らせん階段

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らせん階段

ac50d954-f877-4c69-bda3-bf2b71f01883 「その犬と豚のどこがどう違うんだ?」 高校1年の秋だったと思う。その日は、朝から冷たい雨が降っていた。シャッターの降りた八百屋の軒下、ダンボールの中で子犬が震えていた。箱にはタオルが敷き詰められていたが、糞尿のせいですっかり汚れていた。子犬は鳴き声を上げることもなく、壊れたモーターのように小刻みに震えている。底が抜けないよう慎重にダンボールを拾い上げ、そのままアパートに連れて帰った。湿ったダンボールは「腰」がなく、思った以上にずしりと重かった。出来の悪い青春ドラマのワンシーンのようだが、すべて実話である。 僕は、家の事情で高校に入るとすぐに六畳一間のアパートを借り、一人暮らしをはじめた。生活費は、半分を親に出してもらい、残りの半分はアルバイトでしのいだ。ご多分にもれず、アパートは不良のたまり場になったが、それはそれで楽しかった。電気ストーブのスイッチを入れ、乾いたタオルで体を拭く。しばらくすると震えは収まったが、怯えているのか弱っているのか、子犬は鳴き声ひとつ上げない。温めた牛乳を近づけると、少し飲んだ。ミルクを舐める音と雨音が溶けあった。 暗く湿ったアパートに子犬と16歳。世界には、ふたつの生き物しかいかいような気がした。と、同時に、子犬はまるで自分の分身のようだった。アパート1階のピンク電話から、先輩Tに電話をした。バイト先のマクドナルドで知り合った早大の三年生だ。僕は彼を兄のように慕っていた。Tが相手をしてくれると、自分がいっぱしの大人になったような気がして嬉しかった。「いるから来いよ」。受話器を置くと部屋に戻り、子犬の様子を確認するとTの住むマンションに向かった。犬は腹がふくれたせいか、タオルに包まってかすかな寝息を立てていた。マンションまでは歩いて3分とかからない。雨はすでにやんでいたが、空は鉛色のままだった。 「で、その犬、どうするんだ?」 「わかんない。震えていたし、雨が降っていたし……」 「お前のとこじゃ飼えないよな。ここでも無理だ」 「でも、かわいそうじゃん」 Tは、乱暴にタバコをもみ消すと、湯を沸かしにキッチンに立った。湿った空気が薄く開いた「サッシ」から流れ込み、鉛色の沈黙が部屋を満たしてゆく。 「おまえさあ……。トンカツ好きだよな? その犬とトンカツはどこがどう違うんだ? もともと同じ生き物じゃん。殺されて食われる豚はどうでもよくて、その犬だけ特別なのか? 飼えもしないくせに拾ってきて、かわいそうはないだろ? いいこと教えてやるよ。お前のそういうとこ、世間じゃ偽善って言うんだ」 反論できなかった。そのままアパートに帰り、子犬をもといた八百屋の軒下に戻す。道すがら子犬は見ないようにした。両腕に伝わるダンボールの重いような軽いような奇妙な感覚は、今でもはっきりと覚えている。 この話には、なにもない。示唆的なものも教訓もオチもない。食物連鎖によって種をながらえることは自然の理(ことわり)で、それを議論したところでなにも生まれない。生きているものを殺め食わなければ、自分が死ぬだけだ。簡単な話である。 けれども、僕は、これをきっかけに変わった。わかりきっていること、考えたところで埒のあかないこと、意味があるとは思えないことを、思い考える。気がつくとそれが習い性のようになっていた。私とはなんであるのか。なぜ、死ななければならないのか。生きることに意味はあるのか。なぜ、なにかが「ある」のか。なぜ「ない」ではないのか。 終わりのない螺旋階段を、昇ったり降りたりしているようなものだ。眺める景色が多少変わったとしても、自分はそこから一歩も動いていない。そんなことを考える暇があるのなら、ほったらかしにしている企画書を一行でも埋めるべきだと思う。 人生の「密度」とはなんだ。 幸せな家庭を築くこと。子どもの成長を見守ること。富と権力を手に入れること。芸術にのめり込むこと。ここにも正解はない。そのどれもが、「その人にとっての密度」なのだと思う。それが、たまたま僕の場合は、終わりのない螺旋階段を昇り降りすることなのだ。堂々巡りで、自分を前に進めることができなかったとしても、そこから見える景色を、僕は気に入っているのだと思う。 (drawing:Kiki Smith)
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