第肆話 私の嘘が許されるなら

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「気分は大丈夫かい?」  気遣う声にイブキは力なく口の端を上げて見せた。 「ええ、おかげ様で。みっともない所を見せてしまいましたね」 「あんなものを見てしまったら当然だとも。顔見知りがあんな惨いことになれば誰だって気分が悪くなる」  優しい手つきで前髪を掬われる。その仕草があまりに愛おしげな色を帯びていたものだから、イブキは恥ずかしくなって頬を赤くした。顔を隠す様にして俯けば、内に響くように鳴る心臓の音が大きくていたたまれない気持ちになる。 (こんな時に不謹慎だ)  そう思って胸を掴むが、これを止める術などない。今まで心の奥底で死んでいたはずのなつめが、鬼塚知成の出現によって急速に息を吹き返すのを感じる。イブキは暴れ狂うような彼女の熱量を持て余していた。 「知成さんは何故こんな凄惨な事件に巻き込まれても、私の事を案じてくれるのですか」  苦し紛れに尋ねた声は擦れていた。知成は不思議そうな顔で、「友人だからでは駄目かい?」と首を傾げる。 「まだ会ったばかりではないですか」 「友情と付き合いの長さは関係ないさ。つれない事を言う」 「そんなつもりは……」  目を伏せるイブキの頬を、知成は両の手で挟んだ。顔を逸らせないように優しく拘束されたイブキの前で、彼の美しきかんばせが優雅に微笑んだ。桜色の頬に添えた弓なりの瞳はイブキの姿しか見えていない。 「キミだけさ」  囁かれる言葉は甘い。 「キミだけ、とくべつ」  耳の奥に蠱惑的に響く声に、イブキの胸の奥がひと際大きく鳴った。思わず息が詰まったのを知られまいと、「それは光栄ですね」とだけ言って唇を噛む。叫び狂うなつめの声を漏らさぬようにしっかりと。 「さ、気分がマシになったなら刑事さんたちの所に行こうか」  そう言いながら差し出された手をしっかと握り、2人してよろめきながらも立ち上がる。するりと離された手を、イブキは名残惜しく思った。 (ああ、告げたい)  気を抜くとなつめの部分が顔を出す。  決して許されないと知っていながらも、彼女は心を殺し切ることが出来ない。先を行く華やかな背広の後ろ姿を焦がれるように見つめてしまう。 (もし許されるなら、すぐにでも伝えるのに)  五百蔵なつめは鬼塚知成を愛しているのだと。 「イブキくん?」  知成が振り返る。うなじに添えられた青いリボンがゆらりと揺れた。  イブキは出掛かった睦言を喉を鳴らして飲み込んでから、「今行きますよ」と何食わぬ顔をして彼の背中を追いかけた。
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