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赤黒い溶岩が流れる。空が黒と赤に染まる。
極と並び、生き物が生息するには厳しい環境の中で、およそ自然物とは思えない石壁がそびえ立っている。
そこは、フレジーズ火山の麓にある『ヴァルカニア』。火山がもたらす大地の恵みを頼りに、独自の繁栄をしてきた国である。
その王宮の一室で、少女が神妙な顔をして窓を眺めていた。
「……はぁ」
その少女は、溶岩の紅蓮に近い赤をした長髪をしており、炎を象った髪飾りで小さなツインテールのようなものを作った髪型をしていた。赤のドレスに身を包み、窓際の椅子に腰かけている。視線の先には、黒煙を上げるフレジーズ火山があった。
コンコンコン、とノックがあった後、失礼しまーす、と別の少女が部屋に入ってきた。
「ティーナ様、また火山を眺めてるんですか?」
メイド服の少女が少し心配そうにティーナと呼ばれた紅の少女に近づく。
「……ノックの返事してないのに入ってこないでほしいんだけど、プロミネール。私だからまだいいけど、これがお父様の部屋だったらどうするの?首飛ぶかもよ」
紅の少女は髪を指でくるくる巻きながら呆れた顔をする。
「大丈夫です!アタシは世渡り上手なんで、その辺はきっちり分別つけてまーす。ティーナ様の前でしかこんなことしませんよ?次期皇帝のヴァルティーナ様なら、この程度許してくれるってアタシちゃーんと分かってますから!」
フフン、と自信ありげに胸を張るメイド。謎の自信が可笑しく思えたのか、ヴァルティーナの口角が少し上がった。
「……で、今度は何をお悩みですか?やっぱり戴冠式のことですか?」
「まあ、そうね」
ヴァルカニアでは、近々戴冠式が行われ、皇位継承が行われる。通常なら、前皇帝が死亡した場合に戴冠式が行われるのだが、今回は事情が違った。
「私なんかで大丈夫なのかな。皇帝って男がなるものだと思ってたから、私はヴァルエーゼがなるものだと思ってたんだけど……」
ヴァルカニアの歴代皇帝に女皇帝は例がない。普通ならヴァルティーナの弟、ヴァルエーゼが皇位継承するはずなのだが、皇帝が指名したのは姉のヴァルティーナだった。
「お父様は強い人だったから、急にこんなことになるなんて……。不安で仕方ないの」
「そうですね。アタシもショックです。ヴァルケニオス様が体調を崩されるのも、無理ないと思います」
今回が特殊である理由は、ヴァルティーナの母であり、皇帝ヴァルケニオスの妻、皇后ヴァルネーシュが死去したことにあった。彼女は元々病気がちだったことから流行り病にかかってしまい、さらに火山の近くという過酷な環境も相まって、遂に倒れてしまったのだ。
「アタシはヴァルネーシュ様の死には立ち会ってませんが、お兄ちゃんは『立派な最期だった』って言ってました。」
「うん……。お母様、病気なのに最期まで笑ってて、強かった。私たちは健康でいられるのは、お母様が強く産んでくれたお陰だもの」
母の姿を思い出し、感傷に浸るヴァルティーナ。しかしすぐに真剣な顔に戻る。
「だからこそ、いつまでも落ち込んではいられない。お母様のためにも、お父様に元気になってもらうためにも。私、頑張って戴冠式に臨むわ」
「それでこそティーナ様!快活で男勝りなその性格なら、きっとこの困難も乗り越え……アイタッ」
「『男勝り」は余計。私はあくまで皇女なんだから」
ヴァルティーナは軽くプロミネールの頭を叩いた。
「それに、皇帝がティーナ様を指名されたのも、ティーナ様がお二人に似てお強いからじゃないんですか?」
「そうかな?私そんなに強くないわ。ヴァルエーゼの方が剣の腕は立つし、私は魔法しかできないし」
「多分、そういう強さじゃなくて─」
その時、扉がノックされ、扉の向こうから「失礼します」と声がした。若い男の声だ。
「あ、やば。お兄ちゃんだ、どうしよ」
小声で慌て出すプロミネール。ヴァルティーナは真面目な顔を作って備えた。
「私は知らないわ。どうぞ。」
「えっ、ひどっ」
「ヴァルティーナ様、戴冠式でお召しになるドレスですが─」
「じ、じゃあ私はこれで失礼しまーす…」
兄に対し何事もなかったかのように出ていこうとするプロミネールの首根っこを、少年が掴んだ。
