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それは一週間前の出来事だった
それは、なんとなく洩らした俺の一言が発端だった。
「なんか…俺、この一年ずっと先輩と顔合わせてた気がするんすよ」
先輩はコントローラーを操作する手を止めて、ちょっと考え込む素振りを見せた。
「…そういえばそうだね」
「…そうっすね」
それもその筈、今の会社に入ってからというもの、社内では俺はひたすら先輩の後をついて歩き、仕事が終われば一緒に飯を食いに行く。週末になれば、先輩は俺のアパートでゲームやったりDVD見たり。それでも初めの頃は、寝る頃には律儀に先輩は家に帰っていたけど、今はどうせ次の日も遊ぶんだしで泊まるようになり、気付けば週明けは同伴出社。そしてまた一週間仕事して…、そうこうしている内に一年が経っていた。
「…ほんとだね」
先輩が目を丸くしてちょっと呆れた顔をした。まあ、わかるよ。
なんか気付いたら一年経ってたっていうか、一年経たないと気付かないってすごいよな。俺だって驚いてる。
「…なんか、ごめんね?!気が利かなくて!!」
「そうだよね、これじゃあ彼女も作れないよね?!」
先輩は大袈裟に慌てだし、いかにもすまなさそうな顔をした。
ぁあ、そういう意味に聞こえてしまったか。
「あ、いや、違います。そういう意味で言ったんじゃないんで。気にしないで下さい」
先輩は長い睫毛を瞬かせて困ったように笑った。こんな時も先輩の輝きは衰えない。
「いや、本当です。なんとなくそう思っただけで…」
本当だ。なんでそんなことを口に出したのか、俺だってわからない。
「…でも、ちょっと入り浸りすぎだよね」
「いや、深い意味は無いです、えっと、なんか時間経つの早いな…って。本当にそう思っただけなんで」
俺は焦りながら言葉を探した。上手いフォローの仕方が見つからない。
「ホントに気にしないで下さい。もうそれに彼女とか…なんか当分いいんで」
先輩が哀れみと気不味さが入り混じった複雑な顔で俺を見る。
「ホントです。つーか、もう当分いいです。マジで懲りました」
その昔、俺には高校の時から数年間、付き合っていた彼女がいた。かれこれざっくり一年だか二年だかくらい前に別れた。俺が懲りたと言えるには、申し分のない女だった。すっきり別れられたと思ったのは、最初の数週間だけ。その後、ストーカーと化した元彼女に、散々追い回される羽目になった。その元彼女を、なんのかんので追い払ってくれたのも先輩だった。
以来、俺は先輩に頭が上がらない。記憶に留めて置くのも忌まわしい結構な修羅場だった筈だが、全てが終わって俺が礼を言った時、先輩はニッコリ笑って事も無げに言ったっけ。
『いいよ、慣れてるから。気にしないで』
そうだ。あの頃からだった。元カノの猛攻に応戦一方だった俺をアパートまで見舞いに来てくれたのが先輩だった。
「ネガティヴな意味じゃなくて、今は…なんか彼女欲しいとか、ないんですよね。でもそんなのなくても、なんか毎日楽しいな…って思って。だから、そんなつもりで言ったんじゃないです」
「うん、でも、これじゃあ、ユキちゃんも寛げないよね?」
先輩はいたずらっぽく笑って言った。俺を試してる。
『そんな事ないです』って、俺が言うのを知ってる顔だ。
こういう時は、俺はあえて何も言わないし、それで気不味くなることもない。一年も四六時中一緒にいれば、これくらいのやり取りは、あってもなくても同じだ。
俺は、ただ笑って先輩を見た。
いつもはキッチリとセットしてる髪が、今日は無造作に顔にかかってる。元々猫毛らしい、ちょっとうねりのある柔らかそうな栗色の髪は、くしゃっとしていても、サマになっている。こうやって髪を下ろしていると、先輩は歳よりずっと若く見える。大学生と言っても通じるくらいだ。
