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中編
ある涼しい朝、サイードとカミルの父王が死んだ。
荘厳な葬儀と即位式を行ってサイードは玉座に座り、カミルはサイードと同じ髪の長さと同じ形の髭を蓄えた。
カミルは頻繁に呼び出されるようになり、即位から一年も経つと、サーシャは家よりも学校併設のカフェにある無音のディスプレイでカミルを確認することが多くなった。
『あ、国王陛下だ』
『今日は王妃様も王子様たちも一緒なんだね』
同級生が無邪気にディスプレイを確認してはしゃぐ。
あれはサイード国王陛下じゃない。あれはどうみてもカミルだ。
王妃と憎たらしい馬鹿王子は本人のようだが。
それに気づかないこの国の奴らは節穴ばかりだ
サーシャがノートPCから視線をあげて小さく舌打ちすると、許可もしていないのに隣席に居座るクラスメイトがカフェラテを片手に面白そうに笑った。
王族に連なる家柄の、珍しい灰色の目をした少年で、この国では明らかに人種の違うサーシャにも珍しく絡んでくる鬱陶しい奴。
「若く美しい国王夫妻の映像見ながら舌打ちなんて不敬罪だな」
「うるさい、お前に関係ないだろ」
「……君の義父君は最近は家に帰ってくるの?」
「黙ってろ、て言っただろ」
サーシャは不機嫌に呟いてノートPCを操作した。
不機嫌に端末を閉じたのが合図とばかりに、カフェテリアのディスプレイからいきなり呻くような女性の声が聞こえ、映像が一糸まとわぬ男女のソレに切り替わる。
異変に気付いた生徒たちが騒ぎ始め広間は悲鳴と歓声で阿鼻叫喚に包まれた。
飛んできた職員が慌てて電源を切ろうとするが、何故か、まったく効果がない。
サーシャは鼻で笑って立ち上がり、踵を返す。
灰色の目をした同級生だけがくつくつと笑って椅子に座ったまま斜めにサーシャを仰いだ。
「やり過ぎるなよ。この国ではその手のいたずらは、下手したらマジで首が飛ぶ」
「……何のこと?」
肩をすくめたサーシャに同級生は笑いを収めぬまま、尋ねる。
「君はハイスクールは国外に出ないのか、僕と一緒に欧州のどこかの寄宿舎に行く気は無い?」
「冗談じゃない。俺はずっとここにいる」
「この国が嫌いだろうに」
「そうだな、こんな石油みたいな前時代の資源にしがみつく馬鹿しかいない国、うんざりだ」
「ふぅん。じゃあ、なんで出ていかないのさ?」
「お前に関係ない」
「気が向いたら声をかけてよ」
「ないね」
吐き捨てて歩き始める。
(ずっとだ)
ずっと一緒にいるのだと。カミルがそう約束したから、サーシャはどこへも、行かない。
幾日かカミルが帰ってこない夜が続いて、サーシャはため息をついた。
見たくもない国営放送のニュース映像をみるために、照明をつけないままだだっ広いリビングのディスプレイの電源をつける。ディスプレイは淡く光って、別世界を四角浮き上がらせた。
『わふ』
「ラド」
人恋しいのか、全体重でしなだれかかってきた犬の金の毛並みを撫でながらサーシャはニュース映像を眺めた。
十数年ぶりに大国の要人が訪問するとかでニュースはライブ配信だった。正装をして迎えるのは、国王のフリをした弟、カミルではなく、珍しいことにサイード本人だった。
サーシャはクッションを抱え込んでソファに身を倒した。カミルはどこかに控えているだろうか?それとも今日はお役御免で戻ってきてくれるだろうか?
