第伍話 キミに愛していると言いたい

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 まさか、とイブキはこめかみに嫌な汗が流れるのを感じた。目の前の年嵩の刑事が放つ威圧感は何ともお喋りで、やましいことなど何もないのに生唾を飲んだ。 「貴方が3人から好意を寄せられていたという事はわかっているんです。そして、かなり辟易していたこともね」 「イブキくんにはアリバイがあるだろう? 犯行時刻には少なくとも私が傍にいた」  口を挟んだのは知成だった。口調は軽快なものの、その目は剣呑に細められており、さりげなくイブキを背に隠した。  知成の方を「アンタの存在が1番不可解だがね」と訝し気に見やり、 「まあ、一応商店通りの人間から証言の裏はとれてますよ」  と頷いた。 「それなら……」 「ただ、元々被害者たちから好意を寄せられていたイブキくんなら、お互いを殺し合わせるようにそそのかす事だって可能じゃあないですかね」 「お互いに嫉妬して勝手に殺し合ったかもしれないじゃあないですか」 「その可能性ももちろんあるがね。実月さん殺しをユキさんに擦り付けた何者かが居る以上、作為的なものを感じずにはいられんのですよ。イブキくんがその場にいれない以上、実行犯は別にいるかもしれませんしね」 「そこで犯人は別の人間だとは思わないんですね」 「彼以外に動機らしい動機を持っている者はいませんでしたからな」  毅然と胸を張って言う長牧と長く応酬を繰り返していた知成は肩を落としながら、はーっと深く息を吐いた。その口元を掌で覆いながら顔を上げた知成は、「ふ、ふふ」とこらえきれないとばかりに笑みを零す。 「長牧警部」  知成が可笑しそうに口を歪めた。 「人の狂気は必ずしも目に見える所にあるとは限りませんよ」  長牧の顔がわかりやすい形で固まった。これは“心底気分を害した顔”だと、今更ながらイブキは彼の名前を呼びながら袖を引く。 「素人がわかったような口を利かんでください。友人想いなのは結構ですがね、これは我々の仕事なんです」 「見当違いの憶測を並べ立てるのが仕事だとは恐れ入るなあ」 「なんだと?」  ヒクリとこめかみに青筋を立てる長牧に、知成はにっこりと無駄に綺麗な笑みで応戦する。イブキはその柔らかな笑みの下に隠された好戦的な部分を垣間見たような気持ちになってヒヤリとした。この細っこい二の腕の優男に、刑事との乱闘なんてできるはずがないからだ。  両者1歩も引かず。緊迫した空気の中に降り積もろうかという沈黙を、「ああ!」と大きな声で吹き飛ばしたのは、今までずっと長牧の傍らに控えていた森下だった。 「なんだ森下、突然大きな声を出して……」 「思い出したんですよ警部!」  興奮したように「静かにしてたから全然気が付かなかった」「まさかこんなところにもいるなんて」と捲し立てる部下の肩を抑えて落ち着かせ、 「何を思い出したんだ?」 「彼ですよ、彼!」  森下は知成を指さした。その目は尊敬する大スターを前にしたかのようにキラキラと輝いている。頬は紅潮し、彼がとても興奮していることだけはわかった。 「鬼塚知成って何か聞き覚えがあると思ったんです。彼、東京で今話題の探偵ですよ!」 「はあ?」  長牧が素っ頓狂な声を出した。  イブキも驚きで開いた口が塞がらず、少し上の所にある知成の顔をまじまじと見た。 「華族出で大学を優秀な成績で卒業した後に、あろうことか探偵事務所を開いた変わり者! 警察が頭を悩ます難事件にしゃしゃり出ては、一見のうちに解決してしまう帝都の名探偵って!」 「う~ん……“しゃしゃり出て”ってあたりに、警察関係者の悪意が透けて見えるね」 「実際、良い噂はききませんから!」  興奮冷めやらぬ様子で明るく返す森下に、「だろうね」と知成は肩をすくめた。イブキは握ったままだった彼の袖を引っ張って耳打ちする。 「どういうことです? 探偵なんて」 「探偵なんてとは失敬な。これでも真面目に仕事してるんだぞぅ」 「そういうことではなく」  イブキの中にある探偵という職業のイメージが、シャーロック・ホウムズや明智小五郎で固まっていたのは遠い昔の話だ。実際の探偵は素行や浮気の調査、人探しなどをすることが殆どで、まかり間違っても事件の捜査に参加したりはしないし、事件の被疑者を捕まえたりもしない。 「私がそうなりたいと思ったからなったのだし、そうなれた」  まるで遠い日の思い出をなぞるように知成は目を細めて「それでいいじゃないか」と、イブキの手から袖口を外した。
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