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真夜中~レストラン開店中
真夏だと言うのに今夜も冷える。
それはここ最近の異常気象のせいでも何でもない。この場所のせいだ。
「何でこんな所にレストランなんか作るんだよ、馬鹿」
要は細く整った眉を吊り上げた。
その間も肉料理のソースを煮詰める手は止めない。
「だって仕方ないだろ」
子供っぽく口をへの字に曲げたイリヤが、無造作に後ろで結んだ
金髪を揺らして振り返る。そうしてみると大の男が、子犬のように
見えるから不思議だ。
銀のフライパンの上では、見るからに美しい赤をした柔らかそうな
牛フィレ肉が、パチパチと音を立てている。
「ここが一番、家から近かったし。丁度いい空き家もあったし」
「だからって、墓場のど真ん中にレストランを開く奴があるか!
誰が来るんだよ!」
暗い墓地の草間を揺らすひんやりとした風が、窓から流れ込んでくる。
夜とはいえ夏の厨房だ。本来なら熱いくらいのはずなのに、
空気はどこまでも冷たく、背筋がぞくぞくする。
「いるじゃないか、お客さん」
悪びれもせずに、
イリヤは甘いハンサムフェイスに飛び切りの笑みを浮かべた。
「やつらが客だって言えるのか?」
要は怒鳴りたいのを堪えて、溜息交じりにビニールカーテンの向こうの
客席を振り返った。
確かにいるにはいる。
二人掛けの席がけの席が二つ、四名がけの席が二つ。
さして広くはない店内だが、全ての席に客がいる。
ただし多分、人間ではない。
一見人間に見える客も、この現代の真夏の夜に振り袖姿だ。
おおかた狐狸の類だろう。
中にはあからさまに足の無い半透明の客だっている。
「うちの料理を食べてくれるんだから、間違いなくお客様さ。
ほら、お客様はみんな神様だと思って、ちゃんともてなさないと」
「ある意味、本当に神様みたいなもんだな」
「ソース、そのくらいでOKだよ」
味見することもなく言うイリヤに従い、要はソースパンをコンロから
下ろした。丁度、食欲のそそる匂いをたてて焼き上がった肉を、イリヤ
が骨のように白い皿に盛り付ける。
「まぁ、そうカッカしないでさ。ほらできたよ」
ささっと色鮮やかな温野菜を盛り付け、肉汁とフォン、それに
マデラ酒を煮詰めたソースで美しいラインを描く。
世にも食欲をそそるヴィアンドの一皿が完成した。
イリヤはもう、他の二組の客用の冷製トウモロコシのポタージュの
盛り付けにかかっている。塩気を聞かせたミルクのエスプーマが旬の
トウモロコシの優しい甘さにこれまたよく合うのだ。
要は生唾を飲み込みつつ、ヴィアントを半透明の女の客席に運んだ。
女が声も出さずに小さく頭を下げる。黒くて長い髪が動きにあわせて
小さく揺れた。
幽霊なのにどうやって食事をするのだろう。
ウエイターとしてはあるまじきことかもしれないが、密かに様子を見て
いると、どういう原理か、女の動きにあわせてフィレ肉のステーキは少し
ずつ消えていった。
「ほら、次のお客さんのサーブよろしく」
厨房から声が飛んでくる。
タダ働きだと思ってこき使いやがって。
要は端正な顔立ちをしかめつつ、あくまで優雅に、だが早足で厨房に
戻った。二人きりのレストラン経営というのは、考えていたよりずっと
大変である。
「くそ、それにしても本当に冷える。クーラーいらずだな」
長袖のカッターシャツの下で見事に泡立った二の腕を擦っていると、
「店主も客もひんやりだもんね」
イリヤが歯並びの綺麗な白い歯を見せて、のほほんと笑って見せた。
「その自虐やめろ。ぜんぜん笑えねぇから」
以前は金髪の色男にぴったりの健康的な小麦色だった肌が、今では蝋の
ように青白い。そのことが胸に刺さって、要はイリヤからふいと顔を背けた。
「大丈夫、俺達の仲が熱々なんだから、周りはひんやりで丁度いいだろ」
「寝言は寝て言え」
死んでいるというのに相変わらずの能天気な発言に、さきほどのしんみり
した気分など吹き飛んでしまい、悪態をつく。
「恋人だろ。なんか冷たくないか」
「元な!元」
生前にとっくに別れは告げている。なのに、こうして死んでからもバイト
代も出ない夜の墓場のレストランで自分を使っているのだ。よくよく考えて
みればなんて図々しい奴だろう。
そんな奴の為に心を痛めるなんて馬鹿馬鹿しい。手伝ってやっているだけ
でもありがたく思え。そう自分に言い聞かせて通夜のような空気を振り払う。
「えぇ、あれは一方的に君が」
イリヤが垂れ目ぎみの大きな二重の瞳を情けなく下げる。
「いい!その話はするな」
だらだらと泣き言を言い出しそうなイリヤを遮ると、
要はトウモロコシのポタージュを手に客席に戻った。
振袖の客たちは赤い紅を指したおちょぼ口でそれを啜っている。
仕事の合間の舞妓に見えなくもないが、生憎、この辺りに花街は無い。
やはり彼女たちは狸か狐だろう。
この前も、妙に目の細い男の客がいたと思ったら、案の定、狐だったらしく、代金は葉っぱと石ころに変わった。
無銭飲食だと叫んでやりたかったが、ゾンビの店主が納得しているので
あれば、ボランティア店員の自分に文句を言う余地はない。
「大体、お前、なんでゾンビなのに腐ってないんだよ」
別のテーブルから下げてきた、舐めたように綺麗なポワソンの皿を洗い
ながら呟く。やっぱりこの店内は寒すぎる。蛇口から溢れる温い水が熱い
くらいに思えた。
「エンバーミングのおかげかな。
うちの両親、金持ちだからそう言うところに糸目はつけないんだ」
「大切にされてたもんな」
おかげで、どこの馬の骨とも知らない恋人(しかも男)である自分を紹介
した日には、母親は卒倒しそうになっていたし、経営者の父親は「別れなけ
れば勘当だ」と、顔を真っ赤にして叫んでいた。
だからこそ、自分はイリヤと別れる事を選んだのだ。
その翌日に、イリヤは事故で死んだ。
大した怪我がなかったにもかかわらず頭を打って、打ち所が悪く眠るように
息を引き取った。もちろん要は葬式にすら顔を出せなかった。
それが何の因果か、こうして二人、墓場の横のあばら家でイリヤの夢
だったレストラン経営の真似事をしている。この状況をいったいどう受け
止めたらいいのだろう。
「というか、キリスト教信者で火葬はしないのに、なんで墓は寺なんだよ。
矛盾してるだろ」
おかげで深夜に寺の周りを散歩していたところを、
ゾンビとして墓から出てきたイリヤに呼び止められる羽目になったのだ。
要は遠い目で、窓の向こうに広がる淋しい墓苑の風景を眺めた。
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