「─失礼。おい、ヴァルティーナ様と個人的な会話をするなと何度言えば分かるんだ。俺達は使用人の身なんだぞ、ここには皇帝の好意でいられるんだ。それを無下にしようとするな」
「ご、ごめんなさい、でもヴァルティーナ様が悩んでたから」
「でも、じゃない」
更に叱責を続けようとする少年をヴァル ティーナが制した。
「許してあげて、プロテリオ。」
「し、しかし」
「私が来てくれるよう頼んだの。だから怒らないで」
これは真っ赤な嘘である。しかし、ヴァルティーナはプロミネールと話したことで決意を固めることができたと実感していた。
「そう、ですか。失礼しました。ヴァルティーナ様の前で妹を説教したご無礼をお許し下さい」
プロテリオは少し不満げに、しかし深々と頭を下げた。
「別にいいわ、プロミネール、行きなさい」
プロミネールも礼をして、更に兄に向かって舌を突き出すと、部屋を出ていった。
「で、本題ですが」
プロテリオは咳払いをして話題を元の路線に戻した。
「戴冠式でお召しになるドレス、ここにお持ちしました」
プロテリオが差し出したドレスは、普段のドレスより濃厚な朱をベースに、細部に炎の意匠とフレジーズ火山特有の鉱石が散りばめられた豪奢なものだった。
「どうでしょうか。戴冠式での魔法披露に備え、魔力を補助してくれるフレジマイトをふんだんに使ったドレスですが」
ヴァルティーナはドレスなどどうでもよいと思っていたが、真面目なプロテリオの前で適当な対応をすれば彼が不機嫌になるので、一応しみじみとドレスを眺めた。
ドレスの周りを一周し、袖の中や、スカートの中など、一通り確認する。
「ここまで豪華な必要があるかは…この際気にしないとして…うん、私はこれでいい」
ヴァルティーナは、戴冠式での格好より、その後のもっと重要なことを気にしていた。
しかしプロテリオはそんなヴァルティーナの心情にも気付かずに続ける。
「お気に召していただいたようで何よりです。ところで……ヴァルエーゼ様が何処にいらっしゃるのか、ご存知ではありませんか?ヴァルエーゼ様にご試着をと思ったのですが」
「ヴァルエーゼ?部屋にはいないの?」
「はい、いらっしゃいません」
部屋にいないとすれば訓練中だろうか。
「修練場は?」
「そこもです」
少し変だ。プロテリオはヴァルカニアの軍隊、『近衛兵」の指揮を執る立場にあり、暇さえあれば鍛錬に向かっていた。
「わからないけど、とりあえず禍炎隊員を探しましょう」
「かしこまりました。お供します」
二人は皇女の部屋を後にし、近衛詰所に向かった。
☆ ☆
近衛詰所は、王宮に隣接している小さな建物の中にあった。他には禍炎隊と近衛達の更衣室、それから食堂と仮眠室、住み込みの近衛向けの個室もあった。
二人が詰所に入ると、近衛兵のゴブリン達がカードで遊んでいた。
「こら、お前達」
プロテリオが一喝するとゴブリン達が揃って扉の方を見る。
「プロテリオ、ジャマスルな。イマイイトコろ……ヴァ、ヴァルティーナサマ!」
プロテリオの後ろにいた皇女の姿に気づいたゴブリン達が、慌ててカードを片付け、敬礼をする。
「「「シ、シツレイシマシた!」」」
「うん、まあ、いいわ」
ヴァルティーナは、詰所にゴブリンしかいないことを確認すると、身を翻し詰所から出ていった。
「どうされますか。修練場に参りますか」
「どうかしら。無駄な気がするわ」
ヴァルエーゼの居場所としては、基本的に自室か修練場の二択になる。そのどちらにもいないとすれば、もう一度向かっても無駄だろうと、ヴァルティーナは判断した。
「それより、今日はさっきのゴブリン以外の近衛兵を見てないわね」
「言われてみれば確かに。食堂の話ですが、普段、近衛の食事時間は大抵同じなので、近衛兵とも一緒に摂ることが多いのです。しかし、今朝は彼らだけいませんでしたね」
プロテリオは新たな疑問に首を傾げる。ヴァルティーナは考えても仕方ないと、次の行動に移ることにした。
「じゃあ食堂に行きましょう。たまたま食事のタイミングがズレて、今食事しているかも知れないし」
「かしこまりました」
☆ ☆
食堂の扉を開け放つと、爽やかな香りがヴァルティーナの鼻をくすぐった。
「うーん、お腹が空きそうね」
ヴァルティーナは一瞬だけ目的を忘れ、香りに意識を向けた。
「おや、珍しいご客人だ」
厨房の奥からひょこっと顔を覗かせた男がいた。
「クック料理長、訊きたいことがあるんだが……」
