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後編
『近年、石油に代わる新たな資源が実用化され、我々のエネルギー政策は新たな段階に進みました!石油はいずれ枯渇するでしょう、しかし私達の生活にはさほど影響は……』
空港内で流れるニュースを横目でチェックして、サイード元国王(・・・)は自嘲する。
王位について瞬く間に時は流れた。
目まぐるしく過ぎていく年月とあっというまに上書きされていく技術の革新に、サイードの国は翻弄された。外資を取り入れ、観光業やそのほか産業に力を入れつつはあるが、石油の枯渇は時間の問題で、あと二十年はもたないだろう。
さらには遠く離れた海洋の底から三年ほど前に次世代エネルギーの実用化がなされた。
急速に。
—―急速にサイードの国を支えて来た石油資源は無価値な過去の遺物になりつつある。
石油で、従来の外貨獲得は困難になった。そのことがいよいいよ現実味を帯びると、貧困を知らない国民達は怒りを怨嗟の声にかえ、王宮に押し寄せた。
生活水準の保証を求めて国民の暴動が起きた年、欧州に財産のある王族達は、革命を恐れてこぞって住居を移した。『サイード』の妻子も例外ではない。
支援に奔走した結果、アジアの複数国や企業の支援もあってここ数年は経済の衰退はゆるやかになっている。なにより、欧州のとある国の新興ファンドからの、国と複数企業からなるコンビナートへの支援が大きかった。
ここ数年で瞬く間に頭角を現したファンドの支援の条件には、国内情勢の安定後、速やかな新国王への譲位があった。
『国を衰退させたのは、サイード国王陛下だと国民は誤解しているのでしょう?ただ、国民を安堵させるためにも、諸外国へ再生をアピールするにもポジティブなメッセージになるでしょうし……』
幹部の一人だと言う若い男は、声だけでどこか楽し気にそう提案した。
聞けばまだ三十前の青年だと言う。
ファンドの幹部の中でもとびぬけて若く、そしてCEOの気に入りなのだと評判だった。
青年の語り口は軽妙だが常に抜け目がない。会話をしている間、常に観察されているような圧迫感を感じる、サイードにとってはやりにくい相手だった。
『外国人が内政干渉をするなどと……!』
『コンサルティングですよ』
側近の一部は国内の情勢に口を出すのは極めて無礼だと激高したが、青年はあっさりと繰り返すだけで、サイードは結局、条件をのんだ。
サイードの「正体」を知る側近たちは「正しい」流れに王の地位が戻ることに安堵する風でもあったし、王妃がそれを強く望んだからだ。
元々、儀礼上の妻にすぎない。
私生活ではサイードに近づかず「神に背いた生まれの、夫の地位を奪った悪魔」と忌避する女性だ。この提案は、渡りに船だったのだろう。
「いいだろう、国へ支援をしてくれるなら私に否やはない」
そう告げて即位も全て済ませてしまった。
国中は新しい美しく若い国王の誕生に歓喜して、この国の輝かしい再出発を祝福している。船出が成功する根拠など、何もないと言うのに。
—―あとはサイードが個人的に持つ小さな会社の権利を譲渡してしまえば、「サイード」の役目はそれですべてが終了だった。
空港に併設された王族専用のラウンジでファンドの幹部に会う約束を取り付けると、電話口で彼はどこか感心したかのように言った。
『……潔いんですね、王族の方はもっと……』
若い男の声が適切な単語を探す。
ロシア訛りの英語を話すこの男は、どこで覚えたのか、サイードの国の言葉にも堪能だった。子供のような無邪気な言葉の選び方をする。
「がめついと思っていた、かな?」
『ああ、陛下。そんな感じです』
「元陛下だよ、生憎と」
『失礼しました。……いいですね、がめつい、か。その表現覚えておきます。――あなたは欲のない方だ。至高の地位にもまるで執着していないように感じていました。全部諦めているみたいだ』
通信ですら音声のみで自分の画像すら出さない若い男の声は無遠慮に告げる。
あまりにもとりつくろわない辛辣な言い草に、サイードは苦笑してしまう。
『あとは会社の権利を譲る必要書類にサインすれば、あなたは全てを失うことになりますが、構いませんか?』
もう一度、確かめるように聞かれてサイードは笑った。
「構わないよ。元々自分のものなど何一つなかった。元に戻るだけだ。さっさと済ませてしまおう」
『そうですか。では、空港でお会いしましょう。お会いできるのを心待ちにしています』