いつも掛けているシルバーフレームのメガネではなく、ゲーム用のオタク丸出しの分厚い黒縁メガネでさえ、先輩が身につければ、妙に可愛らしく映るから不思議だ。俺提供の先輩専用部屋着は、なんの変哲もないウニクロ仕様だが、それだって、先輩が着れば、ファッション雑誌かカタログからでも切り抜いてきたようにお洒落に見えてしまう。だらしなくすれば、だらしなくしたで、それがそのまま見せ所になってしまう。そう、この人は、どうやったって崩れることがない。イケメンに生まれるべくして産まれたイケメン、DNAレベルでイケメン。
それだけじゃない。
先輩の凄いところは、それが“ 環境順応型 ”のイケメンだということだ。そこが仮令、欧州の後期ロマネスク様式の古城であろうと、安普請二間のボロアパートであろうとも、自然とその場に馴染んで、奇妙な説得力を醸してしまう。先輩はどこに身をおいても” 場違い ”ということがない。イケメンはなんでも似合う、何をやってもイケメン、それを地で行く男。それが先輩だった。
俺は、今の仕事に付いてから、あらゆるタイプのイケメンを見てきた。だが、この人ほど巧みに対峙する人間や、置かれたシチュエーションにさり気なく自分のスケールを合わせてくる人は、まだ見たことがない。だが、どうもそれさえ本人は無意識にやっているらしい。
なるほど。先輩に“入れ込む人達”の気持がわかる。
ただそこにいるだけで、自分のためだけに居てくれているような、そんな錯覚を覚えさせる人なんだ。
だがしかし…
「そういう先輩だって、彼女いないじゃないですか?!」
「そうだよ」
先輩はゲーム画面に目をやり、ちょっと間延びした声で返した。先輩が彼女を作らない理由を、なんとなくだが俺は知っている。先輩は、今の職場の前はホストクラブで働いていたらしい。俺はそれを聞いた時、妙に納得してしまったのを覚えている。いや、むしろ、そっちが天職なんじゃなかったのかとさえ思う。だがそこで、よくは知らないが人伝に聞くところによると、いろいろあって疲れてしまっただとか、懲りたのだとか、先輩の言葉を借りて言うならば、まさに『もういいかな(^^)』状態とかいう話だった。だけど、それだけが理由じゃないことは、なんとなくわかってる。
その後の細かな話の内容は、正直よく覚えてない。俺は『今が楽しいからそれでいい、このままでいたい』的なことを言ったと思う。そんな感じの他愛のない掛け合いを一頻りした後で、先輩が言った。
「じゃあさ、僕達で付き合っちゃう?」
そう言って先輩が冗談っぽく笑った時、俺の心臓の鼓動が一つ大きく脈打った気がした。
「あ、いいっすねー」
俺は笑って身を乗り出した。いつもの軽いノリだ。
「本当?!」
先輩が目を丸くして聞き返す。面白がってるのがわかる。だって目が笑ってる。
「いいっすよ、ホント」
「じゃあ、はい!」と、先輩が俺の顔の前で小指を立てた。
「ちょ、先輩、それ、指切りゲンマンっすよ?」
先輩は意味ありげに笑って、誘うように小指を動かした。
「変?」
「いや、なんだろ、こういう時って普通は…」
普通ってどうするんだっけ?握手?握手か?それともハグか…?いや、ハグは、いくらなんでも近過ぎる。そう考えれば『指切り』は、そこそこ適度な距離感だ。戸惑いながら、なんとなく流されるままに俺は差し出された先輩の長い指に自分の指を絡めた。
「指切りげんまん嘘つぃたら、針千本の~ます♪」
指切り…は、まあいい、ゲンマンって何だ?先輩が歌ってる間、俺は何故か照れ臭さでいっぱいになりながら、されるがままだった。こういうことを、いつもサラッとやってしまうのが先輩だ。もう慣れた。これが今現在の俺のノリなんだ。
それが一週間前のことだった。
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