新しい先輩と古い先輩

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新しい先輩と古い先輩

 いつもと変わらない日曜日だった。いつの間に寝たのかも憶えてない。目覚めると、いつものようにベッドの上で、俺は目覚めの心地よさに浸りながら寝返りを打った。ベッドサイドに敷いた布団には、先輩が横たわっている。しばらく見下ろしていると、その背中がくるっとこっちを向いた。目が合うと先輩も横たわったまま『おはよう』と言った。  「あ、おはようございます…なんか俺、いつの間に寝たんだろ」  部屋を見渡して状況を確認する。程々に雑然とした部屋。多分、最後の方は片付けもそこそこに寝たんだろう。部屋の隅に押しやったテーブルの上に空になったペットボトルが並んでいた。俺は寝ぼけた頭で、昨晩のことを思い出していた。いつものように先輩と…?  先輩が起き上がって、布団を片付け始めた。  「いい天気だね、少し太陽に当てておこうかな」  先輩はベランダに繋がる掃き出し窓の前まで布団を持って行くとカーテンを開け、くるりと巻いた布団をそのまま窓越しに立て掛けた。何度も見たいつもの朝の変わらない光景。その背中をボンヤリと目で追っていた俺は、あることに気がついた。  『いや、オカシイ。いつもと一緒じゃダメなんだ』  それはにわかには信じられない光景だった。  「…先輩、髪が戻ってる?」  俺の声に先輩が振り返った。起き抜けだと言うのに相変わらずの爽やかな笑顔だ。  「そうなんだ、せっかく切って貰ったのにゴメンね」 そう言って、先輩はフサフサの前髪を掻き上げた。 俺はすぐさまゴミ箱を漁った。  『夢じゃなかった…』  ゴミ箱の中には、誤魔化しきれないほどの量の髪の毛がゴッソリと残っていた。紛うことなき天然毛。昨日、俺が切った先輩の髪の毛だった。  「…どういうことですか?」  俺は多分、冷や汗をかいていたと思う。掌が猛烈に湿っていた。  「昨日言った通りだよ」  先輩は、照れくさそうに笑った。  「どうやって伸ばしたんですか?」  「伸びたわけじゃないんだ」  「ちょっと待ってください。っていうか、触ってもいいですか?」  俺が言い終わる前に、先輩は俺に頭を差し出してきた。触ってみる。昨日触ったのと変わらない、柔らかい先輩の髪だった。軽く引っ張ってみても、頭皮にくっついている。どこにも不自然なところがない。間違いなく頭皮から生えている毛だった。  「…なんで?!」  何が起きているのか全くわからない。  「なんでなんですか???なんで?!」  「持ってきたんだよ」  「っ?!髪の毛を?え?どこから?」  「髪の毛だけじゃない。体まるごと全部だよ」  先輩は言った。  「はい?」  先輩の話を聞いても、俺は全く理解できなかった。  「髪を切るよりずっと前の僕の体を持ってきたんだ。持ってきた、っていうのは、感覚的な話だけどね」  先輩が言うには、” ある特殊な感染症 ”に感染して以降、時々、体が過去のものと入れ替わるのだという。最初の頃は、無意識下に入れ替わっていたらしいが、最近になって意識してコントロール出来るようになったのだと言った。『僕も本当のところは、よくはわからないんだけど』と、先輩は言った。  「以前の僕やユキちゃん、みんなが居る世界が、『A』だとすると、僕は、感染以降『A’』とでもいうか、元あった世界と、微妙にズレた世界に居るような状態になってしまったんだ」 「ユキちゃん達に僕の姿は見えているし、僕も同じようにユキちゃん達が見えるんだけれど、僕の側からは、以前見えていたような世界とは違って見えるとでもいうのかな、…ガラス越しや、3D映画の映像の中に立っているような状態に近いのかもしれない。存在はしているけれど、スクリーンと現実世界を、丁度、跨いでいるような…」  「…それって、先輩が異次元みたいな所に居て…、あっちとこっちみたいに行き来できる?てことですか?」 俺は心の窓を目一杯に開いてみたが、それでも話に付いていける自信がない。  「…うーん、行き来は出来ないんだ。僕自体は今も少しズレて少し重なった別の世界に居る。お互いに見えている部分は干渉は出来るけど、僕はユキちゃんのいる世界に完全に存在しているわけじゃない。僕がユキちゃんの世界に居たならば、端から僕の側の世界は存在しないということになるんだ」 「僕の側には時間の観念がないっていうか、その代わりに、無数に現象と可能性が増え続ける世界というか、上手くは言えないんだけれど、過去の僕がいくつもあって、僕は、ユキちゃん達の世界の時間の観念を無視して、を持ってくることが出来るんだ。だけどそれも『A’』の世界でのこと。でも、それが可能になったのはつい最近なんだけどね」  ヤバイ。全然わからない。 だが、どこがどうわからないのかもわからないから、質問のしようもない。俺はただ、先輩の話を聞きながら、口をパクパクと動かすことしか出来なかった。そんな状態の俺を横目に先輩は続けた。  「少し前までは知らない間に勝手に入れ替わっていたみたいで、僕も気付いてなかったんだけど、三年くらい前に交通事故にあってね、全身の骨を折ったんだ。病院に運び込まれた時は重症だったよ」  「だけど、次の日には傷一つない状態になってたんだ。でも回復したわけじゃなかった。最近になってわかったことだけど、事故に巻き込まれるよりもずっと前の体に入れ替わってたんだ。それで気付いたんだ。それまでも頻繁に入れ替わっていたんだっていうことに」  そう言って、先輩は俺の顔を見て、困った顔で笑った。俺の困惑が伝わったみたいだ。だが、どうフォローしていいのかわからない。  「…例えば、新品の靴を下ろしてしばらく履いていると、傷が付いたり、底がすり減ったりしてくるでしょ?で、ある程度履いてなんとなく熟れてくると、ある朝突然、それが新品の頃の靴に戻ってる…そんな感じなんだ」  「……って、ことは、ちょっと、話、戻っていいですか?」  「うん?」  「…あの、昨日、俺がは、どこに行ったんですか?」  「もう、ユキちゃんの見える世界にはいないんだ」  「先輩の世界には居るんですか?」  「…どこ、とは言えないけど、多分そうなるね。どこかには現象として存在している筈だと思う」  「じゃあ、事故にあって怪我をした先輩も?」  「そうだね」  「じゃあ先輩、明日は、を持ってくることも出来るんですか?」  自分で何を言っているのかわからなくなってきた。  「それは出来ないんだ。…やりようによっては出来るかもしれないけれど、今の僕では出来ない」  「じゃあ、どうやっては、どこから持ってきたんですか?」  「僕が出来るのは、喩えて言うなら、しばらく使って” すり減った僕 ”と、“それより比較的新しい僕 ”を入れ替えることだけなんだ。” 比較的新しい僕 ”っていうのは、感染直後、今の僕側の世界の始点となっている僕…。つまり、今ユキちゃんの目の前に居る僕は、体だけは感染直後の七年くらい前。二十歳の頃の僕なんだ」
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