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だめだ。どうしても俺には難しすぎて、全然分からん!
自室のベッドの上にうつぶせになると、マキは大きな溜息を吐き出した。
マキは枕元に放り出したイヤホンと、その先に繋がっているiPodを恨めしそうに見つめ、うううと唸る。
***
事の発端は夏休みが始まる前のこと。
放課後の図書室で本を読んでいたマキの元に、いつものごとく彼はひょっこり現れた。
「マーキ、お待たせ。一緒に帰ろうぜ」
黒髪メガネ。生真面目さをまんま模したかのようなマキとは正反対の容姿を持つ彼―――――――――
くるくるとした天然パーマをキャラメル色に染め、夏服を同じ物とは思えないほど着崩しているのは、幼馴染みのコトだ。
色白なマキとは違い、すでに小麦色に日焼けした顔で、コトはにっと笑う。
マキはどきりとした胸の内をコトに悟られないように素知らぬふりをして頷くと、本を閉じるとコトの元に向かう。
コトと一緒に図書室を出ると、冷房の効いていない廊下はむわりと暑かった。
「なんかさ、宮原の奴がなかなかコードを覚えられなくて、ちょっと行き詰まってんだよな。それで、練習しながら教えてたら遅くなっちって」
コトはマキと並んで歩きながら、ぶつぶつと今日の部活内容について愚痴をこぼす。
しかし、マキは相づちを打ちながら、実際ほとんど聞いていなかった。
軽音部に所属しているコトの背中では、彼が中学三年の時に貯金をはたいて購入した大切なベースが揺れている。
朝から晩まで飽きもせずに音楽ばかりの音楽バカ。
そんなコトに、マキはこれから言わなくてはいけないことがあった。
カバンの中にしのばせた物のことを考えるだけで、頭の中がいっぱいだったのだ。
***
学校をあとにして、きれいな薄紫色に染まっている空を見るともなく見つつ、道ばたに揺れているエノコログサを視界の端でぼんやり眺めつつ、いつもの帰り道を歩く。
「おい、マキ? 俺の話聞いてるか?」
上の空がバレバレだったのか、コトが不審そうにマキを覗いた。
「ふぇっ? あ、聞いている聞いてる。宮原が全然使い物にならないって話しだろ」
「誰もそこまで言ってないけど」
「で、コトは新曲を模索中って話しだろ」
「模索中っていうか、サビがいまいち盛り上がりにかけるかなぁって言っただけ」
「今度の作詞のテーマは、片思いの奥深さを追求したもので……」
「奥深さじゃなくて、切なさ。マキ、どうした? 本の読み過ぎで熱でもあるんじゃないか?」
立ち止まるコトは訝しげな表情になる。マキは口をへの字に曲げた。
熱は、微熱程度ならあるかもしれない、と、マキは思う。
お互いの家へと向かうための分かれ道であるコンビニまではもう少し距離がある。
マキはどうせなら、さよならと手を振る前にさりげなく渡すつもりでいた。
けれど、これ以上うまくはぐらかせる気がせず、大きく溜息を吐き出すと観念したようにカバンの中をあさった。
「これ」
マキがカバンから取り出してコトに差し出したのは、一枚の短冊形の紙切れだった。
「何、これ?」
突然のことに、コトはきょとんとなる。
目を伏せ無言のままのマキからコトは紙切れを手に取ると、さっと目を通す。
そして、次の瞬間、うおう! と、声をあげた。
「なになに、これ。フェスのチケットじゃん。どうしたんだよ?」
フェス。
夏フェスと呼ばれるイベントは毎年全国各地で行われる音楽の祭典だ。
二日間、及び三日間の開催期間中、洋楽邦楽多種多様、訪れた人達は朝から晩まで野外で音楽をめいっぱい楽しむ。
もちろんマキはコトから毎年のように聞かされているばかりで、実際に興味を持ったことなど一度もなかった。
なんでこんな暑い中、わざわざ音楽を聞いて騒がなくちゃいけないんだ。
祭りなら盆祭りで十分だ。と、思っていたはずだった。
「インターネットの先行予約をやってて。たまたま、偶然、取れたから」
素っ気ない口調で説明するマキに、コトはへえとチケットに目を落としたまま、感心するように頷く。
「そりゃ、すげーな。今年の三日目なんて出演するアーティストが熱すぎて、取るの難しいって言われてるのに」
「そう、なんだ」
「俺も今年こそは行きたいって思ってたんだけどな、一番好きなバンドが出演するし」
「言ってたね」
「あーあー、うらやましい。いいなーいいなー。俺も行きたいなー」
