I got rhythm―2

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I got rhythm―2

二度目の電子音が鳴って、廃棄物回収船が到着したことを知らせた。俺は廃棄物格納モジュールを切り離(リリース)そうと、キーボードを操作した。その時、船体が再び大きく揺れ、それに続いて俺の耳を甲高い耳鳴りが襲った。突然の衝撃に、俺の身体は無重力空間を漂った。ようやく姿勢を取り戻した時には、船内のいたる所で警告音のファンファーレが鳴り始めた。甲高い耳鳴りと狭い船内に反響する警告音が幾重にも折り重なって、センセーショナルなメロディーを奏であげる。咄嗟に両手で耳を塞いでみると、耳鳴りがぴたりと止んだ。 「チキショウめ(damn it)! 空気漏れか!」 ひらめきと興奮がない()ぜになって、俺は叫んだ。不幸中の幸いで、まだ酸欠の症状は出ていない。壁に取り付けられた移動用のグリップを使って、船尾へと急行する。全長五十メートルの廊下を突き進んで、目的の物を探す。さらに加速しようとグリップに手を伸ばした時、俺の視界がぐるりと回転し始めた。左手はグリップをつかみ損ねて空をさまよい、俺は姿勢を崩して壁にぶつかった。目視で分かるほど、先刻の場合と比べて回転速度は速かった。再び悪態をつこうとしたその刹那、視界の隅に目当ての物を見つけた。 赤いマーカーのついた右側の壁に、【非常用】と書かれた銀色のケースがベルトで固定されている。青いマーカーのついた面が本来の床だから、赤色は静止状態における天井を示している。まぁ、弾丸のごとく回転している今となっては、物の数ではないけれど。俺は大勢で縄跳びを跳ぶ時の要領で、回転するタイミングを見計らうと、銀色のケースにしがみついた。固定ベルトを外して、中身を検める。中には二酸化炭素を使った携帯型消化器が収まっていて、その横には過般型呼吸器があった。俺は呼吸器で口を覆うと、目一杯新鮮な酸素を吸い込んだ。脇に呼吸器を抱え込んで、右手で消化器をしっかり握ると、両足で回転し続ける壁を思いっきり蹴って、さらに船尾へと向かった。 船尾の一室は、三台の作業用ユニットを収容する場所になっていた。俺たち現場監督がポーカーに(うつつ)を抜かしている間、この作業用ユニットが実際的にコロニーを建造しているというわけだ。民間のロケットが有人飛行に成功したのは、約一世紀も前のことだ。その十五年後には、富裕層の連中がバカンスの候補地として火星に目を付け始める。だが、今から(さかのぼ)ること三〇年前、火星は(けい)(しよう)()としてではなく、第二の地球として利用されることになる。 歯止めがきかなくなった温暖化に加えて、水不足が深刻化したのだ。海面水位は上昇の一途をたどり、紫外線は人体に影響を及ぼすと言われている第三ライン(訳注:WHO『地球温暖化と紫外線の展望』を参照)を(やす)(やす)と突破した。そして、国連の()(じん)がようやく重い腰を上げたのが、今から約二〇年前のこと。 だが、我らが合衆国は二〇一〇年頃から宇宙への移住計画(通称:プランB)を秘密裡に進めていた。歴代大統領の抜け目なさを踏襲して、いち早く覇権を握ろうと暗躍していたのが功を奏した。これには流石のニクソンも腰を抜かすだろう。かくして昨年、我らが第二の故郷『コロンブス・コロニー』は完成した。このデカ物の建設費用は、先進国が共同で出資する形で折り合いがついた。と言っても、合衆国と中国の二カ国を合わせただけで、全体の六割にもなるのだが……   そうだ、相手がソビエトから中国に変わっただけで、実相は冷戦時代と同じ構図なのだ。先週のABCニュースによると、中国は国連の勧告も無視して、火星の表面に建造物を作り始めたらしい。その辣腕ぶりには驚くばかりだが、実態は釈然としない。中国の宇宙局とも、軍事基地とも言われているが、詳細は不明だ。 コロニーは完成した。だが、政府の予想とは裏腹に、人々は地球(ホーム)を手放そうとはしなかった。クラスの席替えやら、モンゴルの民族大移動とは(わけ)が違うってことだ。地球からコロニーまでは、旧世代型のロケットの航行速度、つまり秒速四〇kmですっ飛ばしたとしても丸二月はかかる。冬眠カプセル、俗に言う『ビバップ・カプセル』を使えば、ぶっ通しで四〇日は眠ることが可能だ。 だが、ずっと寝入りを決め込んで宇宙空間を彷徨(さまよ)うのは(もつ)(たい)ないと思わないか? そこで、我らが合衆国政府は、あることを思いついた。