第伍話 キミに愛していると言いたい

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「は」  まったく予想になかった言葉を告げられて、思わずイブキは口を開けて固まってしまう。目の前には自分の様子を見てうっすらと苦笑を浮かべながらも、真剣な面差しを崩さない知成の姿がある。その表情が真に迫っていることから、彼が冗談などではなく本気で言っているのだとイブキは理解した。  実際に知成の言葉は比喩などではない。  彼には昔から他の人間にはない不思議な力があった。  その場で起こった事をまるで活動写真のスクリーンの中にいるかのように幻視したり、遠くにいる何某かを近くで見ているかのように理解したり、目の前にいる人間の感情の起伏が色で見えたりと、およそ万人の人間にはできない事が生まれつきできた。  それは紛れもなく神がもたらした彼の才であったが、けして幸福を運ぶものではなかっただろう。もともと歓迎されぬ出自と血筋である身に異様な力。この突出した感性は誤解や懐疑を産むことが多く、知成は家族からも学友からも浮いた存在だった。 「やっかい事を呼ぶ能力だけども、探偵をやる上でこれほどお誂えな力はない」  知成は「何せ私は答えをこの目で視る事ができるのだから。犯人も、狂気も、その感情も追体験してね」と肩をすくめる。 「私は探偵だが、推理はしない。視た事実を喋るだけ」  そう締めくくった知成は、口を開けて呆けているイブキに「がっかりしたかい?」と尋ねてみた。  イブキは1度口を閉じてから、渇きを潤すように上唇を舐めて、 「それは、とても辛い仕事ではないですか」  と訊き返した。 「人が人を殺す場面がどんなに惨いか。むき出しの憎悪と欲と恐怖とが混じり合ったものがどれだけ凄惨か。私は、彼女たちの遺体を見ただけで心の臓が冷えた心地になったというのに」  そっと、知成のつるりとした頬に触れた。 「貴方、恐ろしくはないのですか」  その言葉が零れ落ちて間もなく、知成は1歩下がってイブキから距離を取った。少し俯いて、口元を抑えている。  具合でも悪くなったのではとイブキは狼狽えたが、予想に反して彼は薄く笑みを浮かべているようであった。頬は薄く色づき、血色も良い。 「どうかしましたか?」 「いや、改めて……惚れなおしていたというか」 「は?」 「この話を聞いてまず、私の心配をするのかい」 「はあ……」  首を傾げてからイブキは思い至る。この男は今なんと言ったか。  そうだ、彼が過去も秘密も看破できる目を持っているのなら。もし本当にそうだとするならば、自分の(ひみつ)などはすでに知られてしまっているのではないだろうか。 ぐるぐると巡り始める考えがまとまるよりも先に、知成の唇の方が正解を告げた。 「10年も男のフリをするのはつらかったろう。なつめさん」  瞬間、呼吸を忘れた。  自然と息が詰まって、喉の奥からひゅっと空気が変な音を立てる。目は零れ落ちんばかりに見開かれ、かたかたと右の手首が震え始めた。  その震える手を優しく握り包んだ知成が「驚かせてすまない」と眉を下げる。 「けれど私はこれから、もっとキミを驚かせる事をする。この事件の犯人を語らなくてならないからね。事件の真相はきっとキミを傷つけるだろう。もしかしたら、私はキミに嫌われてしまうかもしれない」  言いながら泣き出しそうな顔をする。 「全て解決した後に、あの夜の返事を聞かせておくれ」  切実な声で「キミが死んだなんて嘘はもう無しで頼むよ」と懇願する声に、イブキ——なつめはぼんやりとした思考のまま、曖昧に頷くことしかできなかった。
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