序章

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序章

俺は素藤沈一、普通の高校生男子だ。 苗字は[すとう]で名前は[じんいち]と読む。決して[ちんいち]ではない。名付けたのは母方の祖父。本当は湛一と書きたかったらしいジイちゃんの漢字間違いを、誰も訂正できずに届け出た結果がこれだ。 小学生時代、たしか高学年の頃にパンツ一丁ならぬ[ちんこ一丁のちんいち]なんてアダ名をつけられたものだ。しかし、それは純然たる全裸でしかない。「それでは単なる全裸でしょう」と異議を申し立てたのは当時の学級委員長だったが、俺は今でも覚えているし恩にきている。ただ残念だったのが、その子が女子で中国人とのハーフの子で、名前が清一色だったことだ。いっしきちゃんと呼ばれていたが、一部の麻雀を知る物好き男子からはチンイーちゃんと呼ばれていた。同じように名前をからかわれる立場にあって共感と同情は抱いていたものの、互いに距離を縮めては尚更ややこしい事態に陥ることを察してかそれ以降は何も発展せずに卒業に至った。真面目な可愛い子だったが、影ではいじられていたというかイジメられていたらしく中学への入学を機に隣町に引っ越して行った。今思うとなんとなく惜しい気持ちが募ってくる、ささやかな思い出の一つだ。 なんて、物思いに浸っている場合ではない。 そこはかとなく中華系な周囲の色彩に、うっかり淡い記憶が引っ張り出されてしまったが……今はそれどころではないのだ。 まさに緊急事態が起こっている最中なのだから。 なんと、朝に目覚めたら……俺はちんこを失っていた! 常にあったものが跡形もなくなり、代わりに見慣れない双丘がついている。これはなんだ?女体化というやつか? 寝起きのぼんやりとした思考で、嬉しいような悲しいような複雑な気分を味わう羽目になるとは……なんて日だろうか。しかもそこにちょっとした恐怖を加えているのが、現在俺のいる場所がいつもの自室でないということだ。ほんのり古風で、いかにも中華色のある部屋。豪奢とまでいかないが、中々に洗練された部屋だった。一昔前の中華系の映画か韓流ドラマに出てきそうな、貴族が住まう屋敷みたいな……そんな感じだった。 一体何が起こったのか、どんな珍事に巻き込まれてこうなったのか俺に分からない。無理を承知で誰か説明してくれと願うが、此処には俺一人しかいない。 部屋の外に出てみる?この訳のわからない状況で?それは危ないのでは?しかし、このままでは何も始まらない。と、脳内会議は早々にして困惑と危機感に行き詰まった。 途方にくれた俺は一夜にして長くなっていた黒髪を、驚きつつも掻き乱しながら頭を抱える。祈るように目を閉じた、その時だった。 『混沌とした思考もようやく一段落つきましたか?そろそろ神の使者として今回のミッションの説明に入らせてほしいのですが、よろしいです?』 知らない声が脳内へ直接に割り込んできた。 それは文章にもなって、まるで動画コメントのように頭の中を右から左へ流れていく。 「いやいや、何これ!?不気味!気持ち悪い!新感覚!」 なんとも形容しがたい自称神の使者の声を暫定的に天の声と名付けつつ、俺は奇妙な感覚に耐えかねて素直な感想を口にした。 『気持ち悪いは傷つきますね。気分を損ねたのでさっさと用件だけ伝えますね』 「えっ?ちょっ、待てって!」 『あなたには()家の娘として後宮に入り、帝を攻略してもらいます。皇帝の心を手中に収めること、それが元の居場所に帰還する為の条件です』 「いや待て!意味がわからない!そもそも此処は何処なんだよ?」 『機密事項なのでわたしからは答えられません。時間逆行でも異世界転生でも、パラレルワールドでもVRでも何でも構いません。あなたの納得できそうな言葉で適当に想定してください』 「投げやり!?それ酷すぎないか?」 『とりあえず着替えて部屋を出なさいな。()家の御夫妻が待っていますよ。まあ居場所が解らなくても、後宮までは従者に送ってもらえるので安心してください』 「全然安心できない!」 『とにかく、あなたが元の身体と居場所を手に入れる為には皇帝陛下の寵愛を得る必要があります。期日は設けませんが、早く帰りたければキビキビ動くことです。……では、わたしは失礼します。何かあればこちらから連絡しますのでよろしくお願いします』 一方的に語り、天の声はふつりと途絶えた。 「はあ!?まだ俺の質問は終わってないんだけど!……ええっ?あの野郎、ホントに失礼しちゃったよ!?」 声に出して話しかけても、強く念じても応答なし。神の使者と言いながら、色々と失礼な奴だ。寧ろ悪魔じゃないかと疑う。心の中でめっちゃ悪口言ってやった。 しかし、何も起こらない。 「仕方ない。とりあえず……外行きっぽい服を着て出るか」 あえて思考を声に出すことでやる気を奮い起こし、俺は寝台から這い出た。 見慣れない女声の身体と、着たことのない服に悪戦苦闘して。部屋を出た頃にはなんかもうヘトヘトだった。 桃色の着物を身に纏い、おそるおそる扉を開けてそっと足を踏み出した。