あれは一年と数ヶ月前の出来事だった

1/1
118人が本棚に入れています
本棚に追加
/69ページ

あれは一年と数ヶ月前の出来事だった

 俺の名前は、芳賀沼(はがぬま)優希(ゆうき)。十八歳。 ごく普通のアマチュアメタルバンドのベーシストだ。  …よく漫画や小説なんかである導入部分に、違和感を感じることはないだろうか。  そう、『ごく普通の』というやつだ。 『俺はごく普通の~』と描くことで、これから展開する物語の主人公は、多くの読者により近い立場の人間だと示すことができ、そうすることで読者からの共感を得、そしてこれから始まる現実離れした展開を期待させる、使い古された言い回しだ。  だが、この言い回しを現実に導入すると、それは俺にとって、とてつもなく鼻につくものへと変わる。  『ごく普通の』という言葉は、目には見えない社会的なコンセンサスを得ている、あるいは社会的な後ろ盾があるからこそ成立する言い回しだからだ。 平和と安定の上に胡座をかき、自分のケツの下に何を敷いているのかも知らないマヌケ野郎の物言いだ。  考えても見ろ『ごく普通の高校生』、『ごく普通のサラリーマン』『主婦』『大学生』、そんな言葉が成立するのは、社会的に確立された立ち位置がある人間だからこそ使える言葉だ。『ごく普通』、優秀ではない、ありふれた、並である。だがそれが良い。自虐なのか謙遜なのか知らないが、そうして自ら卑下しておきながら、その実は、社会的に安定した地位にいるということに無自覚だと無意識に無神経に披露している。  そんな愚鈍な言い回しを、導入部分に持って来て許されるのは、アンチテーゼかコメディだけだ。そこから地球を救ったり、異世界に飛ばされたり、どんな壮大な物語が待ち受けていようとも、やはりそれはマヌケの描く愚鈍な物語だ。  『ドン』と、勢いよく俺の前にカゴが置かれる。 そのカゴから商品を一つ一つ取り出し、バーコードリーダーをかざす。  「ありがとうございます、ニセンロッピャクニジュウサン円になります」  トレイの上に無造作に投げ出された紙幣を拾い上げ、  「イチマンエンお預かりいたします。お釣り先に大きい方から、ゴセンセン、ロクセンエンナナセンエン…」  俺は機械的に紙幣を数え、小銭を揃える。一日に何度となく繰り返されるやり取り。退屈すぎて、ため息も出ない。  俺の名前は、さっき言った。ごく普通のコンビニ店員だ。 ごく普通のフリーター、スクールドロッパー…そんなものは、この世にはあっても存在しない。『ごく普通の』ってのは、言い換えれば、ありふれていて何の特徴もないということだ。  フリーター、落伍者、アマチュアバンドマン、クズ男、特徴…大アリだ。それだけで場合によっちゃあ、減点対象、マイナス要素だ。そもそもちっとも普通じゃない。ここからハートフルな展開に持っていくのは至難の技だろう、しかもこれは単なる物語ではなく、俺の人生だ。じゃあどうやって、俺がありふれた、だが人畜無害な、善良な人間だと他人に伝えればいいのか。  一つだけ言えること。 それは俺が『ごく普通』と言って差し支えない、なんの特徴も取り柄もないありふれた『十八歳の男』だということだ。俺の人生において、社会に向けて広くアピールできるレッテルが、生きた年数だけなんて、どんだけ俺は情けない生き様を送ってるんだ?これこそ愚鈍な男の、愚鈍な物語だ。  俺は高校を出た後、なんとなく魔がさした風情で映像系の専門学校に進んだ。 そこで二ヶ月目に気付いた。ここに居てもどうしようもない、と。満期になるまで在籍したところで、俺には何も残らないだろう。中途半端に安い授業料が全てを物語っているかのような、そこはただ、やる気のない似非講師たちと、若さと自己顕示欲だけを持て余している呆け者達の溜まり場でしかなく、それは当て所ない社会人になるのを僅かばかり先延ばしするだけの執行猶予期間を過ごす場でしかなく見えた。  