「どうしたプロテリオよ。ティーナ様とデートか?」
クックがニヤニヤしながらプロテリオとヴァルティーナを交互に見る。
「ばっ、そんなんじゃねえ!」
ヴァルティーナは、プロテリオがクールに否定すると思ったのだが、彼は予想外に動揺した。
「はぁ、そうじゃなくて、今朝近衛兵は食堂に来たか?」
「勿論来たとも。でも普段より大分早かった。おかげで食事の用意ができてなくて、連中パンだけ掴んで出て行ってしまったよ」
一応近衛兵は朝はここにいたらしい。
「理由は分かるか?」
「分からない…。あ、武装していたぞ」
「武装してた?変だな。ヴァルティーナ様。近衛兵は普段食事の時には武装してません。鎧を纏っていることはありますが……どういうことでしょう」
ヴァルティーナは考え始めた。彼ら近衛兵の普段の業務は、名の通りヴァルティーナ達皇族の護衛である。だが、何も行事がないときは、彼らは護衛には付かずに訓練をすることが多かった。その為、ヴァルティーナも近衛兵の考えることは少し分からなかった。
「ああ、もうひとつ思い出した。参謀殿も一緒にいたぞ」
「ライアが?」
ライアは基本外交や戦争など外との関係を担当している。参謀と近衛兵が共にいるのは怪しかった。外交に兵を伴う必要はないし、戦争も最近は全くないからだ。
「ますます分からないわ」
☆ ☆
その後様々な所を回ると、どうやらプロテリオは海に向かったらしいことが分かってきた。ここから一番近いのはウォーダン海なので、おそらくそこだろう。
しかし、それだけでは何も分からなかった。プロテリオは戦争など好まない性格であり、国の方針としても戦争は推奨されていない。
「待つしかないのかな…」
夕方になり、ヴァルティーナはプロテリオと別れて部屋に戻った。またあの窓際に座り、外を眺めた。フレジーズ火山は、変わらず黒煙をあげていた。
★ ★
ヴァルエーゼは海にいた。夕方の海は、夕日が美しい。海面に反射した真っ赤な光が、フレジーズ火山の溶岩を彷彿とさせた。
彼は近衛兵や参謀と共に船に乗り込み、とある地点を目指していた。
「おいライア、まだか」
「そう焦らないで下さいませヴァルエーゼ様。その質問はもう何度も聞きましたよ」
「すぐに着くと行ったのは貴様だろ。もう流石に疲れたぞ。近衛兵達も疲弊してる」
その通り、周囲にいるメンバーの中で唯一、ライアのみがピンピンしていた。他の近衛兵達は、遠征に慣れておらず、慣れない船での移動ですっかり疲れていた。
「本当にあるのか。その『アトリーナ』とかいう国は」
アトリーナは、ウォーダン海の海底にるる……とされている。伝説上でのみ語られる国で、海底など誰も行こうとしないため、存在しないと思われていた。
ヴァルエーゼ達は、ライアの『アトリーナへの領土拡大』という大義名分に従ってきたのだ。
「これまた何度も言ってますが、全てはヴァルエーゼ様の為なのですよ。国を治めるのに必要なのは力。ヴァルティーナ様が皇帝では力不足でしょう」
「そうか?僕より姉上の方が適任だと思うがな」
ヴァルエーゼは、こんな調子で彼を持ち上げようとするライアを少し不審に感じていた。
「いえいえ、そんなことありませんとも。お言葉ですが、わたくしはヴァルエーゼ様こそ皇帝に相応しいと思っとりますぞ」
「はあ……」
正直、ヴァルエーゼはこの面倒な参謀と、面倒な航海に飽き飽きしていた。いつまでたっても目的の国は現れない。そもそもアトリーナが海底にある時点でどうやってたどり着くのか、彼には想像できなかった。
「お、おい何か海中にあるぞ!」
「何だ、どうした!?」
「ありゃ建物じゃないか?」
不意に、前方を進んでいた船が騒がしくなった。
「ライア様!」
近衛兵の一人が、遠くからヴァルエーゼ達の船に呼び掛ける。
「ありましたか」
「何だって!?」
ライアはニヤリとし、ヴァルエーゼは驚いた。
「ようし、様子を見る。船をもう少し近づけろ!」
(まさか、本当にあるとは)
ヴァルエーゼは舌を巻いた。海底に伝説の国があったことも驚きだが、それを知っていたライアもライアだ。
「あった、あったぞ!あれがアトリーナだ!」
ライアが立ち上がり、歓声を上げる。近衛兵達も疲弊しながら歓声を上げた。
「だが、今日はもう遅い。ひとまずヴァルカニアに帰り、後日アトリーナへ入る!」
ライアの指揮に、近衛兵達はほっとしながら、引き返した。
