第伍話 キミに愛していると言いたい

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   ■ ■ ■ 「——待たせてすまないね」  扉を開いた知成は明瞭な声で前置きすると、ぐるりと視線だけで部屋の中を確認した。  広間には事件関係者である五百蔵家の4人と吉松、東京から来た刑事が2人が待ち構えていた。もどった知成とイブキの姿を見止めた長牧が、胡乱な表情で問いかけた。 「山本巡査はどうしたんです?」 「……彼は少しおつかいに。少しばかり時間がかかるのでね。約束の時間を過ぎてしまいそうだったので、私たちは先に戻らせてもらった」  知成の言うことは嘘ではない。知成はあの部屋を一通り見終わったあと、外に控えていた山本に何かを耳打ちした。山本は少し戸惑いながらも屋敷の外へ出て行ったのだ。何か必要なものを取りに出かけたのだろう。 「さて——」  何か言いたげな長牧の視線を無視して口を開く。 「私はまず謝罪しなくてはいけない。……私がこの村に来た理由、友人のイブキくんを訪ねてやってきたというのは真っ赤な嘘なんだ」 「何だと?」  目を吊り上げたのはやはり長牧だったが、知成はそれをも無視して晴彦の前で腰を折る。 「私がこの村に来たのは……五百蔵なつめさんに結婚を申し込むためなのです」 「なっ」  晴彦が驚いてイブキの方を見た。イブキはまさかこの場で知成がそんな事を言い出すとは思わず「ちょっと!」と知成の肩を掴んだ。するとそのまま肩を抱かれて引き寄せられる。 「五百蔵晴彦様。お嬢さんを……なつめさんを、どうか私の妻に」  開いた口が塞がらない、とはまさにこの事だ。  晴彦は驚きすぎて顎を外してしまうのではないかと思うくらいに口を大きく開けて呆けている。当事者であるのに何も聞かされていなかったイブキも、「な、な……」と真っ赤な頬を震わせることしかできない。聴衆に至っては謎解きを放り出して容疑者の1人の男に結婚を申し込む探偵という図に、混乱以外の何を感じればよいのだろうか。 「馬鹿な事を」  皆が一様に呆けている中で、口を開いたのは葵だった。黙している事の多かった彼女の口から、存外に大きな否定の声が出た事で周囲ははっと我に返る。  それも束の間の事。彼らは葵の顔を見た瞬間に再び驚愕の色を浮かべることになった。  葵は普段のおとなしく物静かな雰囲気は鳴りを潜め、眦を吊り上げた顔を蒼白に染め、目の前の探偵の顔を睨みつけていた。その般若の如き表情の怖ろしきこと。自らの妻のそんな表情など見たこともなかった晴彦はごくりと唾を飲んだ。 「なつめは10年も前に死にました」  憤怒の塗りこめられたような声が響く。「何を言い出すのかと思えば、馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てる葵を、挑発するように知成はくつくつと笑った。 「いいえ、いいえ。私は事実しか申し上げていない。ここにいるのは正真正銘、五百蔵なつめでしょう」 「……お黙りなさい」 「10年前に死んだのはなつめさんじゃない」 「やめて」  葵が蹲った。 「井戸に落ちて死んだのは五百蔵イブキだ」  構わず告げられた言葉に「黙れ!」と葵の声が爆発した。  明確な憎悪を刻んだ顔が、飛び掛かるような勢いで近づいて来る。前に突き出された両手には小刀が握られていた。  咄嗟にイブキは知成の前に出た。  驚いた葵の手を右の手首で払って刃をいなす。身体の右側に流れていく彼女の白い手首をつかんでそのまま捻りあげた。 「あっ」  短い悲鳴を零した葵の手から小刀が落ちる。  カランと乾いた音を聞きながら、探偵は犯人の名前を告げた。 「——この事件の犯人は貴方だ。五百蔵葵さん」  そしておよそ探偵らしくないほの暗い笑みを浮かべるのだ。
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