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序 藩校弘道館
嘉永二年(一八四九年)、肥前佐賀藩。
江藤新平は、この一月、十六歳で藩校「弘道館」内生寮に入学した。身分は手明鑓で、足軽より二つ上の、士分としてはほぼ最下層に属する。
弘道館は、藩主鍋島閑叟の住む城からほど近い北堀端―――文字通り、城を巡るお堀の北―――にあり、およそ五千五百坪の広大な敷地を有する。五、六歳から十五歳頃までの子弟が通いで学ぶ「外生寮蒙養舎」に六百名、そして、主に外生寮の課程を修了した十六歳頃からの者が寄宿して学ぶ「内生寮」に二百名の生徒がいる。
江藤は貧しさのために外生寮に通うことができず、独学して試験を受け、この一月に入学を許可された。菜料として定められた一日十二文の金が払えず、出される米のみで過ごすこともあるという貧しさではあったが、ともかくも江藤の念願の学校生活は始まったのである。
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