人の話し声がする方に気配を消して歩いて行き、居間っぽい所をこっそりと覗き込む。まだ若々しく見える二人の男女が仲睦まじく団欒していた。 女の人の方は小柄で優しげな美人さんで、男の方は美形だけどカタギっぽくない雰囲気を醸し出している。二人がこの体の持ち主の両親なら、俺が今なっている素家の娘とやらもそこそこ可愛い子かもしれない。 俺は目が覚めてから未だに自分の顔を見られていない。部屋に鏡がなかったから触ることでしか確かめられなかったのだ。なんか額にデキモノがある以外は普通に感じたが、実際に目にしないことには些か不安が残る。とはいえ、親である可能性大の二人に「私、きれい?」なんて訊けないし。さて、どうしたものか。そもそも二人に対面した際の第一声が悩みどころだ。天の声は親切にも日本語だったが、居間にいる二人はどう見ても中国人っぽい。 さっき天の声につい文句を言った時は、自分も日本語だったけど、通じなかったらどうしよう? 「ねえ?そこにいるのは分かっているのよ?早くママに晴れ姿を見せてちょうだい?」 どきりと鼓動が跳ねた。 どうやら気づかれていたらしい。驚いたが、躊躇いは数秒。甘く穏やかな声につられるように俺は居間に踏み込んだ。 これが異世界転生なら自動翻訳スキルでも付与されているのだろうか?都合よく日本語が通じることに安堵しつつ、ぺこりとお辞儀してみせる。 「おはようございます、お母様にお父様。今日もご機嫌麗しゅう」 キョトンとされた。 努めてお嬢様のような振る舞いをしてみせたのだが、間違えてしまっただろうか?後宮が何かは知らないが、皇帝に見初められるべく育てられた娘なら令嬢風なはずだと予想したのだが。 「ははっ、もしかして緊張しているのか?俺達にまで畏まる必要はないんだぞ?いつも通り気楽にやれよ」 一拍置いて父親らしき男が微笑みかけてきた。強面なのに、笑うと結構優しげだ。 「は、はい。あ、いや……うん?」 「ああ、そういえば昨日はよく眠れたかしら?魔石の具合は?頭痛とかはなかった?」 ぎこちなく頷く俺に、母親の女性が尋ねてくる。 「ん、ちゃんと眠れたけど……マセキって?まさか、ファンタジーとかにありがちな魔の石って書く魔石?」 初めて耳にした言葉を、漫画で得た知識で脳内変換して聞き返す。 戸惑いの表情を一瞬浮かべた暫定母さんは、くすりと笑って手を振った。 「いやねえ、熟睡し過ぎて寝惚けているの?それとも昨日の今日だから忘れちゃったのかしら?」 「先日、額にはめ込んだばかりだしな。まあ、それくらい気にならないなら大丈夫だろう。問題ないさ」 「そうね。一時は魔力が暴走しかけてどうなるかと思ったけど、安定したみたいで何よりだわ」 混乱する俺をよそに多分両親は二人してにこやかに話を進めている。 「えっ?今、額に……はめ込んだって聞こえたんだけど?どういうことなの?」 俺はか細い声で、信じがたい話の内容を怖々と問いかける。 「そういえば暴発のせいで部屋の鏡が割れたんだったな。よく見たら化粧も忘れているじゃないか。まったく、そそっかしいな」 「お化粧はママが手早く綺麗に仕上げてあげるから安心して。この手鏡を貸してあげるから、あなたは化粧箱を持ってくる間によく見て思い出しなさいね」 二人はなんてことないように笑い合っているが、俺の理解は置いてきぼりだった。 しかし、渡された手鏡を見て嫌が応にも分かってしまった。 「できものじゃなくて、石だったのか。やけに硬いとは思っていたけど。……しかも青いし、ほんのり光ってない?まさか宝石?ラピスラズリ的な?」 中々に可愛げのある顔よりも、額にぴったりと嵌め込まれた異物に目がいった。 つい考えたことをそのまま口にしてしまったが、席を立った母さんもまだ笑っている父さんも気にしていないようだ。 しかし、俺は気になって仕方がない。自覚した途端に違和感を覚えて落ち着かない。 「ええと、寝起きでど忘れしちゃったんだけど……魔石って何の為にはめてるんだっけ?」 鏡面とにらめっこする俺にほのぼのとした眼差しを向けてくる父さんに、意を決して尋ねてみる。 「ん?そりゃあ後宮で魔法を使えるようにする為だろう?昨日は何故か家の中で魔力が発動して驚いたが、まあ最初だから何かしら体が反応したんだろうな。今はなんともないようだし大丈夫、大丈夫」 「それって、イレギュラー的なアレなのでは?なんか……心配だなあ」 よくよく見れば綺麗な青い石を眺めながらモヤモヤとした不安感を抱く俺。しかし、時は無情に進んでいく。 化粧をしてもらった俺はあれよあれよと言う間に美味しい朝食を頂き、気がついたら身なりを整えられ、きっちりと人力車みたいな乗り物に座らされていた。 「「いってらっしゃい!頑張って!!」」 温かいエールを送られて、引き攣った笑顔をなんとか作りながら「いってきます。……頑張ります」と応えた。 刹那、がくんとした衝撃と共に走り出す車的なもの。訳のわからないまま、俺のミッションは始まった。
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