snow white

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 空から舞い降りてくる綿雪は、まるで先輩のようだ。  柔らかな肌は、まさに雪を写し取ったよう。長い髪も、確かに黒色なのに、俺の髪が持つただの黒とはまったく違う。先輩の髪は、雪どけ水で溶いたような透明な黒。こげ茶色の瞳も、ピンク色の爪も、先輩が持つ色味は、全てが淡くおぼろげだ。  バイトに採用されたカフェで教育係として先輩を紹介されたとき、冷たそうな人だと思った。とがった顎や、高く通った鼻筋、細く儚げな睫毛に、作りものめいた精巧さを感じたから。化粧が施されていてなお薄い頰の血色も、感情のない人形のように思えた。  けれど、形のきれいな唇が開かれた瞬間、冷たさはあとかたもなく消えた。発された声はどこかあどけなくて、顔全体にふわりとひろがった笑みは、綻んだばかりの花を思わせた。唯一、「襟、曲がってるよ」と首元に触れた白い手だけが、ひんやりと冷たかった。  先輩は俺より三つ年上の大学生だけれど、無邪気で、人懐っこくて、その子供っぽい雰囲気がもたらす、ごく自然なスキンシップが多かった。それは、俺と先輩が恋人同士になってからもしばらく続いた。女子相手なら構わない。問題は、学ランの肩にじゃんけん列車をしたり、野球部引退後の頭を「のびてきたねー」と撫でていたりしたときだった。そんな場面に遭遇するたび、俺は冷やかな視線を先輩に送った。俺と目が合うと、先輩は「ごめん怒んないでー」と顔の前で手を合わせるか、「またやっちゃった」といたずらっ子のように舌を出すかのどちらかだった。せめてもの牽制として、ふたりでいるときは名前で呼び合うことを提案したこともある。けれど、「バイトのときに間違って呼んじゃうかもしれないよ。私、ぜったい呼ぶ自信あるよ!」とこちらの意図を見透かしたように(先輩に限ってそれはありえないけれど)、それはそれは誇らしげに言われ、結局、不本意ながら先輩と呼び続けている。  そんな風な先輩だから、バイトのメンバーには、俺の方が年上みたいだとよく言われる。けれど、バイトを上がって一緒に街を歩いているとき、やっぱり俺は先輩より三つも年下なんだって思わずにはいられない。私服姿の先輩は、化粧もしていて、きちんと大学生だ。対して、制服を着た俺の顔にはにきびの跡もあって、どこからどう見ても高校生。たとえば、ショップのガラスに映り込んだ自分たちを見ると、周りから姉弟に見えているのではないかと悔しくなる。そんなとき、俺は顔に無表情を貼り付けて、先輩の細い指に自分の指を絡める。  市内で初雪が観測された日もそうだった。薄いグレーの空を申し訳程度に舞う白を見上げながら、「修学旅行、スキーあるんだよね? いいなぁ、かまくらも作れるね」と先輩が笑った。「かまくらはないでしょ。スキー場ですよ」と平たい声で突っ込みながら、内心では、修学旅行というワードに引っかかっていた。「私の地元、ぜんぜん雪降らないからー。憧れなんだよ、かまくら。インフルエンザのせいで修学旅行も行き損ねたし」と微妙にかみ合っていない返答をしてくる先輩の手を取った。そのまま、学校指定のコートのポケットに入れる。 「手、冷たすぎて可哀そうなんであっためます。雪降ってるとやっぱ寒いし」 「……冷え性だから」  長い睫毛を伏せる先輩を横目で窺うと、無表情がはがれそうになった。慌てて足元に視線を落とした。小さな雪の欠片が、アスファルトに吸い込まれてゆく。冷え性の先輩の手は、いつまで握っていても冷たいままだ。それで、丁度いいと思った。コートとブレザーに包まれた腋の下には、汗がにじんでいたから。  ――先輩が目を伏せた本当の意味を、このときの俺は知らなかった。
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