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学生食堂は混み合っていた。 圭多が長い列に並んでやっとトレイに手をかけた時、その手を掴み外へ連れ出したのは(とも)だ。内心ホッとしている。朋の白衣が颯爽と翻った。 「呑気に食べてないでよね」 向かったのは学食裏手にある実験棟。戦前から残る古いキャンパスには、味わいあるレンガ造りの建物が並ぶ。 人気(ひとけ)のない場所に誘われた圭多は、呟いた。 「そんな気分じゃないのにな」 「はあ?」 朋の咎める目に、密かに期待した50回目の記念(メモリアル)キスは早とちりだったと気がついた。今日はどこに行っても責められてばかり。 「そういえば覇気がないわね。どうかしたの?」 「昼メシ食べ損ねた」 「あとでおごるから」 「別にいいよ。それより朋はポケットの中のビスケットを叩くとどうなると思う?」 「決まってるじゃない」 「だろ? 割れる以外ない」 「何言ってるの。ビスケットは、増、え、る」 圭多は肩を落とした。 「そんなしょげないでよ。幼稚園で歌ってたなって思い出しただけ」 「だったら割れるよな? 割れると言ってくれ」 「難しいこと言うね。ああ、急で悪かったわ。でも他に相談できる人いなくて」 圭多が実験室に足を踏み入れるのは、今日が初めてだ。朋は日々ここでパラミシアという生物の観察をしているという。 「ついさっきミーシャを亡くして」 「実験用だろ? ハムスターみたいな?」 「平たく言えばゾウリムシなんだけど」 「なんだ」 「あ、何気に馬鹿にしたでしょ」 「全然。真面目におもしろいことやってんだなって感動」 「パラミシアってかわいいよ? みんな単細胞で変わり者で」 「お、俺に言ってないか?」 「ビスケットの歌じゃないけど、細胞分裂を繰り返してクローンを生み続けるの。そのくらいは」 「知ってる。分裂して増殖するんだろ。どら焼きが倍に倍に増えるエピソードと似てる」 「でもね。あれはやっぱり漫画の話。個々のパラミシアには寿命があるから地球上を埋め尽くすのは無理」 「だよな。叩いて増えるくらいなら食糧危機は解決しているはずだ」 「ただし変わり者には違いない、見て?」 朋に促され顕微鏡を覗く。そこには草履の形をした、お馴染みの半透明単細胞生物が小刻みに動いていた。 「ね? かわいいでしょ」 「まあな。人間は小さいもの、丸っこいものをカワイイと認識するようにプログラムされてるらしい」 「じゃあ圭多も私も人間ね。よかった」 「で、俺の昼メシ遮って、ゾウリムシの話?」 「心中察してよ。ミーシャは一番長生きしてたの。でもミーシャのおかげで新しい仮説が浮かんだ。笑わずに聞いてほしいけど」 「ゾウリムシだからって笑わないよ。笑われて相当なダメージ受けたばかりだ」 「ほら、こっちのパラ子は元気いっぱいでしょ? でもね。分裂は700回手前で限界。あとは老衰する」 「ふーん」 「もっとしんみり反応してよ。細胞が死滅するイコール、クローンも同時に死滅するということ。細胞分裂の回数は情報として分裂後の個体にも引き継がれるから」 「つまり増殖しても年は取り続けるのか。でもそれって余りにリスキーだろ。ゾウリムシのグレートマザーが老衰したら、全滅じゃないか。少子化問題どころの騒ぎじゃないよ」 「だからパラミシアは変わり者として進化したの。単細胞クローンを生むだけじゃなくてね。ある条件で『接合』する」 「接合?」 「有性生殖ね」 「ゾウリムシって交尾するのか?」 「文系じゃ習わなかったかな。細胞分裂の経験値が上がると、接合できるのよ。無数の中からパートナーを見つけるのって神秘的じゃない? しかも接合したら、分裂回数をリセットして若返るの。すごいよね。感動するよね」 「若返り細胞なら、メディアが飛びつくぞ」 「興味ないわ。パラミシアが接合したくなる条件が私のテーマなの」 「条件は分かった?」 「飢餓状態の時」 「俺も俺も。腹が減って死にそう」 「茶化さないで。身体はミクロでも死ぬ瞬間は壮絶なんだよ。圭多だって目の当たりにすればきっと胸を打つわ。ほらこっち。ついさっきの貴重なビデオ見せてあげる」 「へえ……あ。動かなくなった。と思ってたら、細胞膜っての? 膜が破けたんだな。破けたとこから丸い粒の配置が乱れて、うわ、ジュワジュワ漏れていく……なあ、何とか堰きとめられないの? っていうか、これ、生命体のアイデンティティが崩壊する過程か? リアリティあるなあ」 「確かに空腹はいけないわね。何か食べましょ。パラミシアは食べ物がなくなると、遺伝子残すのに必死になる」 「いいよ、食べてる時間ないし。今から学食行ってたら確実に午後のゼミに遅刻。って俺をゾウリムシみたいに言うなっ」 「そこにポットとカップ麺があるから。奢り」 「じゃあ朋の分もお湯いれるよ? なあ、朋。もしかしてすげえ研究じゃないの?」 「他に専門家がいるよ。私の展望はちょっと違うかな」 「あちっ」 「私たちの生活空間だって巨大な顕微鏡のプレパラートに置かれてると思えば」 「それを観察できる奴は、どれだけ巨人だよ」 「メタ思考ではないの。むしろ絶対的な観察者なんて存在し得ない」 「早く食べれば? のびるぞ。俺も急ぐし」 「もしこのパラミシアの生き様が、宇宙の進化を体現してるとしたら」 「ああうまかった、満腹」 「やっぱり馬鹿げた仮説かしら」 「俺は科学者に向いてないらしい」 「宇宙は増殖しているはずなのよね」 「お前はもっと栄養あるもの食べた方がいい」 圭多はスープの最後の一滴を飲み干した。 「いや、ちょっと待て」 「おかわりする気? もういいや、仮説はボツだな」 「ポケットのビスケットはまさか、分裂して増殖するのか?」 「圭多、分かってくれたの? 大好き! ビスケットだけじゃない。宇宙自体が増殖してるとしたら。ポケットも、そもそも観察主体が同数で増殖するんだから、どうやったって増殖の現象は見抜けないのよ」 「分裂したクローン宇宙が存在するって言うのか」 「仮説だけど」 「138億歳なら超宇宙過密時代だ」 「満員通勤電車並みにね」 「なら接合は? 宇宙も接合するのか?」 「ただで138億も生きられると思う? 接合は老化をリセットする手段として理にかなってる。恐らく不老長寿を欲する飢餓宇宙が、パートナーを今も探してる。 宇宙の接合。ねえ素敵でしょ? いつかこの目で観測したいなあ。宇宙は接合を繰り返して若返りして、新しく進化してると思うのよ。 そうだ、圭多にパラミシアの接合も見せてあげたいけど、時間ある? 午後もゼミだっけ? 」 「もう行くよ。出席さえしとけば教授の査定は緩いらしい」 「そんなんで選ぶと後々苦労するんだから」 「既に孤立してるけどね。卒業のためなら耐えられるさ」 □
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