早い話が、高速道路(フリーウェイ)の脇にあるレストエリアを宇宙でも作ろうってことだ。完成した暁には、地球とコロニーの間に三つのレストエリアが並ぶことになる。そのうち、最も地球に近いものを、目下俺たちが――といっても、実際には機械が全部やってくれるのだが――造ってるというわけだ。 船尾に位置する格納庫で、俺は冷却下着と船外活動ユニット(EMU)を装着した。大昔は数時間もかけて脱窒素作業(プレブリーズ)をする必要があったらしいが、今のご時世、EMUを装着するのはブラのホックを外すのと同じくらい簡単になった。だが、回転し続ける船内で装着するとなれば話は違ってくる。回し車で転んだラットよろしく、俺は床をのたうちまわってEMUを装着した。多層構造になった伸縮性素材が全身にぴたりと吸い付く。 生命維持装置を背負い、船外活動(EVA)カフ・チェックリストを袖口にはめると、俺は壁に設置されたレバーを引いて船外ハッチを減圧した。なおも回転し続ける壁の一辺に並んだランプが青緑色に点灯する。巨大なマンホールのような円形をした扉を開く。減圧されたエアロックへ進んで、もう一枚の扉を開く。内開き構造の扉の奥には、ドッキングした廃棄物回収船があるはずだった。だが、僅かに開いた扉の隙間から見えた光景は、俺の淡い希望を(しゆん)(れつ)に打ち砕いた。 俺の目の前には、(せい)(ひつ)たる真空が広がっていた。風が吹くこともなければ、小鳥のさえずりが聞こえるわけでもない、およそ自然とは無縁の(せき)(ばく)たる宇宙が。(ひさ)(かた)ぶりに()の当たりにした宇宙空間に、俺はしばらく呆然としていた。ハーランドが言っていた「神々しい」という表現には同意しかねるけれど、果てしなく広がる余白は、モダンで洗練されたミニマルアートのような美しさを放っていた。 こんなにも美しい光景を作ることのできるジーザスは、思いのほか繊細なデザインセンスの持ち主なのかもしれない。(とう)(ぜん)としていた俺のヘッドディスプレイに、橙色の通知が表示された。目線を動かしてディスプレイを操作すると、視界の片隅に通信画面が表示された。 「おい、ゴート! 大丈夫か!」 ジェイコブスの興奮した声が、ヘッドセット内に響き渡る。 「コブ、どこで油売ってやがった! 俺が通信した時は梨のつぶてだったろうが」 俺は通話音量を最小に絞った。喚き散らすようなジェイコブスの話し方は、最小の音量でも十分に聞こえた。 「お前の船が回転してるもんだから、俺だって通信を試みたんだがよ、お前さんとこの通信系が死んでてお手上げだったのさ」 「じゃぁ、今俺たちがこうして通信してるのはどういうことなんだ、通信兵さんよ?」 「EMUの通信規格は、それ自体が独立してるからな。赤色の緊急事態(エマージェンシー)手順書(マニユアル)に書いてあったろ? 読んでなかったのか?」 「ちぇっ! 俺が読むのはダービーの下馬評とプレイボーイのグラビアだけなんだよ。そんなことより、俺の回収船はどこ行きやがったんだ、くそったれ(Fuck)!」 その時、ロブスターのような形をした作業ユニットが一機、視界の片隅に現れた。ひょろりと伸びた二本のマニピュレータは、遠くから見ると本当にロブスターの(はさみ)のようだった。 「回収船なんて見かけなかったぞ。二日酔いで夢でも見てたんじゃないのか?」 接近してくる作業ユニットから焦点をずらして、ヘッドディスプレイ内のメニュー画面を開く。船体コントロールシステムに接続して、通信ログを調べると、そこには確かに【UTC11:14 廃棄物回収船CP-03】と表示されている。何らかの原因でエラーが起きたとしか考えられなかった。機械は人間よりも完璧だと、俺たちは盲目的に信じきっているが、機械だって俺たちを裏切ることがままあるのだ。もし全世界の時計が、一秒ずつズレていったとしたら? いったい何人の目ざとい奴らが、その事実に気付くだろうか。俺たちは機械を使うために彼らを生み出した。だが今や、その主従関係はあべこべになってしまった。人間が機械に命じるのではない、機械が人間を操っているのだ。 「乗れよ、ゴート。この空域を離れるぞ。どうにも船の動きが怪しい」 いつの間にか目前に迫っていた作業ユニットには、ジェイコブスが乗っていた。俺は床を蹴って推進力を得ると、狂ったように回転を続ける船を脱出した。
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