うらやましさを体で表現するようにじたばたするコトを見て、マキはごくりと唾を飲み込んだ。
やはり、コトは思いつきもしないんだろう、と、考えると少し胸が痛む。
「まあ、でも、せっかく取れたんだから楽しんでこいよ。で、誰と行くの?」
コトはチケットを惜しむように返しながら、笑顔で尋ねてくる。
マキは一度息を吸って吐き出すと、びしりと目の前に指を突き出した。
「一緒に、行かないか?」
精一杯の勇気を振り絞って言うと、コトは浮かべていた笑顔から、ぽかんとした表情に変わった。
「俺?」と、首を傾げるので、マキはこくこくと首を縦に振る。
「俺が? 本当に? いいのか?」
「お前で。本当だよ。いいんだよ」
腑に落ちない様子で何度も聞き返してくるコトに、マキは何度も頷いた。
「うっそ、マジで? やった。やったー」
ようやく納得したらしいコトは無邪気にバンザイをした。
コトに喜んでもらえたことで、マキ自身も嬉しくなってくる。
頑張ってチケットを取ってよかったと顔がほころんだ。
しかし、問題はこの後にやってきた。
「ところで、お前、誰か見たいアーティストとかっているの?」
と、素朴な疑問とばかりにコトに尋ねられ言葉につまった。
沈黙を続けるマキに、
「もしかして、いない、とか?」
と、不安気に尋ねられ俯いてしまった。
「コ、コトが、好きなバンド…………、かも」
それすらも実はよく知らないけれど、とは言えずに、ぼそぼそと言うマキにコトは呆れるような表情を浮かべた。
やがて、そっかと頷くと、コトはいいことを思いついたと言わんばかりの顔で提案してきた。
「んじゃ、俺がこのバンドのやりそうな曲とか、有名な曲を適当に選曲してくるから、フェスまでに聴いてくること。曲も知らないんじゃ楽しめるもんも楽しめないからな」
自ら墓穴を掘ってしまった。と、マキが後悔したのは言うまでもない。
その翌日、コトに手渡されたのはコトのものであるipodだった。
仕事の早さにびっくりしながら、その日を境にマキの音楽漬け生活が始まってしまったのだ。
***
フェスが行われるのは八月上旬。
夏休みが始まってからの毎日は、なんだかんだとあっという間に過ぎ去ってしまい、八月に入ってしまった。
その間に、マキが手渡されたipodを実際に耳にしたのは、ほんの数回あるかないか。
全部を通して聞いたことなど、一、二回、あるかないか、だった。
何も音楽自体が嫌いなわけけではなく、マキだって音楽を聞くことくらいはある。
年末の紅白歌合戦を見ていて、演歌は日本の心だと感動したことだってあった。
けれど、コトが好きだというロックバンドは良さがまったく分からない。
コトが一番に好きだというくらいだから、マキだって好きになりたいと思ったことは何度もあった。
コトがそのバンドを好きなことがきっかけで、自らもバンドをやるようになったくらいの存在なのだから、理解したいという気持ちは強かった。
それでも。
全部の音がぐちゃぐちゃしてるし、なんか叫んでるし、歌詞はやけにおどろおどろしいし、音楽というか、耳障りな騒音にしか聞こえない。
マキは一曲を聞き通すことすらなくイヤホンを外すと、ベッドにうつぶせて溜息を吐き出した。
「どうしよう……」
マキはまったく興味のないことを、自ら進んで知ろうとするには好奇心が足りない性格をしていた。
それなのに。
知りたいと思うようになったのは、いつからだったか覚えていない。
いつでも側にいた幼馴染を意識するようになったのは、もう随分前のように思える。
側にいた自分でも知らなかった、コトのことをもっと知りたいと思う。
コトが好きだというものならなおさら、知りたいと思う。
ipodにそっと触れる。
無機質な存在なのに、熱が伝わってくるような気がして、マキはそっと目を閉じた。
残念そうな顔は見たくない。
出来るなら喜んでもらいたくて、興味のないものにマキは自ら手を伸ばしたんだから。
***
やってきた夏フェス当日は快晴で、青空がどこまでも広がっていた。
会場は海が近い、だだっ広い公園だ。
木々の間を吹き抜ける風は心地よく、あちこち飾り付けられたカラフルな布をはためかせていた。
巨大なオブジェの前ではたくさんの人が記念撮影をしている。
観覧車が印象的な遊園地や数あるステージを通り抜けたどり着いたのは、朝日にきらきらと輝く芝生。
