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I got rhythm―1
人生にはリズムがある。JFKも、ジョン・レノンも、ジェームズ・ディーンも、みんな独自のリズムを持ってたんだ。だけど、俺はそのリズムに乗り損ねてしまった。そのリズムは神によって作為的に選ばれた人間にのみ与えられる。それがいつ、どんな方法で与えられるのかは、この大宇宙を司る神にしか分からない。俺たちは、ただ神の気まぐれに翻弄されるだけなのだ。
同僚のハーランドは昨年、デブリに頭を吹き飛ばされて逝っちまった。俺と一緒に船外活動をやってる最中に、手品みたいに消えちまった。ハーランドは程々をわきまえた男だった。ツーペアでブラフを張れるくらい、肝の据わった男じゃなかった。何事にも慎重で消極的だったけど、あいつが俺と違うのは世知に長けてたことだ。つまり、思ってもいないことを、さらりと口から放り出す器用さを、あいつは持っていた。デブリに頭を砕かれる二日前、やつは俺にこう言ったんだ。
「俺はジーザスなんて一ミリも信じちゃいないが、たった一人で漂う宇宙はなかなか神々しいもんだったぜ」
信じられるか? あいつがジーザスの名前を口にする時は、十中八九競馬で金をスった時と相場が決まっている。その上、あいつの葬儀で無精たらしい神父が語った別れの言葉ときたら噴飯ものだったね。神は乗り越えられない試練を与えはしないのです、と抜かしやがった! どうして俺が、今になってあいつのことを思い出したのかって? 話は簡単だ。たった今、俺はハーランドと同じ末路を辿ろうとしているからさ。その発端は今から四時間前に遡る。
あの時、俺は中立姿勢で映画を観ていた。セリフをそらで言えるくらい、何度も繰り返し観た古い映画。コネチカット州にいた頃は、ソファに寝転んで観るのが常だったが、宇宙では胎児みたいに身体を丸める中立姿勢で観なきゃならない。ハーランドが生きてた頃は、午前の定時報告を終えたら真空パックされたビールを肴に、ポーカーに興じるのが日課だった。
だが、今や俺の話相手といえば、下卑たジョークを連発する旧世代型の作業支援ロボットが一匹だけ。起動する度にユダヤ人の俺を侮辱するもんだから、バッテリーは半年前から抜いたままにしてある。物言わぬ機械の友人に向かって、俺は一方的に話しかける。
「おいチャッキー、今のシーン見たか? ここだよ、ここ! 画面の左端にスターバックスのロゴが写り込んでるだろ? こいつはサブリミナル的な演出なんだぜ、知ってたか?」
チャッキーは、落ち窪んだ瞳をあらぬ方向へ向けて、沈黙を守っている。
「どうしたんだ、チャッキー? えぇ? えらく機嫌が悪いじゃねぇか」
俺は物言わぬ友人の頭を無造作に叩いた。ハーランドが逝ってこのかた、反応の返ってこない会話――一方的に言葉を投げかけるこの行為を会話と呼べるのなら――はいつしか習慣になった。その時、頭の中で甲高い耳鳴りが響き渡った。耳鳴りなんぞで動揺するには、あまりにも歳を食い過ぎていた俺だったが、いくら経っても治まる気配がない。ウォッチデバイスでバイタルを確認してみたが、異常らしきものは見当たらなかった。急に不安に駆られた俺は、しばらくその場で立ち尽くしていた。
視界の端では、スニッカーズの包み紙が気怠げに漂っていた。足元には真空パックされたビールの残骸が転がっていた。俺は生活臭かぐわしい船室をぐるりと見回して、今日は何曜日だったか思い出そうとした。水曜日なら廃棄物の回収船が、もうじきやって来る頃合いだった。その刹那、船体が僅かに揺らいだ。咄嗟に耳を澄ませようとしたが、相も変わらず耳鳴りがひどくて一向に意識が定まらない。俺は、「くそったれ」と悪態をつきながら床を蹴って私室を出ると、脇目も振らずに船首へ向かった。