わかってるよ。金を(どぶ)に捨てたって言うんだろ?そうだ。その通りだ。それがわかっても、俺はあそこに居つづけることができなかった。あの退屈な空気に染まるのが堪らなく嫌だった。そうして俺は『ごく普通の学生』であることをやめたんだ。  だが、やめてしまった途端、俺の中にあった、いろんな(タガ)も外れてしまった。何もかものやる気が失せた。それは単に、将来性のない専門学校生から、将来性のないフリーターへとスライドしただけの、なんの発展性もないシフトチェンジだった。  あのまま不満を募らせながら『ごく普通の学生』を続けている方が良かったのか?少なくとも公共交通機関の学割は効いた。いや、やはり時間を無駄にするだけだろうことは容易に想像できる。だが、やめたところで替わりになるような、やりたいこともなかった。  一体、俺はどうしたいんだ?そう述懐しながら、結局俺はこのコンビニで時間を、人生を削っていく。なにもかもがつまらない。そうだ。俺の所為だ。全て俺が悪い。自業自得だ。だが、ここから這い上がる気力が湧いてこない。まさか俺は、このまま一生、やる気のないコンビニ店員として、バーコードリーダー片手にこの狭い店内に生息し続けるのか?それとも心機一転、しゃにむに働いて、あらゆる業務をこなし、シフトを埋め、休むことのなく働く『神コンビニ店員 』でも目指すか?どっちにしたって、今、俺の目の前にある選択肢はコンビニ店員だけだった。  「お疲れまさでーす!」  朝のシフトのヤツがカウンターへと入ってきた。  「お疲れさまっす」  俺は店内を見渡し、客が少なくなっていることを確認すると、カウンターから出た。  コンビニ店員がこなす仕事は多い。レジ打ち、レジ締め、品出し、キッチン業務にゴミ集め、店内店外、トイレの清掃。やる気があろうがなかろうが、客は次々入ってくる、動かなければ何も終わらない、動いたところでエンドレス、それがコンビニというところだ。  まだ品出しが終わってない。三十分後には、また朝ラッシュ第二波が来る。 それまでに、…この、なんだ?? アレだよ、アレ… なんかここにイッパイあるやつ…って!ぁあっ!!もう、頭が回らねえ。  「加賀沼チャーン、ダイジョウブ?」  一旦バックヤードに入ったヤツが、カウンターを超えて俺を追ってきた。  「おう…」  「なんか、顔色、悪いンですけど?」  「元からっスよ」  そんなことより一品でも多く品出しを…今の内に並べとかねぇと、またブラックホーク・ダウンが…  「っていうか、何時から入ってます?」 そう言われて、俺は一瞬手を止め考えた。  「昨日の…」呟いた途端、泥の様な重い疲労感が全身にのし掛かってきた。目が廻る…おぼろげな記憶をたどる。  俺は一体、いつから…  「…六時。朝…」  顔を上げた時、レジの前に立つ客が見えて、俺はそのままカウンターに駆け寄った。  「ゲッ!!二十六時間?!なんでっ?!他のヤツは?」  言いながら後からソイツがカウンターに入ってきて、もう一方のレジを開けて並んでる客を誘導した。  「ゴヒャクゴエンのお返しになります…」  小銭を差し出した俺の手が、いきなりガッシリと掴まれた。顔を上げた先には、クドいオッサンの顔。 俺は、無言で手を引っ込めようとした。  『…抜けねえ。。』  オッサンは、両手で俺の手を掴み締めグイッと俺ごと引き寄せると、カウンター越しに顔を近付けてこう言った。  「君っ!いい面構え!してるねっ!!!」  ニッと笑ったオッサンの口元で、真っ白な歯がキラーンと光った。ダメだ。これ、ヤバイ奴だ。
/69ページ

最初のコメントを投稿しよう!