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食堂の扉を開け放つと、爽やかな香りがヴァルティーナの鼻をくすぐった。
「うーん、お腹が空きそうね」
ヴァルティーナは一瞬だけ目的を忘れ、香りに意識を向けた。
「おや、珍しいご客人だ」
厨房の奥からひょこっと顔を覗かせた男がいた。
「クック料理長、訊きたいことがあるんだが……」
「どうしたプロテリオよ。ティーナ様とデートか?」
クックがニヤニヤしながらプロテリオとヴァルティーナを交互に見る。
「ばっ、そんなんじゃねえ!」
ヴァルティーナは、プロテリオがクールに否定すると思ったのだが、彼は予想外に動揺した。
「はぁ、そうじゃなくて、今朝近衛兵は食堂に来たか?」
「勿論来たとも。でも普段より大分早かった。おかげで食事の用意ができてなくて、連中パンだけ掴んで出て行ってしまったよ」
一応近衛兵は朝はここにいたらしい。
「理由は分かるか?」
「分からない…。あ、武装していたぞ」
「武装してた?変だな。ヴァルティーナ様。近衛兵は普段食事の時には武装してません。鎧を纏っていることはありますが……どういうことでしょう」
ヴァルティーナは考え始めた。彼ら近衛兵の普段の業務は、名の通りヴァルティーナ達皇族の護衛である。だが、何も行事がないときは、彼らは護衛には付かずに訓練をすることが多かった。その為、ヴァルティーナも近衛兵の考えることは少し分からなかった。
「ああ、もうひとつ思い出した。参謀殿も一緒にいたぞ」
「ライアが?」
ライアは基本外交や戦争など外との関係を担当している。参謀と近衛兵が共にいるのは怪しかった。外交に兵を伴う必要はないし、戦争も最近は全くないからだ。
「ますます分からないわ」
☆ ☆
その後様々な所を回ると、どうやらプロテリオは海に向かったらしいことが分かってきた。ここから一番近いのはウォーダン海なので、おそらくそこだろう。
しかし、それだけでは何も分からなかった。プロテリオは戦争など好まない性格であり、国の方針としても戦争は推奨されていない。
「待つしかないのかな…」
夕方になり、ヴァルティーナはプロテリオと別れて部屋に戻った。またあの窓際に座り、外を眺めた。フレジーズ火山は、変わらず黒煙をあげていた。
★ ★
ヴァルエーゼは海にいた。夕方の海は、夕日が美しい。海面に反射した真っ赤な光が、フレジーズ火山の溶岩を彷彿とさせた。
彼は近衛兵や参謀と共に船に乗り込み、とある地点を目指していた。
「おいライア、まだか」
「そう焦らないで下さいませヴァルエーゼ様。その質問はもう何度も聞きましたよ」
「すぐに着くと行ったのは貴様だろ。もう流石に疲れたぞ。近衛兵達も疲弊してる」
その通り、周囲にいるメンバーの中で唯一、ライアのみがピンピンしていた。他の近衛兵達は、遠征に慣れておらず、慣れない船での移動ですっかり疲れていた。
「本当にあるのか。その『アトリーナ』とかいう国は」
アトリーナは、ウォーダン海の海底にるる……とされている。伝説上でのみ語られる国で、海底など誰も行こうとしないため、存在しないと思われていた。
ヴァルエーゼ達は、ライアの『アトリーナへの領土拡大』という大義名分に従ってきたのだ。
「これまた何度も言ってますが、全てはヴァルエーゼ様の為なのですよ。国を治めるのに必要なのは力。ヴァルティーナ様が皇帝では力不足でしょう」
「そうか?僕より姉上の方が適任だと思うがな」
ヴァルエーゼは、こんな調子で彼を持ち上げようとするライアを少し不審に感じていた。
「いえいえ、そんなことありませんとも。お言葉ですが、わたくしはヴァルエーゼ様こそ皇帝に相応しいと思っとりますぞ」
「はあ……」
正直、ヴァルエーゼはこの面倒な参謀と、面倒な航海に飽き飽きしていた。いつまでたっても目的の国は現れない。そもそもアトリーナが海底にある時点でどうやってたどり着くのか、彼には想像できなかった。
「お、おい何か海中にあるぞ!」
「何だ、どうした!?」
「ありゃ建物じゃないか?」
不意に、前方を進んでいた船が騒がしくなった。
「ライア様!」
近衛兵の一人が、遠くからヴァルエーゼ達の船に呼び掛ける。
「ありましたか」
「何だって!?」
ライアはニヤリとし、ヴァルエーゼは驚いた。
「ようし、様子を見る。船をもう少し近づけろ!」
(まさか、本当にあるとは)
ヴァルエーゼは舌を巻いた。海底に伝説の国があったことも驚きだが、それを知っていたライアもライアだ。
「あった、あったぞ!あれがアトリーナだ!」
