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「――レ、オ」  珍しく戸惑いの色が濃く乗ったマスターの声で我に返る。体にはちゃんと感覚があった。でもいつも以上に思うように動かない。ばらばらになった感覚もまだ残っていて、すぐには起き上がれなかった。 「マスターごめん。俺、夜中に出かけたりするから疲れちゃったのかな? なんだか体がおかしんだ。このままここで寝てもいい……?」  駄目だ、と言われるのは覚悟していた。マスターは誰かひとりだけ特別扱いなんてしない。  けれど意外なことにマスターは「……そのほうがいいだろうな」とあっさり応じる。 「え?」  自分で申し出ていながら、声が出てしまった。 夢かな。 そうだ。さっきどこかに落ちていくように感じたのは眠りに落ちたからで、俺は夢を見ているに違いない。 マスターはなぜか憔悴した様子で額を抑えると、ブランケットを一枚掴んだ。 「……俺もだいぶ疲れてるみたいだから、もう寝る。下で」 「下で? 店のソファでってこと?」  それでは本末転倒だ。というか、夢の中でまでマスターが距離を取ろうとすることに、なんだか物悲しくなってしまう。 「ここで寝てよ、マスター」 「それは駄目だ――」  夢なんだから、大胆になってもいいと思った。ブランケットを掴むマスターの手を掴んだ。マスターの体が強張る。  嫌がられた――胸を突かれるようにして顔を上げた瞬間、マスターは目を逸らした。  違う。嫌がられたんじゃない。  マスター、俺のこと意識してる?  したよね、今。 『そうとも言えないと思いますけどねえ』  青年の声がよみがえる。本当に、望みはゼロじゃないんだろうか。  だったら夢みたい、と思ってレオは自分に少し笑った。 そもそも俺、今夢を見ているんだった。どこかに落ちるとき、妙に暑かったのは、熱でも出てしまったのかもしれない。 きっと熱のせいでおかしな夢を見てる。 どうせ夢なら――住んでる世界が違うなんて、諦めなくてもいいよね? 「マスター……」  掴んだ手を引き寄せる。爪を切ってもらったあの日のように、口に含んだ。 「……、」  マスターが息を呑む気配が、指先からも伝わる。けれど乱暴に振り払われたりはしなかった。 どうかこのまま、俺のこと嫌がらないで――祈りながらレオはさらに指を咥えこむと、舌を使った。 いつもメンバーに厳しく言いつけてある以上に綺麗に整えられている、爪のきわをなぞる。繊細な料理を生み出す指先は思いの他柔らかくて、爪の硬質な感触との差、それだけでも愛しいような、歯がゆいような、居ても立っても居られない気持ちにさせられる。 マスターは困ったように立ち尽くしているだけで、レオに触れてもいないのに、体はぶるりと震えた。 「ん……、っ……」  レオは夢中でマスターの指をしゃぶる。指の股の柔らかいところをちろちろとくすぐったとき、どこか苦し気に細められたマスターの目が、ひどくセクシーだと感じた。  もっと、  一本では足りなくて、噛みつくように二本目を口に含む。飲み下しきれない唾液がしたたり落ち、清潔なシーツをパタッと叩いた。 ごくりと喉がなったのは、自分なのか、マスターだったのか。 「ひゃ、」  と声を上げてしまったのは、それまでじっと身を任せてくれていたマスターの指が、口腔内を不意にこすったからだった。 「ひゃ、ん、ますた、んっ」  小さな歯の形を確かめるかのように触れられる。そんなところさえ感覚が宿るのだと初めて知った気がする。いつも距離を保とうとするマスターが、レオを、レオの体のことを知ろうとしている。  俺を見てる。  それがこんなに嬉しいなんて。  触れられてもいないつま先が、存在を主張するようにじんじんする。耳たぶも、背中も、腹の底さえもじんじん痛むほど熱い。  胸の小さな突起がぴくりと疼いて、レオは初めて自分のそこを意識した。 こんなの、俺についててもなんの意味もないと思ってたけど、違う。 マスターを感じるために必要だったんだ――  朝露を含んだ苔を踏みつけたときのように、体のあちこちからじゅわっと快感が沁みだしてくる。 まるでそれを見計らったようにマスターの指が上顎のざらりとしたところを撫でた。 「んん……ッ!」  体の中から、強い風が吹いてくる。  そう錯覚するくらい猛烈な痺れが、全身を駆け抜けていった。まるで見えない無数の手に愛撫されているみたいに。しかもそれ全部が、大好きなマスターのものなのだ。 「マスター……マスター……っ!」  いつもと勝手の違う躰が、たまらずに悶える。快感でにじんだ視界の向こうで、マスターもまた苦しそうに目を細めていた。レオの唾液でまみれた二本の指は巧みにレオの口の中をまさぐり、空いたほうの手は、存在を確かめるかのような手つきで髪や顎を撫でてくる。  耳たぶをそっと摘ままれぶるりと震えると、マスターはかすれた声で訊ねた。 「これは夢……なんだよな?」  悲しいことにそうだ。でもだからこそ、自分を抑え込まなくてもいい。 「……、……ッ!」  マスターの指に唾液でたっぷり濡れた舌をからめながら、必死でこくこくと頷く。  マスターは薄い唇をきゅっと引き結ぶと、指を引き抜いた。ずるり……という余韻が、泣きたくなるくらい淋しい。 「……レオ、」  けれどすぐにマスターの熱が覆いかぶさってきて――あとはもう、なにも考えられなくなった。
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