そこには会場内で一番大きなステージがライブのはじまりを待っている。
普段なら絶対目にすることのない景色に、マキの心は少なからず沸き立ったっていた。
朝早くから電車に乗り込んで、同じ場所へと集まった色とりどりのTシャツの群れ。
周りの熱気に呑み込まれるようにして、マキは顔をほころばせているコトと共に最初の演奏を待った。
そして、数時間後。
「……気持ち悪い」
ステージの脇にある雑木林は観客の休憩所になっており、たくさんの屋台も並んでいる。
騒ぐのに疲れた人々が暑さを避けて、思い思いにくつろぐスペースとなっていた。
その隅の木陰で、マキはタオルを頭からかぶり体育座りをしてうなだれていた。
「大丈夫か?」
心配して覗き込むコトに答えるように、マキは力なく頷いた。
「ごめん、ちょっとはしゃいで、連れ回しすぎたな」
炎天下の中、コトが見たいアーティストを見てはステージを移動、移動、軽い昼食を挟んでまた移動の繰り返しだった。
六つほどある大小のステージで、それぞれ事前に割り当てたれた時間帯ごとに出演するアーティストが変わってゆくせいだ。
ステージとステージの間隔は思っている以上に遠く、その間ほとんど休憩を取らなかったせいで真っ先にダウンしたのがマキだった。
普段の運動不足がたたったのだろうと、マキは自分を恨めしく思った。
「そんなことない」とマキは言う。
コトのせいでは決してない。
迷惑はかけたくない。
そう思いはするものの、頭はぐらぐらしているし、体はだるくてすぐには動けなさそうだ。
「俺こそ、ごめん……」
「何言ってんだよ。俺がちゃんとしてなかったせいで、マキは全然悪くないだろ。謝る必要なんかないから、ゆっくり休んでろって。俺、ちょっと冷たい物買ってくるから」
マキはますます情けない気持ちになった。
どうやら次のアーティストの演奏が始まったらしく、休憩所であるこの場所までステージからの音楽が聞こえてくる。
マキには聞き覚えのない、軽やかな女性ボーカルだ。
顔を上げてあたりをきょろきょろ見渡すと、マキとは違い、誰もかれもが楽しげに過ごしている。
マキはやはり、自分がものすごく場違いな場所に来てしまったのだということを痛感して、唇を噛んだ。
もう、帰りたい。
マキが弱気になった時、頬に当てられたのはひやりと心地いい感触だった。
びくりと体を震わせて見上げると、コトが優しげな表情を浮かべて立っていた。
「アップルマンゴーのかき氷だってさ、食えそう?」
角切りにされたオレンジ色の果肉が乗ったかき氷を目の前に突き出されて、マキは目を丸くした。
「え? これ、……あ、お金」
「いいっていいって。うまそうだったから買ってきただけだし」
「でも、」
「いいから。病人は黙ってうまいもん食べて、早く元気になればいいんだよ」
コトは水色のアイスキャンディーを買ってきており、すでに頬張っている。
マキはためらうようにかき氷を両手で受け取ると、スプーンで口に運んだ。
「……おいしい」
と、つぶやくと、隣に腰を下ろしたコトは満足そうに微笑んだ。
***
夏の午後は長く、木陰の外はじりじりと太陽が照り付けていて眩しいほどだった。
けれど、二人が座っているこの場所は涼しく居心地がいい。
マキはかき氷を頬張りながら、こそばゆいような気持ちを抱いていた。
見知らぬばかりの他人の中で、コトと二人きりということを意識してしまうと、急に恥ずかしくなってきた。
二人の沈黙を埋めるように、女性が歌い続けている。
「あのさ、」
マキが黙々とかき氷を口に運び続けていると、アイスキャンディーを食べ終わったコトがぽつりとつぶやいた。
「俺、ずっと聞こう聞こうとは思ってて、聞けてないことがあったんだけど」
「何?」
「うん。……あのさ、マキはどうして、ここに来たいって思ったんだ?」
「え?」
「だからさ、マキってそもそも音楽自体そんなに興味ないだろ? それなのに、フェスに参加しようとした事自体が、なんか、不思議で」
今になって、その疑問をぶつけられるなどと、マキは考えていなかった。
しかし、もちろんコトが疑問に思うかもしれないことなど、予想済みだ。
「夏フェスってものを、調べたことがあったんだ」
へ? と、コトは間抜けな表情をする。