ライアが立ち上がり、歓声を上げる。近衛兵達も疲弊しながら歓声を上げた。
「だが、今日はもう遅い。ひとまずヴァルカニアに帰り、後日アトリーナへ入る!」
ライアの指揮に、近衛兵達はほっとしながら、引き返した。
★ ★
翌日の朝、ヴァルエーゼ達近衛兵は、ヴァルカニアに到着した。
ライアが、ヴァルエーゼに釘を指した。
「ヴァルエーゼ様、アトリーナへの領土拡大はくれぐれも内密にお願いしますぞ」
「は?何故だ。姉上や父上に報告すべきだろう」
そもそも自分達が何処かへ行っていたことはバレているのだ。隠しきれるとは思えない。
「頼みますぞ、お楽しみは最後までとっておくのが、定石です」
「お楽しみって……」
これまた面倒なことに巻き込まれたと、ヴァルエーゼは頭を抱えながら自室に戻った。
☆ ☆
ヴァルティーナは近衛兵が帰ってきたと聞いて、ヴァルエーゼの部屋の前で待っていた。そのヴァルエーゼが現れると、即座に質問した。
「お帰りヴァルエーゼ。疲れてるとこ悪いけど、何処に何しに行ってたの?」
ヴァルエーゼは弱点を突かれたような顔をしたあと、すぐに表情を取り繕った。
「た、ただいま。あー、それは、遠征だよ、近衛兵を鍛える為の」
なにやら怪しさを隠しきれていないヴァルエーゼだったが、ヴァルティーナは彼をひとまず通すことにした。
「ふーん、そう」
ヴァルエーゼが部屋に戻ったのを確認して、自分も部屋に戻ることにする。
すると、メイドの少女が廊下の角からひょっこり現れた。
「ティーナ様。見ましたよアタシ。何やらエーゼ様、変ですねぇ」
「プロミネール、貴女もそう思う?」
鋭い観察眼だと、ヴァルティーナは感心した。確かに、ヴァルエーゼには何かある。
「じゃあこういうのはどうでしょうか、アタシ、参謀や近衛兵を調査してきます。何か掴んだら、お知らせしますね」
「なるほど、いい考えね」
確かに、皇女である自分が調べるより、プロミネールの方が小回りも効くだろうし、周囲の人間も気兼ねなく話してくれるだろう。
「なので、ティーナ様は、戴冠式に集中してください。こっちのことは心配要らないので。後、アタシの仕事は、お兄ちゃんがやると思います」
「ん?貴女もしかして、調査にかこつけてサボろうとしてない?」
「それはありませんよ!しっかりやりますよ。その代わり、上手く行ったら褒美は弾んでくださいね」
「結局それが目的なんじゃないの……。でも、頼むわよ」
ヴァルティーナはプロミネールの肩に手を置き、信頼を示した。
「任せてください。きっちり調べてきまーす」
☆ ☆
その後、ヴァルティーナが自室で皇帝の業務をこなしていると、プロテリオが現れた。
「……失礼します、ヴァルティーナ様。洗濯物をお持ちしました。えっと、これは…」
なるほど、普段ヴァルティーナの洗濯物を片付けるのはプロミネールの仕事なので、プロテリオが分からないのだと、彼女は悟った。
「ああ、それならそこのクローゼットに種類を分けてしまっておいて」
「恐れ入ります」
そう言って、プロテリオはクローゼットに近づいた。持ってきた洗濯物を片付け始めたのだが、不意にピタッと動きを止めた。
「こ、これは……」
「ん?どうしたのプロテリオ」
ヴァルティーナが心配して近づくと、プロテリオは持っていたものを後ろに隠した。
「ああ、いえっ、なんでも、なんでもありませんから」
見ると、プロテリオの顔は真っ赤になっている。
「どうしたの?顔赤いけど…隠してないで、それ渡しなさいよ」
「いや、でも」
「いいから。片付ける場所が分からないんでしょ?自分でやるから、大丈夫」
「は、はい」
プロテリオは、手に持ったものから目を逸らしながら、それをヴァルティーナに渡した。
「一体何が分から……」
ヴァルティーナは、受け取ったものを見て絶句した。それは、ピンクを基調に、縁に可愛らしいレースがついた、ヴァルティーナのお気に入りの下着だったからだ。
ヴァルティーナは、急に恥ずかしくなって、顔を真っ赤にした。
「……見たの?」
「え」
「……見たの!?」
「見てません見てません!」
「ちょっと向こう向いてて!」
「はっ、はい」
普段異性に見せない乙女の秘密を見られた羞恥心で、ヴァルティーナは今にも泣きそうだった。
でも、普段これはプロミネールの仕事だった。プロテリオがこれを目にすることはまずないはずだった。と、いうことは。
「「プロミネール!!」」
プロテリオも同じ結論に至ったようで、二人は同時に叫んだ。
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