第肆話 私の嘘が許されるなら

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   ■ ■ ■  ギシギシと縄が軋む。  ゆらゆらと出来の悪い振り子が揺れる。  井桁の下に吊り下げられた振り子は、藍色の浴衣を来た小さな子どもの姿をしていた。力なくだらりと垂れ下がった手はゆらゆらと虚空を泳ぐばかり。半開きになった血色の悪い唇は何も生み出さず、そこにあるのは黒々とした虚だけだ。  その子どもの淀んだ目を見上げる少女がいた。  白地に赤い金魚の泳ぐ浴衣を着た、腰まである長い黒髪を赤いリボンで結わえているその少女の顔は、目の前で吊り下げられた子どもと瓜二つだった。 「にいちゃん」  少女が呼ぶ声がする。  その少女の手を、1人の女が取った。藤色の着物を着た、口元に黒子のある美しい女だ。ぎゅう、と手に力を込められて少女は体を強張らせる。 「違うわ」  冷たく少女見下ろして女は言う。 「死んだのはなつめよ」  その様子を少し離れた所から眺めていた知成は「なるほど」と溜息をつく。この時なつめが死んで、“今の”イブキが生まれたのだ。  フィルムの飛んだ活動写真を見ているように場面が切り替わっていく。  長く伸ばされていた髪の毛は短く切り落とされ。  地味で武骨な着物に着せ替えられ。  大好きな兄から貰ったというリボンは兄の遺体と共に納棺された。  それまで当たり前にあった女の子の部分を削ぎ落されていく理不尽に泣く小さな少女を前に、知成はただ立ち尽くしていた。 「なつめが死んじゃう」  目の前で少年のような姿をした少女が泣きじゃくる。その手には見覚えのある白い封筒が握られていた。 「なつめを殺さないで」  少女は祈るように白い封筒を両手で胸に抱く。  知成に目の前の少女を救う力などない。知成はその事をよくわかっていた。  自分は過去の出来事をただ“視る”だけ。そこで起きた事に介入することはできないのだ。  その事を無力だと感じながらも、彼女が持つ手紙が自分宛だと知っている知成は、ひっそりとほの暗い笑みを浮かべるのだった。    ■ ■ ■ 「うう……」  膝の上からする呻き声を聞いて、知成はゆっくり瞼を上げた。眼下には苦し気に身じろぎをするイブキの顔がある。深く刻まれた眉間の皺を指先で伸ばしながら、「男の膝など寝苦しかろう」などと言ってくつくつと笑った。  2人は変わらず裏庭にいた。  あの後崩れ落ちるように意識を失ったイブキを、知成は井戸からは少し離れた所に運んで介抱していたのだ。  ずっと抱えていられるほど力自慢ではなかったし、忙しなく現場検証をに勤しむ警官たちの邪魔をするのも気が引けた。地べたに寝かせるのも悪い気がして膝を貸したが、自分たちの格好は傍から見ると些か滑稽らしい。一瞬ばかりこちらに視線を向けた山本がなんだか、奇妙なものを咀嚼するような顔をしていた。 「ふ……」  小さく息を詰めたイブキの目がそっと開くのを見て、知成はぱっと手を離す。 「や、目が覚めたかい?」 「すみません、私……」  頭を抑えながら身体を起こすイブキの背を支えながら、 「ユキさんの遺体はもう運んでしまったよ。今、警官が現場を調べているところだ」  と教えてやれば、ぼんやりした表情で「そうですか」と頷いた。
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