「ほら、コトが毎年フェスフェス言ってたから、どんなもんなんだろう? って、思って。そしたら、ものすごい自然の中でやってるし、気持ちよさそうだなって思ったんだ。御飯もおいしいってことで有名なのも知って、毎年少しづつ行ってみたいなって気持ちはあって。それで、今年、本当にたまたま、偶然、選考予約の第一弾をやってたから、応募してみたら、当たって、せっかくだし行こうかなって思ったんだ」
マキはやけに早口になってしまったことを悔やみながらも、何とか筋の通る話が出来てほっとした。
半分ほどは本当の理由だ。
最後の一押しだったのが、出演アーティスト発表の中に、コトの好きなロックバンドの名前を見つけたからだとは、とても言えないけれど。
「昔から真面目真面目とは思ってたけど、」
コトはまじまじとマキを見つめると、
「そこまで、大真面目だとは思ってなかった。つーか、バカだろ、お前」
「は、バ、……バカ?」
「普通、夏フェスについてそこまで調べる奴なんかいないよ」
「べ、別にいいだろ? 俺が俺の好きなようにしただけなんだし、そのおかげで、お前はこうやって来れてるんだし。いいじゃん」
「そりゃまあ、そう言われればそうなんだけど、でもなあ」
「何だよ? なんか文句でもあるのか?」
「文句はないけども、変なの」
「何が変なんだよ」
「変だろ。フェスのあり方を調べて興味を持っても、まったく興味を持てない音楽を聞かなくちゃいけないんだぞ? というか、フェスの目的なんてそれが第一だ。それに対して、高校生が出せるチケット代としては安くない値段を払ってまで、普通、来ようとなんか思わないだろ。大自然とうまい飯を満喫したいだけなら、もっと身近でいいとこなんかいっぱいあるんだし」
「それは、まあ。……でも、俺は……」
うまい言葉が見つからず、マキはもごもごと口ごもってしまった。
こんなに言いくるめられてしまうとは、思ってもみなかった。
コトは普段とことんいい加減なくせに、妙なところで鋭くつっこんでくる。
「へえそんなんだ」と、適当に流してくれたらいいものを。
「なあ、マキ。俺が好きなバンド名、言える?」
唐突な質問に、マキは目をぱちくりとさせた。
「は? そんなの、ジャバウォックだろ?」
「じゃあさ、ジャバウォックが一次先行ネット予約時点で、名前が発表されてたのは知ってた?」
「もちろん、そんなこと知って、た。かも」
まずい。と、マキは思わず自分の口を手で塞いだ。
コトはどこか意味深な表情でふうんと頷いている。
「あのさ、俺、うぬぼれてもいいのかな?」
「……何が? 何だよ、さっきから。わけ分かんないことばっか言って」
「マキさ、本当はものすごく今年の夏フェスをチェックしてたろ? それで、一次先行の時点でジャバウォックの名前が出たから、迷わず応募した。初めからチケットが取れたら、俺を誘うつもりで、いた。とか?」
「そ、そんなこと……」
ない。
わけが、ない。
その通りだったが、簡単に頷けるわけもなく、マキは視線を落とすとスプーンで残っているかき氷をざくざくとかき混ぜた。
頬が暑く火照っているのは、暑さのせいだけではないだろう。
まずい。まずい。と、心の中だけでマキは繰り返していた。
このままじゃ、自分の気持ちまでバレてしまいそうで血の気が引いた。
「なあなあ」と、肩をつつかれて顔を上げると、笑いたいのに堪えているようなコトの顔がある。
「宿題、ちゃんとしてきてくれた?」
「宿題?」
「俺が渡した、ipodだよ。予習っていうか、宿題っていうか。聞いてきてくれた?」
マキは面くらいながらも、こくんと頷く。
「聞いたよ。十回くらい、聞いた」
話題がそれたことにひとまずほっとする。
あれから諦めずに聞いているうちに曲調にも慣れてきて、なんとか曲の区別もつくようにはなった。タイトルも頭にちゃんと入っている。
「おお、マキにしてはすごいじゃん。どれか気に入った曲あった?」
コトは嬉しそうに笑うと、尋ねてくる。
気に入るも何も、そもそもマキが好きなジャンルの曲ではない。
それでも、マキは少しだけ考えた後で、こくんと再び首を縦に振った。
「『ある晴れた朝に』」
激しい楽曲の中で唯一入っていたバラードだ。
叶わない恋の歌で、それでも好きになった相手の幸せを願う、切なくて温かな曲。
マキがタイトルを口にした瞬間、ぽんぽんと頭を撫でられた。
「何、急に」
「うんにゃ。ただ、マキがそこまで頑張ってくれたんだから、俺も頑張らないとって思って」
「頑張るって、何を?」
「俺の宿題」
「宿題? 夏休みの、課題のこと?」
