キリンの子

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キリンの子

f9ca216e-dc29-4853-ad2b-8b609a2186ce 昨日、いや、正確には一昨日の夜。たまたまテレビのスイッチを入れると、歌人の鳥居さんが出演していた。「鳥居」は、姓でも名前でもなく、「彼女全体」で鳥居さんだ。彼女全体という表現は、なんだかヘンだけど。 番組はドキュメンタリー風ではあるけれど、広い意味でのバラエティ番組だ。何人かのゲストがスタジオに招かれ、再現VTRとともに、自分のこれまでの人生を振り返る。番組のテーマは「逆転」。苦難のどん底から這い上がり、いかにして私は今の成功を手にしたか。 正直に言うと、この手の番組は好きじゃない。人の成功談を聞いても、それを実践したとしても、同じような結果になるとはかぎらない。たとえて言うなら、ファッション雑誌で感じの良いシャツを見つけたところで、それが自分に似合うかどうかは別問題だ。 なぜ、チャンネルを変えなかったのか。それは、鳥居さんが歌人で、初めて出版した歌集『キリンの子』が爆発的に売れ、増刷が間に合わないと番組で紹介されていたから。僕は短歌の門外漢だけれど、短歌を読むのは好きだ。 彼女の生い立ちについて触れておこう。 幼い頃の両親の離婚。小学校時代のいじめ。母親の自殺。預けられた擁護施設で教諭から「ゴミ以下の人間」「自殺するなら遺書を書け」と罵られたこと。職員や施設の子どもたちによる虐待と暴力。やがて、たったひとりの肉親だった祖母もこの世を去り、彼女は、正真正銘の天涯孤独になる。そして、住む家も失いホームレスへ。ホームレスになった彼女は、新聞を拾い集めては「コラム」を切り抜き、それを大切にリュックに保管していた。そこには、一日一語「ことば」にまつわる、さまざまなエピソードが綴られていた。コラムから彼女は語句を学び、言葉の力に引き寄せられてゆく。 彼女の成功に三人の歌人が関係している。コラムの筆者。はじめて図書館で手にした歌集の歌人。そして「君は短歌を詠みなさい」と助言した歌人。 好きな短歌をノートに書き写し、読めない漢字があったら辞書を引きルビをふった。やがて彼女は才能を開花させる。応募した短歌が約3000首の中から佳作に選ばれ、ウェブに発表していた歌は、徐々にファンを増やしていった。 番組の中で印象的だった言葉がある。「自分は生きていていいんだ」「私のような人間でも、きっと誰かの役に立つ」。手垢のついた言葉かもしれない。けれども、「死ね」「ゴミ以下」と罵られ続けた人間のそれは、重さが違う。今も、彼女がどこかで歌を作り続けているだろう。そのことを想像するたびに、僕は勇気をもらう。言葉の力を信じようと思う。キリンの子でいたいと思う。 目を伏せて空に伸びゆくキリンの子 月の光はかあさんの色   鳥居 (2016年5月記 松本大洋・画)
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