通信はいつものように一方的に途切れ、サイードは……いや、カミルは王族の衣装を脱ぎ捨てた。
サインをしたなら、身一つで国を出ようと最低限の荷物をまとめて十数年ぶりにジーンズとシャツに着替える。
車を運転しようと郊外に借りたままにしていた住居に赴くまで、彼が「サイード国王」だと思う人間はいなかったようで、行き交う人の視線は全てすり抜けていく。
「運転しますよ」
「……おまえ」
駐車場にたどり着くと、いつから待っていたのか車に乗り込んでいた軍人は口の端だけで笑った。
「運転、下手でしょう貴方は。空港まででよろしいですか?」
「あ、ああ。しかし、何故私が来ると分かっていたんだ?」
珍しい灰色の目をした軍人は、くつくつと笑う。
「私の甥は放蕩が過ぎて、大学時代に姉夫婦から勘当をされたんですが……要領のいい甥でしてね。今は件のファンドで働いているようです。我が国の情勢に詳しいからと今回のプロジェクトでも重宝されたようですよ」
「……そうだったのか」
灰色の瞳の軍人はカミルを空港まで送って車を止めると、恭しくドアを開いた。
「どうぞ。カミル殿下。……甥の同い年の上司が、あなたをお待ちしているようです」
視線の先に現れた背の高い青年をみとめて、カミルは息を呑んだ。
覚えのある……少年の面影を見付けて言葉を失う。
金色の髪、白い肌。
サングラスの下の瞳の色はなんだろうか—―いいや、自分はすでに知っているはずだ。
軍人はどこか苦笑する風に頭を下げて車に乗り込み、私はこれで失礼します。とキーを回す。軍人が誰か気付いたらしい青年に、片手で合図をしウィンドウを開けて尋ねた。
「ミスター。あの黒猫は貴方の慰めになりましたか?」
「……ええ!今でも私の家で寝ていますよ。老猫だけど元気だ。あなたのお気遣いには感謝していますよ、――突き飛ばされたことも忘れてないけどさ」
「苦情は、私の甥に言ってください。では――」
走り去った車を視線で見送ってから、青年はゆっくりとカミルの前で足を止めた。
サングラスの下から現れた瞳は、期待通りの青。
いつか砂に埋もれていた宝石はいまも同じ透明度でカミルを見つめている。
「アレクサンドル・サフィンです。お初にお目にかかります—―この名前では」
求められた握手に反射的に応じてしまう。
固い掌をもつ青年の目線はカミルと同じか、いくらか高い――
「カミルは俺のこと、サーシャって呼んでくれていたけど」
「……サーシャ!おまえ、なんでここに……」
それはもちろん、とアレクサンドル……サーシャは悪戯が成功した時と同じ顔でにやっと笑った。
「もちろん、ファンドのお仕事と……それから、カミルを迎えに来たんだよ」
唖然とするカミルに、サーシャは勝ち誇ったように宣言した。
ファンドがサイードの国を支援したのも、アレクサンドル・サフィンの意向が大きくかかわっているとは聞いていたが。呆然としたままのカミルに青年は笑顔のままなおも続ける。
「俺からカミルを奪ったサイードを、俺が壊した」
「おまえ……」
「約束を果たしに来たんだ」
「約束?」
「カミルはこれでようやく、油田も、家族も、一族も、地位も、全部失くしたんだ……これで自由になれるだろ?」
全く悪びれない口調がいっそすがすがしい。サーシャは子供の頃と変わらぬ熱量でカミルを見た。
「ずっと一緒にいるって。約束した。あの日に。だからカミルはそれを守らなきゃいけない。絶対にだ」
太陽の下で、青年はあの日と同じ言葉を口にする。
「全部無くしたんだろ。だったら、俺のものに。なればいい」
あっけにとられていたカミルはくつくつと笑って、笑いの発作が収まると…………真剣な顔をしたままのサーシャの猫毛をかき乱す。
仕方ない。
してはならない約束を先にしてしまったのはほかでもないカミルの方だから。
柔らかな笑みを浮かべて青年に尋ねる。
「ずっとか?」
「ずっとだ」
青年の青い瞳が歓喜にわく。
カミルは小さな箱庭を思い出した……訪れる者の少ない、静謐で寂しい楽園。
そこに戻れるのが幸福なのか不幸なのか、それはわからないが――
隠しきれない喜びを爆発させたサーシャがカミルをぎゅっと抱きしめる。
重大な事を打ち明けるように耳元で囁いた。
「少なくともパンケーキを焼くのは上手くなったよ」
「……それは、楽しみだ……」
この笑顔があるのならば、それで十分ではないだろうか。
目を閉じた耳元で、カミルは確かにどこかで扉が閉まる音を聞いた気が、した。
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