遊んで儲ける無責任政党鴨?

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遊んで儲ける無責任政党鴨?

それを聞いて情弱はピンときた。端から責任政党の役を放棄しているのだ。 「責任のなすりつけを批判することで責任のなすりつけよりも劣っているという主張が行き過ぎるかも知れないが、責任のなすりつけはどこを批判しても変わらない。この党自体に責任はなし」 情弱はファイルを閉じた。 日本共生党の結党宣言はこうである。「すべての政策課題に対する政権監視機能を果たすべく、与党政治家および公務員、メディアなどによって構成される国民主権のための政府組織(Government for National Undertake)である」(https以下略)。これは一見「政府の権力を監視して国民主権のため、政府が間違った方向に進んだらそれを阻止する政府」のように見え、「政府に非協力的な態度を取るメディアや野党を批判することで、責任を果たさない政府に責任を問うこと」まで視野に入れられている。 では日本共生党とは何か? 日本再生機構はどうなるのか。それはまた別の問題である。 だがその二つの組織は「政府だけが助かるならいいのですが、政府は責任のなすりつけだけで何もしない」「無難なのは無能な野党だけ選べば間違いないという結論に達することでありまして……」という点で共通する。そしてそれが国民の望むことでもあると日本創生党代表、永田正人は語る。 つまり 「日本の真の民主主義を実現する。それが我々の使命です」 と言い切るのだが 『でも湯田党首は責任野党の存在意義を認めつつ責任与党は否定するって言ってますよ。それで「無能な野党」を選んだ方がいいと言う。これじゃあまるで矛盾してますよね』と情弱は反論を試みる。すると 「まあそれはね、その通りなんですね」永田は軽く認めた上でこう答えた。 「しかし、そんなことは我々も百八十度変えて日本を救う気でいるわけじゃないんですよ。実はそこがポイントです。無責任な政府を選ぶよりマシと言うだけの話で。でも『真の民主主義』のためにはそれしか方法はないと思っています。つまり無責任野党を野党にとどめておくことです。これが大事なのであって、野党としての責任追及は二義的と言っていい。むしろ無能であることを積極的に評価すべきでしょう。そういう点では湯田党首の主張は全く正しい」 日本創新党との違いについて尋ねると 「我々は政権を取ってしまえば終わりですから。でも『真の民主主義』の実現はこれからの数十年が勝負なんです。その間はどんなに不毛であっても無能であってくれなくては困るのです」 と言う。 だから「本当の民主的政府なんて最初からいらないし、責任野党だって必要ないし、メディアも要らない」ということになる。「日本がダメになるのを皆んなが待っている。その状況に持っていくこと」が重要なのだという。 (それなのに) 情弱はため息をついて肩を落とすしかないのだ。 今月、国会で成立した法律は二つある。 「児童買春・児童ポルノ禁止法」改正案と「臓器移植法案」だ。この2つが可決成立したことで政府は来年度予算を大幅に増やす必要に迫られていた。そのための補正予算案は「財政ファイナンス法」の適用によるものだ。「事実上の借金をしてまで予算を作るのは無責任」だと国民世論は強く反発したが、政府の強硬策で成立した。 一方、臓器提供はドナー数が伸びず停滞したままだ。 「でも、あの人は、自分の意志に関係なく死ぬこともあるって、それすら運命だって言うけど。私なんか絶対納得できない。もし自分が死んだら私の心臓を切り取って下さい、とお願いしたいのに」 1人の女性が政府職員を相手に声を上げた。これは昨年11月に始まった「#わたしは死にたくない」キャンペーンの一環でもあった。しかし政府側は「医療行為である手術の同意書へのサインはできない」と答えただけだった。 この回答に対し、SNSを中心に強い不満が広がった。特に若年層に広がりを見せる「集団訴訟」「集団示談請求」に発展しそうだと噂されている。「集団訴訟」は、原告(遺族・医療従事者等)、「和解案提示者」と呼ばれる政府側の代理人、「仲裁役」弁護士、当事者双方に利害関係がない中立の証人3人で構成され、被告は裁判の終了までプライバシー保護の措置を受けることとなっている。 しかし、原告側と被告側が直接会うことはほとんどなく、原告側からは、裁判所を通じて相手に伝える「間接的な主張しかできないこと」も「被害者が孤立してしまう」と指摘されている。 「政府に対する不信感は高まり続けていますね」 日本共生党の議員は言った。「政府が悪いことをしたら責任を取りましょう」と当たり前のことを言っているだけなのだが。それでも国民の不安を消すことはできないようだった。 日本共生党は、ネット上の意見に目を向けることにした。 『政府は責任逃ればかり』「それは違う!」狭間は机に拳を叩きつけた。「責任をなすりつけるのも無責任のロンダリングも同じ事。つまり政府の政策や運営に責任があることを認めることは自己否定でもあるのです」 狭間美子が怒りを込めて言い放つと、党広報担当の若手幹部・湯田が手を挙げて制した。 彼は「すみません。興奮しました」と言ってから「確かにそうですね」と言った。 狭間は思った。これではいけない。もっとわかりやすく伝える努力が必要ではないのか?日本共生党の主張はシンプルだ。政府が責任を負うべきは政府そのものであり、政府に責任がないことなんてあり得ない、責任をなすりつけても構わない。責任のなすりつけに責任を感じるなら「そのことに対して」責任を負うべきだということだ。 狭間美子は自分の発言を顧みた。言葉の使い方に問題があったかもしれない。まず謝罪しなければと反省し、発言録をチェックし始めた。
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