり半分で考えながらマスターの腕にぐりぐりと頭を擦りける。と、その腕をつい、と避けられた。  つ、つれない……!(数秒ぶり二度目)  さすがによよよ……と泣き崩れそうになったときだった。  ぽん、とマスターのてのひらが、やさしく頭に触れたのは。  ぽん、ぽん……小気味よいリズムで、くり返し頭を叩いてくる。視線はパソコン画面に向かったまま、ちらりともこっちを見てくれないままだったけれど。  あったかい寝床に入ったときみたいな、じんわりした幸せが胸の中からあふれ出してくる。   ぽん、ぽん、というリズムに誘われて、いつしか眠くなってきた。 眠ったらもったいないのに。この時間をもっと満喫したいのにと思うのに、まぶたはどんどん重くなる。  こっちをちらりと見もしないマスターの、眉間が柔らかくほどけていることだけどうにか見届けて、レオはすうっと眠りに落ちた。
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