2/9
前へ
/39ページ
次へ
食料品を買いにスーパーへ行くと、入り口に桃が並んでいるのが目についた。 そういう季節だった。 「佳奈ー、ちょっと手伝ってー」 夏休みになり、私は実家に帰ってきていた。 母に呼ばれてお盆の準備を手伝う。祭壇を組み立て、お供え物を配置し、祖母の遺影を飾った。はにかんだように微笑む祖母と目を合わせる。 「透君、今年も来るかしらね」 提灯を持ってきた母が言った。 「どうだろうね」 「連絡とってないの?」 「うん」 「あーら、そうなの。お母さんは楽しみなのに。透君、毎年カッコよくなっちゃって」 提灯を設置すると、母は遺影に目をやった。 「二人ともおばあちゃん、大好きだったもんねえ。おばあちゃん、おばあちゃんって」 「そうだっけ?」 「夏はいっつも、ばあちゃん、桃、桃! 桃ちょうだい! って。『美里さん、みんな子どもたちに食べられちまったよ』って毎年言ってたわねぇ。私がいつも、さあ食べようと思うときには、もう全然残ってないんだもん」 母はおしゃべりな方ではないが、この日は饒舌だった。 「あんたなんか、毎日お気に入りのワンピースを着て桃をかじって、そのびしょびしょの手をワンピースの裾で拭くから、いつも裾の色が変わっちゃって、それなのに、私のワンピースが汚くなったー! って泣いて当たり散らして」 「やめてよ、子どもの頃のことでしょ」 「いつぐらいまでだったかしらね。毎年そんなことがあったわね」 母は昔の話をあまりしないのだが、楽しそうに話した。親戚が桃をやめる、と言ってきたからかもしれない。 「隣の息子は服を汚さないのに、っておばあちゃんよく言ってたわ」 思い出話は、大抵透とセットになっている。周囲の人の記憶を含め、切り離してしまっておくことは、ほぼ不可能だ。 でも出来事と感情は分けることができるはずだ。感情は、今ここから紐付ければいいもので思い出とは別にできるんじゃないだろうか。 「 会いたくない」とはっきり思ってから、「別にどうでもいい」と思えるくらいの時間がたち、「結局幼馴染という関係からは離れられない」という考えにたどり着いた。 同じ時間を共有した者同士、昔の話をしてみたい、なんてことも考えたりした。きっと自然に話ができる。 でも、私は私自身のことを何一つわかっていなかった。 そんな理屈じゃない。
/39ページ

最初のコメントを投稿しよう!

24人が本棚に入れています
本棚に追加