★ ★
翌日の朝、ヴァルエーゼ達近衛兵は、ヴァルカニアに到着した。
ライアが、ヴァルエーゼに釘を指した。
「ヴァルエーゼ様、アトリーナへの領土拡大はくれぐれも内密にお願いしますぞ」
「は?何故だ。姉上や父上に報告すべきだろう」
そもそも自分達が何処かへ行っていたことはバレているのだ。隠しきれるとは思えない。
「頼みますぞ、お楽しみは最後までとっておくのが、定石です」
「お楽しみって……」
これまた面倒なことに巻き込まれたと、ヴァルエーゼは頭を抱えながら自室に戻った。
☆ ☆
ヴァルティーナは近衛兵が帰ってきたと聞いて、ヴァルエーゼの部屋の前で待っていた。そのヴァルエーゼが現れると、即座に質問した。
「お帰りヴァルエーゼ。疲れてるとこ悪いけど、何処に何しに行ってたの?」
ヴァルエーゼは弱点を突かれたような顔をしたあと、すぐに表情を取り繕った。
「た、ただいま。あー、それは、遠征だよ、近衛兵を鍛える為の」
なにやら怪しさを隠しきれていないヴァルエーゼだったが、ヴァルティーナは彼をひとまず通すことにした。
「ふーん、そう」
ヴァルエーゼが部屋に戻ったのを確認して、自分も部屋に戻ることにする。
すると、メイドの少女が廊下の角からひょっこり現れた。
「ティーナ様。見ましたよアタシ。何やらエーゼ様、変ですねぇ」
「プロミネール、貴女もそう思う?」
鋭い観察眼だと、ヴァルティーナは感心した。確かに、ヴァルエーゼには何かある。
「じゃあこういうのはどうでしょうか、アタシ、参謀や近衛兵を調査してきます。何か掴んだら、お知らせしますね」
「なるほど、いい考えね」
確かに、皇女である自分が調べるより、プロミネールの方が小回りも効くだろうし、周囲の人間も気兼ねなく話してくれるだろう。
「なので、ティーナ様は、戴冠式に集中してください。こっちのことは心配要らないので。後、アタシの仕事は、お兄ちゃんがやると思います」
「ん?貴女もしかして、調査にかこつけてサボろうとしてない?」
「それはありませんよ!しっかりやりますよ。その代わり、上手く行ったら褒美は弾んでくださいね」
「結局それが目的なんじゃないの……。でも、頼むわよ」
ヴァルティーナはプロミネールの肩に手を置き、信頼を示した。
「任せてください。きっちり調べてきまーす」
☆ ☆
その後、ヴァルティーナが自室で皇帝の業務をこなしていると、プロテリオが現れた。
「……失礼します、ヴァルティーナ様。洗濯物をお持ちしました。えっと、これは…」
なるほど、普段ヴァルティーナの洗濯物を片付けるのはプロミネールの仕事なので、プロテリオが分からないのだと、彼女は悟った。
「ああ、それならそこのクローゼットに種類を分けてしまっておいて」
「恐れ入ります」
そう言って、プロテリオはクローゼットに近づいた。持ってきた洗濯物を片付け始めたのだが、不意にピタッと動きを止めた。
「こ、これは……」
「ん?どうしたのプロテリオ」
ヴァルティーナが心配して近づくと、プロテリオは持っていたものを後ろに隠した。
「ああ、いえっ、なんでも、なんでもありませんから」
見ると、プロテリオの顔は真っ赤になっている。
「どうしたの?顔赤いけど…隠してないで、それ渡しなさいよ」
「いや、でも」
「いいから。片付ける場所が分からないんでしょ?自分でやるから、大丈夫」
「は、はい」
プロテリオは、手に持ったものから目を逸らしながら、それをヴァルティーナに渡した。
「一体何が分から……」
ヴァルティーナは、受け取ったものを見て絶句した。それは、ピンクを基調に、縁に可愛らしいレースがついた、ヴァルティーナのお気に入りの下着だったからだ。
ヴァルティーナは、急に恥ずかしくなって、顔を真っ赤にした。
「……見たの?」
「え」
「……見たの!?」
「見てません見てません!」
「ちょっと向こう向いてて!」
「はっ、はい」
普段異性に見せない乙女の秘密を見られた羞恥心で、ヴァルティーナは今にも泣きそうだった。
でも、普段これはプロミネールの仕事だった。プロテリオがこれを目にすることはまずないはずだった。と、いうことは。
「「プロミネール!!」」
プロテリオも同じ結論に至ったようで、二人は同時に叫んだ。
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