I got rhythm―5

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I got rhythm―5

俺は棺桶のように横たわる監視船に近づくと、作業ユニットと船外活動ユニット(EMU)を繋ぐ命綱(テザー)を切り離した。主を失った作業ユニットが、ふらふらと虚空を漂いながら離れていく。俺は両腕に備わった小型推進装置(SAFER)を使って、船腹に設置された船外活動(EVA)用のハンドレールへ近づいた。船体に両足をついて衝撃を和らげ、両手でしっかりとハンドレールを握りしめる。船体に触れた足から反動が押し寄せる。俺は吹き飛ばされないように、ありったけの力を込めてハンドレールを握った。しばらくして、衝撃が収まると、俺は命綱(テザー)をハンドレールに固定して、後方の船外ハッチへと向かった。 薄灰色をした棺桶の先端にようやくたどり着いた頃には、俺の身体は乳酸で満たされてすっかり重くなっていた。船外ハッチの右側には小さな箱が設置されていて、表面には強化ガラスがはめ込まれていた。俺は強化ガラスの(ふた)を開けると、ヘッドセットから通信ケーブルを引っ張り出して壁面のプラグに差し込んだ。船体情報や勤務表といった情報のノイズが、ヘッドディスプレイを埋め尽くす。俺は幾重にも重なった情報タブの中から、有線通信の項目を見つけ出し、船内にいる誰かさんに向かって呼びかけた。 「JC〇五五三、こちら第七工区フィールド・オブザーバーのゴートだ。今、おたくの船外ハッチにいる。とりあえずロックを解除してくれ、詳細は後で話す」 懸命に呼びかけたが、梨のつぶてだった。素早く視線を動かして情報タブを切り替え、勤務表を確認する。ヘッドディスプレイに表示された橙色の(ます)()には、たしかに休暇(Holiday)と記されている。俺は小首を傾けて、もう一度通信を試みた。その刹那、ヘッドセットから伸びた通信ケーブルがぷつんと途切れた。視界の片隅を()()が通過する。強化ガラスのはめ込まれた小さな箱が、静かに音もなく、陥没した。(とつ)()に振り返ると、微細なデブリ群がこちらに向かって飛来していた。薄灰色の船体に無数の穴が穿(うが)たれる。命綱が切断されて視界が大きく回転し始める。針に刺されたような痛みが全身に広がり、俺は回転しながら宙を漂った。逆さまに見える監視船が、みるみるうちに粉砕されていく。砕かれた防護壁(バンパ)(かけ)()が俺の腹部にめり込む。俺ははじかれたピンボールよろしく、物凄い勢いで吹き飛ばされた。視界がぼやけ始め、痛覚が鈍り、やがて意識が遠のいた。 遠くで光が(またた)いている。頭も視界も(もや)がかかったみたいにぼやけていて、身体中がじんじんと痛んだ。下腹部が(ぜん)(どう)して吐き気を(もよお)した。俺はなすがままに任せて、口からそれを吐き出した。ヘッドセット内に紅い飛沫が飛び散った。目の前を漂う鮮血を眺めながら、俺は自分がまだ生きているという事実に思い当たった。視界が定まるようになると、俺はヘッドディスプレイに焦点を合わせた。視界の左半分を占めるほどの大きさで、でかでかと数字が表示されている。 【00:14:09】と示されたそれは、一見すると協定世界時(UTC)のように思われた。だが、刻々と減っていく右端の数字は、それが()()などではなく、()()であることを示していた。俺は自虐的に微笑(ほほえ)んだ。(もつ)()【00:13:56】まで減少したそれが示すのは、酸素残量だったのだ。つまり、俺の命はあと一三分しかないと、この数字は言っているのだ。俺は堪えきれなくなって、腹を抱えて(こう)(しよう)した。 「おい、ハーランド! 聞いてるか! 俺の命はあと僅かなんだとよ! 俺は宇宙の彼方(かなた)でひっそりと死んでいくんだ。誰にも看取(みと)られることなく、一人でな。いかにもジーザスの考えそうなことだ。お前もそう思うだろ、ハーランド?」 風にたなびく煙のように、俺はふらふらと虚空を漂った。両腕の小型推進装置(SAFER)は窒素ガスを失って使い物にならなかった。俺はただ、こうして漂うことしかできなかった。ずきずきと痛む眼を動かして、反応の鈍ったヘッドディスプレイを操作し、通信項目を呼び出す。通信ログの一番上にある母の名前に視線を合わせて発信する。だが、デブリの衝撃ですっかり馬鹿になったヘッドディスプレイ・システムは、母の名前の下にあった番号にダイヤルをかけた。通話をキャンセルする間もなく、相手が応答した。 「誰よ、こんな時間に……」 気怠げな口吻でそう言った声に、俺は目を見張った。物憂(ものう)げで色っぽいその声は、(まぎ)れもなく、別れた妻ジェニファーのそれだった。 「もしもし? 眠いから、もう切るわよ」 「待って、待ってくれ、ジェニー。俺だ! ゴートだ!」 俺は血の(から)まった喉から声を絞り出した。 「ゴート!? ホントにあんたなの? どうしたのよ、こんな時間に?」 「お前には色々と迷惑をかけてすまなかったと思ってる。でもな、これだけは覚えておいてくれ。俺はお前のことを本気で愛してた。(ジーザス)に誓って本当に、お前のことを愛してたんだ」 俺はそれだけ言うと一方的に通信を切った。感情が(ほとばし)って、思わず口から漏れた「(ジーザス)」という言葉に、偽りの気持ちはなかった。生まれて初めて口にした、心からの「(ジーザス)」という言葉を、俺は何度も何度も(はん)(すう)した。ヘッドディスプレイの数字は【00:06:41】と表示されていた。俺は胸の前で十字を切ると、両手をぎゅっと握りしめた。 胸に押し当てた手に、何かが触れた。胸の部分を手で探ると、長方形をした収納スペースの膨らみが感じられた。俺は手探りでその膨らみをこじ開けると、中身を取り出した。遠くで燃えあがる監視船が放つ(ほの)かな光にかざしてみると、それは手の中でキラキラと輝いた。船外活動(EVA)の時、ハーランドがいつも持っていた十字架のネックレス。金色に光るネックレスの鎖には、棒状になった紙片が結ばれていた。 俺は結びを解いて、くちゃくちゃになった紙切れを広げてみた。それはハーランドが欠かさず買っていた『パワーボール』だった。俺は擦り切れたバーコードをヘッドセットのカメラで読み込んで、当選結果を調べた。俺は思わず自分の目を疑った。何度も瞬きして当選結果を確認するも、結果は同じだった。【大当たり(ジヤツク・ポツド):七億九〇五〇万ドル】――ハーランドは、七億ドルもの大金を手にしていながら、それを受け取ることなく死んだのだ。そして今、その大金は俺の手中にあった。 「あぁ(Oh)……神様(Jesus)…… リズムがある(I got rhythm)…… 俺にも、リズムはあったんだ。ずっと前から。俺はそれに気づいてなかったんだ…… でも今なら分かる! あんたのことも、母さんのことも。俺にはリズムがあるんだ(I got rhythm)! だからお願いだ、神様(ジーザス)、俺にもう一度チャンスをくれ! もう一度だけ、チャンスを……」 遙か彼方で明滅する明かりに向かって俺は叫んだ。ヘッドディスプレイの数字は【00:02:59】を示していた。たった一人で漂う宇宙は、掛け値なしに美しく、神々しかった。
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