「サイードの野郎、都合のいい時だけ、自分の手柄にしようとするんだな」
悪態をついて床を睨む。カミルの姿を見れないならサーシャには意味のないニュースだ。
電源を消そうとしたその時。
パンっ、パンっ、と乾いた音が耳に飛び込んでくる。
『キャアアアア』
『陛下!陛下が!』
サーシャが弾かれたように視線をあげると、真っ白な民族衣装の腹部あたりを赤に染めたサイードが崩れ落ちるところだった。アップになっていた彼の顔が苦悶に歪んみ、傷口から抑えきれない朱が滲んで指の隙間を溢れていく。
『神よ、なんという!ああ……』
スタジオからコメンテーターが悲痛な悲鳴をあげて、画面がいきなり年末に開かれていたオペラコンサートの映像に切り替わり不自然に明るい男の歌がリビングになり響く。
慌てて切り替えたのか、演目はもはやクライマックスに近い。
刺された男が舞台に横たわり観客が迫真の演技に拍手喝采を送り。
白塗りの道化師が『これで喜劇は終わりだ』と歌い上げる。
機械を通した無機質な拍手が、薄暗いリビングに響く中で、サーシャは呆然と立ち尽くしていた。
「これが君のパスポートほか新しい身分証明証と、荷物だ」
翌日。
カミルの帰りを待ちわびながらリビングで眠りについていたサーシャには押し入った男たちに無理やり叩き起こされ身支度を整えられた。少ない荷物をまとめられ一方的に突きつけられる。
「カミル様はお亡くなりになられた。遺言により、君は国外退去だ。成人するまでの生活費と、成人してからは少なくない年金が与えられる。感謝しろ」
何度も見たことのあるカミル付の屈強なボディーガードを務める軍人が機械的に言い放つ。
サーシャは唇を噛んで自分より頭一つ半は背の高い軍人を睨みあげた。
「カミルは死んでない。死んだのは……がっ」
砕かれそうなほど強く顎を掴まれサーシャは言葉を踏みにじられる。屈強な軍人は顎で部下達を追い払い、少年を無慈悲に床に突き飛ばした。
「あの方の慈悲を無駄にするな。そして命を惜しめ」
「嫌だ!ずっと一緒にいるって言ったんだ!絶対どこにも行かないっ!嫌だ!」
喚く少年に目線を合わせて軍人は言った。
「……あの方からの伝言だ」
「…………」
「お前との家族ごっこはもう飽きた、すべて忘れろ」
「カミルの、嘘つき」
「その名も記憶から消せ。そんな名前の男はいなかった。過去も、これからも」
「嘘つきっ、…」
「そうだ、全部が嘘だった。傷が浅いうちに理解できてよかったな」
声を失った少年を、軍人に命じられた男が「引きずるようにして連れて行く。
『サーシャ!サーシャ!おやすみ!おやすみ!』
活気を失った部屋の天井を七色の鳥がせわしなく飛び回る……。
「朝早くの便に搭乗させました。向こうでは新たに用意した養父母が彼の面倒をみるでしょう。新しい名前を確認なさいますか?」
「必要ない。……お前に、嫌な役回りをさせたね」
片足のない犬と飛べない極彩色の鳥を連れて王宮に戻った軍人は、暗く温度のない部屋に静かに佇む主に、少年の出国を報告した。
忠実な下僕はねぎらいに軽く片方の眉を上げた。
「控えめに申し上げて、クソな役回りでした」
忌憚のない意見に青年はくつくつ笑う。
「あの子は納得した?」
「納得する要素がどこに?しかし、未来ある子供は、すぐに過去を忘れるでしょう……、行先が定まりきった我々とは違います」
「そうだね」
「……ご無礼を承知でお伺いしますが後悔なさいませんか?あのまま養育して将来の側近候補として側におけばよかったのでは?素行に多少問題はあるようですが、極めて優秀な学生だと聞いていましたが……」
青年は肩をすくめた。
「仕方がないよ」
ばたばたと尾を振っているラドを青年はそっと撫で、それから目の前に横たわる自分と同じ顔をした遺体を眺めた。労わるように頬に触れる。
かつてサイードという高貴な名前を手にしていた肉体は今は冷たく硬い。
襲撃を受けた王は奇跡的に軽症で済んだと内外にはアナウンスがなされた。
眼前に眠る、死を契機に名も人格も剥奪された哀れな男は、明日、ひっそりと王宮の墓地に葬られることが決まり、ごく一部の人間以外には墓の存在すらしられずに、やがて塵にかえるだろう。
「……僕は影だ。オリジナルの兄が動かなくなった以上、この国とともに生きて、そして朽ちる義務がある」
弟は、兄の遺体に触れる。
「そのために生まれたんだから」
七色の鳥が青年を慰めるようにばたつき、大型犬は何度も気づかわし気に掌を舐めた。
『サーシャ!サーシャ』
『くぅん』
「お前達は僕とくるだろう?……僕と同じで、遠くへはいけないものな」
どこへも とべない。
早くは、走れない。
この国以外には行けない。
「……猫は?」
軍人に尋ねると、彼は肩をすくめた。
「荷物に紛れて、あの子と一緒に国外へ出ましたよ。検疫は無理やり通しました。せめてもの慰めになるでしょう」
青年はそうと笑って踵を返した。
独り言だから、と力のない声で言葉を紡ぐ。
「あの子を拾った時、熱砂に埋もれて死にそうなのに、あの子は……怒ってた。ぼくを睨みつけて、怒ってた。生命力の塊みたいに煌めいて、生きるためにもがいていた。死んだように生きているぼくとは大違いだ。あの砂に埋もれた宝石を手元に置いておきたいと思ったんだ。ずっと……。それは、嘘じゃない。だけど、もう、無理だ。――未来ある若者を僕の小さな箱庭にいつまでもしばりつけてはおけない」
軍人は、礼儀正しく無言で彼の告解を聞き流す。
青年は砂色の瞳を一度瞼の下に閉じ込めて、何かを惜しむように息を吐くとゆっくりとひらいた。
廊下を進む二人を見かけた王宮の使用人達はみな一様に跪いて頭を垂れる。
「サイード陛下」
「神のご加護あつき我らが王よ!」
「かすり傷でよろしゅうございました」
—―本気で言っているのか、現実から目を背けたいだけか。
「ご苦労」
醜悪な皺に覆われた人々に尊大に声をかけ、小国の国王は前を向く。
長い廊下。薄橙に照らされた己の影がぼんやりと揺れ、通り過ぎた燭台に灯された蝋燭が、ジュ、と小さな悲鳴をあげてかき消えた。
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