船首には大きなモニターがいくつもあって、レストエリアの建設状況やら、建設予定を示すガントチャートが映し出されている。正面のモニターの背後には、申し訳程度の小さな窓があって、強化ガラスがはめ込まれている。その窓にじっと目を凝らすと、隣の作業エリアに停泊しているジェイコブスの船体が確認できた。人の気配を感じて胸をなで下ろしていたのもつかの間、棺桶みたいに細長い薄灰色の作業船は、窓枠の外へ向かってゆるやかに流れていくではないか。
スラスター噴射の燐光も無しに、船体が移動しているとすれば結論は一つしかない。奴の船ではなく、俺の船が移動しているのだ。心臓が早鐘のようにビートを刻み始める。手のひらに粘っこい汗がじわっと広がる。おそるおそる、手近にあるモニターで船外カメラの映像を呼び出すと、俺の予感は的中していた。目が回らない程度の速度を保って、俺の船は回転していたのだ。八つあるカメラのうち映像が確認できるのは二つだけで、残りは冷然と【No Signal】を示している。生きているのは船首から向かって右後ろと左前の映像だけで、船外の様子を推測するには如何せん情報が少なすぎた。
俺はキーボードを引っつかんで床に固定された椅子に腰を下ろすと、モニターの表示を船体情報に切り替えた。船体コントロール画面を開いてスラスター噴射を作動し、同時に別の画面で姿勢制御システムを呼び出す。省スペース化を図って排除された物理的な操舵手が無性に恋しくなった。こういう逼迫した状況下では、物理的でアナログな機械が与える安心感が必要だった。船体コントロール画面は、この船が反時計回りで回転していることを示していた。シートの安全ベルトで腰を固定してから、姿勢制御システムのパラメータを入力し、三秒間の逆噴射をかける。身体中に強引な力が加えられ、そこへ耳鳴りが便乗して俺の忍耐力をあざ笑った。ほどなくして、船体は停止した。
俺は安全ベルトを外し、隣の作業エリアで待機しているジェイコブスへ通信を試みた。だが、俺の切実な嘆願はむなしく空を漂った。通信系が死んでいたのだ。頼みの綱が途絶えて落胆しなかったと言えば嘘になるが、この時の俺はそれ以上に激高していた。ジーザスのくそったれ野郎め! 世俗の喧噪から逃れるために、宇宙開発事業部への転属を希望した結果がこの有様だ。人と関われば面倒に巻き込まれるだけだ。そういった世間の塵埃に心底嫌気が差したから、重力とはきっぱり別れを告げたというのに、どうやらジーザスは底なしのサディストらしい。俺が苦痛に喘ぐ様子を見て夕飯の余興にしようという魂胆だろう。
そうはさせるもんか。たとえ、あんたがリズムを与えてくれないとしても、俺は自分の力でもう一度リズムに乗ってやるんだ。ええい、畜生め! 俺だって、その気になりゃもう一度……
その時、俺の背後にあったモニターが軽やかな電子音を発した。頭だけ動かして後ろを見やると、画面の右端には【接近:廃棄物回収船】と表示されている。あまりにも間の抜けたその通知音は、まるで事情を知らない子供が夫婦げんかの現場に遭遇したような、不釣り合いな温度差を感じさせた。俺は頭の中で両親を思い浮かべた。
母とは五年も顔を合わせていないし――もっとも、顔を合わせたとしても次の瞬間には口論に発展するのがオチだ――父は十年前に鬼籍に入った。どうして今になって、両親の顔が浮かんだのか分からないけれど、生命の危機に瀕した時にみられる、動物的な本能がそうさせたのかもしれない。母と最後に会ったのは、ジェニーと別れる半年前のことだった。
ジェニーは地元の幼なじみで、地元のバーで再会し、やはり地元の教会で結婚した。プレイボーイの表紙を飾っても遜色ないほどの、とびっきりの美人だったが、まるで、そうしないと美貌を保てないかのように毎晩深酒するのが玉に瑕だった。あいつは別れ際に、「あんたと結婚して三ヶ月後には、カールとデキてたのよ! このろくでなし!」と顔をしわくちゃにして喚き散らした。そういう女だったんだ、あいつは。いつからだろう、俺がリズムに乗り損なったのは。全部、あのくそ忌々しい、高慢ちきなジーザスのせいだ。
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