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 けんせい、ってやつですか、あれは。  あらためて考えるまでもなく、そうなんだろうな。そもそもマスターのポリシーはわかってる。 「誰かひとりを特別扱いしたりはしない」  わかってるけど、あんな、出ていく前提で話しなくったってさ――むしろ出てけみたいなさ…… 「元気ないのね。調子悪いの?」  訊ねられて我に返った。爪を切ってもらった翌日、今は営業時間だ。 俺のばか。お客様に心配させてどうする。 こんなことじゃ、特別はおろか、従業員としてもちゃんとできていない。ぷるぷると頭を振る。幸いにお客様は「可愛いのね」と喜んで、追加のオーダーを入れてくれた。  そうだ。俺はまず、従業員としてちゃんとしなきゃ。マスターのいいつけをちゃんと守って。 「よっと」  トイレの窓から体を引っ張り出す。幸いにも下は土で、とす、という着地音をほとんど吸い取ってくれた。 昨夜のことで鬱々としていたものだから、今日も昼のマスターのお参りについていけなかった。  ルナさんが卒業した日も行けなかったのに、これで二日さぼったことになっちゃう。  祀られてるのはおばあさんなんだから、毎日ちゃんとお願いしないと、俺、忘れられちゃうかも。おせんべい屋さんのおばあちゃんが会う度俺のこと全然違う名前で呼ぶみたいに。  そう考えると雑魚寝部屋でいてもたってもいられなくなり、そっと抜け出してきたのだった。他のメンバーより小さな体がいつもはコンプレックスだったりするのだが、今日ばかりは身軽で良かった。  普段が活気にあふれているだけあって、常夜灯代わりの街頭がぽつぽつと灯る商店街は、しんとして、まるで他人みたいな顔だ。ひっそりそこを抜け、猫稲荷へと向かう。  店先からひとつ失敬してきた木香薔薇の花をお賽銭箱の前にお供えして、両手を合わせようとしたときだった。 「いつも有難うございます」 「――(ひっ)」  叫び声を我慢できたのは、無駄に大きな声を出さないようにと店で躾けられた賜物だが、半分は驚きすぎて出せなかった、が正しい。  振り返ると、いつも掃除をしているあの青年だった。今日も同じ袴姿だ。 「お、おじゃましています……?」  さすがに言葉の選択がなんか違う、とは思ったが、ほかになんと言ったらいいのかもわからない。 「最近はなにかと物騒ですので。気配がしたので出てまいりました」  青年はさらりと言うが、レオは思い出していた。こんなのんびりとした神社でも、たまに若者が入り込んでよからぬことを働くのだと商店街の皆さんが愚痴っていたのを。 「あ、俺は、そういうんじゃなくて……!」  慌てて弁解しようとすると、青年は笑みを漏らした。ふっと。  うわ――  トゥインクル・トゥインクル・リトルの従業員には美形が多い。レオにとってはマスターが一番だが、それはさておき、彼らとはまた別の、以前お客様が見せてくれた白いオパールみたいな輝きを青年に感じた。きらめきはほんの一瞬のことだったのに、掴みどころのない不思議な輝きゆえに、いつまでも見ていたくなるような。 「もちろん、あなたがお賽銭泥棒とは思っていませんよ。今日は昼間いつもの方とお見えになりませんでしたよね」  ほぼ毎日来るのだから、知られているのも当然か。人から言われると、なんだかよりしょんぼりした気持ちがこみ上げた。 「はい。ちょっと、あって……」  なにかあったと言ったって、冷静に考えたら牽制をされたというだけのことだ。またいつもの〈なんにも考えていないレオきゅん〉になって、図々しくついてくることは出来た。  ――でもうまくできなかった。  いつもの、ただじゃれて、それを窘められて――そんな距離感に戻れたら、戻れてしまったら、それはそれで哀しい。  俺、もうそれだけじゃ嫌なんだ。  ただ一緒にいて、あの店で働いて、拾ってもらった恩を返す。それが一番なんだとわかっていても、それだけじゃ足りない。もっとマスターの特別になりたい。  いつの間にかどうにもできないほど大きく育ってしまった感情に、自分でも戸惑う。  だからといって開き直ってしつこくつきまとって、はっきりと「ない」と言われてしまうのも怖かった。  目の前に人がいるのに、思いは自分の内へ内へと沈んで、ただでさえ静かな境内はいっそう青い夜の静寂で満ちた。誰もいない深い水底に閉じ込められているような気分だ。  そこからレオを引っ張り上げたのは、青年の言葉だった。 「いつも一緒に来るあの方のことが、あなたはよっぽどお好きなんですね」 「ど、どうしてそれを!?」  レオの頓狂な声で静寂は乱暴に霧散してしまった。いけない、と思ったが青年はそれも咎めることはなく、ただ面白そうに微笑むのみだ。 「見てればまるわかりですけど」 「ひい~! 恥ずかしい~!」 「いつもあの方の恋人になりたいと、熱心にお参りされて」  うわあっと頭を抱えてしゃがみ込みそうになる。そんな様を眺める青年の目は、やっぱり穏やかだった。 「恋人になりたいですか」  青年があらためて問う。  不思議と「いやいや」とか「無理です」とか、適当な言葉でごまかす気になれなかった。 「はい」  はっきりと答えた瞬間、ぽつ、と胸の中に灯りがともった気がした。でもそれは同時に、レオを今まで以上に不安にもさせた。 「――でもほんとは無理だってわかってるんです」 「おや、どうして?」 「だ、だって、俺とマスターじゃ、住んでる世界が全然違うし……マスターにとっては、俺たちがみんないつかあの店を卒業していくのがいいことなんだし……俺不細工だし」  自分で口にしながら哀しくなってきてしまった。俺のトゥインクル・トゥインクル・リトルはマスターだけど、マスターにとってはそうじゃない。 「そうとも限らないと思いますけどねえ」  青年は呑気な調子で口にする。呑気といえばこんな真夜中に、たとえ知った同士だからといってのこのこ出てくるのもたいがい不用心だとは思う。 「あの、俺、もう帰ります。お兄さんも早く中に入ってください。お騒がせしてすみません」 「いえいえ。あ、ちょっと待ってください」  青年は襟元にほっそり美しい指を差し入れると、なにかを取り出した。 「これをどうぞ」  なんですか? と問う間もなくなにかを首から下げてくれる。白いお守り袋だ。よーく目を凝らすと、生地には星のような文様と猫が織り出されている。 「え? あの、これ」  くれる、ということだろうか。戸惑うレオと裏腹に、青年はやはり端然として微笑んでいる。 「いつも熱心にお参りしてくださるお礼です」 「でも俺、お賽銭だってろくにしたことないのに……」 「いつもお花を頂戴してますよ」 「こ、これは……」  それくらいしか俺にはできないからで。  今日は店先に咲いている花だったけれど、この間などはここで拾ったものだ。こんな立派なお守りには見合わない。けれど小さい中に意匠を凝らしたお守りは、微かな灯りのなかでも角度が変わると地紋が輝くように浮いて見え、美しかった。つい矯めつ眇めつして、何度もつついてしまう。  青年の笑みを含んだ声で送り出された。 「いいんです。持っていてください。少しだけ、いいことのお裾分けです」
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