第一章

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第一章

[守屋 六門]  街の端にある山際の高台で、涼やかな夜風が守屋六門の頬を撫でた。  木造の手すりに寄りかかり、街の景色を見下ろすのが、もはや日課となっていた。  建物の窓から漏れる蛍光灯の光。道を照らす街灯の数々。月明かりが大きな川に乱反射して、繊細で細やかな輝きを放つ。道路に浮かぶヘッドライトは、道を流れるようにして光の川を形成していた。  六門はこの場所に何時間もいるわけではない。家から徒歩十分でここへ来て景色を見下ろす。そのすべてが一つの流れである。  歩いて十分、景色を見て十分。その程度でしかない。  高台の手すりから身を離し、その身を翻した。  ふと、街灯の下にあるベンチに目が留まった。正確にはそこに座る女性に、だ。  六門が通う学校の制服で、女性というより少女という方が正しい。が、鼻が高くアゴが細いその顔立ちは、とても大人びて見えた。街灯の光を弾く長い黒髪も、大人っぽさを助長していた。  彼女に対し、六門は胸の高鳴りを感じた。少しずつ早くなる鼓動を自覚すると、初めての経験に戸惑いを隠せない。  彼女が美人だからなのか、それとも他に理由があるのか、それは六門本人にもわからなかった。  近付いてみると、かなり美人だということがわかる。肌の色素がやけに薄く、透き通るように白い。泣きぼくろもまた、妙な妖艶さを持っていた。  体温が上昇していくような感覚の中で、どう彼女を起こそうかと思考を巡らせる。  少しはだけたスカートの上には文庫本。その上には細い二つの手。ベンチの上、彼女の隣にカバンがあることから、下校時に寄ったのだろうと推測した。 「おい、こんなところで寝てると風邪ひくぞ」  手を伸ばしかけ、少しだけ躊躇した。しかし、意を決してその肩に触れた。二度、三度と身体を揺らせば、少女の瞼が薄く開かれる。 「ん……ここ、は?」 「山際の高台だよ。自分の足で来たんだろ? それくらい覚えてろよ」  少女は辺りを見渡してから、ゆっくりとした動作で文庫本をカバンに仕舞った。 「寝てしまったのね。ありがとう」 「別に気にしてない。ただ、これからは気をつけろよ。いい年してこんなところで寝るなんて危険すぎる」 「まあそうなるわね。貴方、名前は?」 「アンタと同じ染谷丘高校の二年五組、守屋六門だ。アンタは?」 「三年二組の美野透子よ」 「美野先輩ね。よろしくな」  六門が手を差し出せば、透子は迷いなくそれを取った。 「ありがとう、これも何かの縁かしらね」  透子の微笑みに、また胸が高鳴った。顔に現れていないかと不安になり、六門は透子から視線を外す。 「かも、しれないな」  夜風に当てられていたせいか、彼女の手はやけに冷たかった。 「私のことは透子でいいわ。上下関係って面倒で嫌いなの。私は私で六門と呼ばせてもらう」 「じゃあ、透子さんでよろしく」 「ええ、わかったわ」  冷たいはずの手。それなのに、六門は妙な熱さをその身に感じていた。これがどういった感情で、どんな意味を持っているのか。彼はこのとき、まだ理解していなかった。
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