尋ね返すマキに、コトは吹き出すとあはははと笑い出した。
女性ボーカルの軽やかな歌声は終わり、観客達の歓声が聞こえてくる。
コトが好きなロックバンドの出番は一番最後で、真っ赤な夕日が山の向こうに沈んでいこうとしている宵闇の中だった。
***
最終日のトリを二番目に大きなステージで飾ることが、どれほどすごいことなのかマキ自身はよく分からなかった。
ただ、ステージを目指す途中でコトがそんな風に言っていて、そうなんだ。と、いう感想を持っただけだ。
それでも、ぞろぞろと集まってくる人達の熱気は最高潮で、実際にジャバウォックが登場すると、叫んで飛んで、全力でぶつかってゆく波に呑まれそうになった。
「マキ!」と、腕を引いてくれたコトがいなければ、今頃押し合いへし合いのぶつかり合っている渦の中に巻き込まれて大変な目にあっていただろう。
ライブが始まる。
目を輝かせているコトの横顔を見た後で、マキもステージに目を向ける。
本物を目の前にして、どうしてコトがこのロックバンドが好きなのか、少しだけ分かったような気がした。どうして周りにいる人々がこんなに熱狂してるのか、少しだけ理解出来た気がした。
激しいのに力強い音に包まれて、圧倒される。
心臓がどくどくと早鐘を打って、知らぬまに目頭が熱くなった。
滲んだ涙を手で拭うと、コトにつかまれたままだった腕を軽く引かれた。
「なんで、泣いてんだよ」
「なんでだろ。よく分かんないけど、なんか」
「なんだそりゃ」
と、コトはどこか困ったような顔つきになった。
「もしかして、また気持ち悪くなったか?」
「違う。大丈夫だから、ほら、コト、ちゃんと集中して見なよ。好きなんだろ?」
MCがはさまれ、次の歌紹介があって、歓声があがる。
何を歌うと言ったのかマキには聞き取れなかった。
ステージを指差すマキに、コトはますます困り顔を強くした。
曲が始まる。
それは『ある晴れた朝に』だった。
「お前の方が大事だよ」
ステージに奪われそうになった視線を戻す。
コトはやけに真剣な目をしていた。
「え?」
コトが何を言ったのか、聞こえなかったわけじゃない。
ステージから聞こえてくる歌声は、切ない片想いを綴る。
叶わない恋だということぐらい、分かっていて、だからこそ、ただ幸せを願う歌。
喜ぶ顔が見たいから、本音は口に出来ないと思っていた。
いつの間にか、自分の状況と重ねてしまっていた曲が奏でられていく。
「お前の方が、大事だって言ったんだよ」
つかまれていた腕からコトの指先が滑り落ちて、マキの指先にためらうように触れる。
どういう意味だろう? と、マキは思う。思ってひどく、戸惑う。
「……なんで? だって、」
なんでも何も、友人が友人を心配するのは当たり前のことだろう。
直接的に繋がりのある身近な人間の方を心配するのは、人として当然だ。
現に俺は昼間ダウンしてしまったんだから、と、ぐるぐる正論が巡るばかりで、マキは言葉が続かなかった。
「好きだから」
そんなマキの思考などお構いなしに、コトはきっぱりと言い切った。
「へ?」
「好きだから、マキのことが。だから大事って言ってんの。心配すんの。当たり前だろ?」
「好きって、……好きって、何?」
「はあ?」
コトは目を丸くすると、げんなりとしたように溜息を吐き出した。
「そんなもん、決まってるだろ。これだよ、これ。この歌の、歌詞の通り」
触れていた指先が絡まって、コトはぎゅっとマキの手を握ったままステージに顔を向けると、ボーカルの歌声に乗せて一緒に歌いだした。
愛の言葉をささやきたい、君に。
ささやけば終わってしまう、君と。
せめて願う幸せを。
せめて願った夜空に一人。
何度も、何度も。
叶わない、コイゴコロ、一人きり。
周りは誰も気にとめてる人などいなかった。
みながみな、思い思いの楽しみ方で自分の世界に浸っていて、男同士で手を握り合っている姿など見えていないようだった。
微かに震えているコトの手を、マキはそっと握り返す。
最後の歌が終わってしまうまで手を繋いだままだった。
フェスの終わりを告げるように、花火が打ちあがる。
夜空を彩る大輪を見上げた後、マキはコトと照れ笑いを浮かべた。
一人きりで終わってしまうのではなく、これから二人で始まっていく予感に、マキは胸が熱くなった。
ー 完 ー
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