3:That Man

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3:That Man

 奇襲に早めに対応できたことが功を奏し、勝利はもはや疑いようがなかった。  恐らく、先行部隊が外周防衛ラインを速攻で突破し、増援を加えて明け方までに占領を完了する……という作戦だったのだろう。展開前の先行部隊がこちらに発見されてしまった時点で向こうの詰みだったといえる。  現在は掃討戦の最中だ。朝焼けが東の空を染める中で、戦闘は小規模に続いていた。  狙撃範囲の敵兵を始末し終えた私は、町中の瓦礫に敵が隠れていないか確認して回っている。大人しく逃げてくれるならまだしも、たった一人の自爆特攻を許すだけでも被害は甚大になる。何より、せっかく引っ越ししないで済みそうなのに、もし今の部屋を破壊されたりなどしたら姉さんが怒る。  ところどころで倒れている死体がきちんと死んでいるか確認しつつも、私の頭には別の思考が紛れ込む。もちろん、私が戦う理由についてだ。  結局、今日の戦闘でその答えを見つけることはできなかった。敵は相変わらず五十人がかりでも私にかすり傷ひとつ負わせることができないし、その五十人を殺しても私は傷つきもしなければ満足もしない。蟻を踏み潰すのに何の感慨があろうか。  姉さんは言った。この戦場で戦っている兵士たちは「銃を持てば、自分が強くなれると思ってる」のだと。  初めて銃を持ったときには、私にもその感覚があった。でも、それは勘違いだとすぐに分かった。銃弾は的を無視してあちこちに飛んでいってしまうし、射撃の反動で自分がよろけてしまう。  だから私は、練習した。何度も何度も撃って、精度を上げた。反動のいなし方も覚えた。私が強くならないと、銃は応えてくれないから。  でも、正規兵たちだって軍の厳しい訓練を受けているはずだ。それならどうして彼らはずっと、そんな勘違いをし続けているのだろうか。  いや、それはどうでもいい。今は私のことだ。私は、早く答えを見つけなければならなかった。  だって、こんなことばかり考えていたら――。 『死ぬぞ』  とっさに身をよじり、横合いから飛んできた銃弾をかわす。崩れた家屋の辛うじて残る窓から覗く銃口にあと一秒気づくのが遅れていたら、頭に一輪の赤い花が咲いていただろう。  道の反対側にある家屋の壁が小さく砕ける音を背中に、余計な思考を止めて戦闘態勢に入る。短機関銃を構えながら、木とレンガの山に紛れた敵兵の気配を探るが、それらしい影も見えなければ、割れたガラスを踏む音も聞こえない。枠だけの窓に威嚇で撃ち込むが、動きはない。  だが、必ずこの中にいる。慎重に窓へ近づき、中を覗く。  ――鈍くきらめく縁のある小さな穴が、暗がりから伸びていた。  すぐに飛びのいて距離を取る。一瞬遅れて発射された銃弾は、少し離れた別の家屋の三階のガラスを割った。  私が体勢を立て直すまでのわずかな隙を利用して、潜伏者が窓枠を飛び越え姿を現す。そのシルエットを見て、私は直感した。  この男だ。昨晩、私の狙撃位置を正確に特定していた兵士は。  それ以上彼を見る暇はなかった。彼はすぐにライフルを構え、射撃する。それは当てる前提ではなく、私の動きをもう一瞬封じるためだけのもので、彼は即座にライフルを捨てると、すぐ足元で死んでいる兵士の手から短機関銃をもぎ取って乱射してきた。  別の瓦礫で遮蔽を確保して銃弾を回避しながら、私は次のシナリオを考える。崩れているのはこの家だけで、他は健在だ。彼の姿を確認できないままどこかの家屋に入られれば、再び一方的な射撃機会を得られてしまう。それは避けたい。  手榴弾と同じくらいの大きさのレンガの欠片をつかみ、遮蔽越しに投げる。しょせんはハッタリに過ぎないが、それでも一秒、いやその半分だけでも稼げれば。  射撃音が止まったその隙に、私は瓦礫の陰から身を乗り出し、短機関銃を前方に向けて、ターゲットを捕捉する前に連射する。ところが、そこにいるはずだったターゲットはすでに姿を消していた。  もう別の家屋へ避難されたか。いや、まだだ。まだこの崩れた家屋の瓦礫を利用して隠れているはず。だとすれば、この短い時間で入れるのは最初に彼が隠れていた空間だけ。  レンガの欠片をもう一つつかみ、先ほどの窓へ投げ入れる。だが、二度同じ手には引っかかってくれないようだ。  向こうが顔を出せばこちらが撃てるが、こちらから下手に近づけば向こうに撃たれる状況。手榴弾の手持ちがあれば優位に立てたが、残念ながら今は持っていない。ただ、相手方は逃げるにせよ私を倒すにせよ、必ずそこから出てこなければならない。私は待った。  しばしの膠着ののち、唐突に彼は動いた。窓から銃の先端だけを出して連射を始め、そのままこちらに向けてくる。私は顔を引っ込めた。無数の弾が路面を跳ねる。  一瞬射撃が止まったので様子を見ようとしたが、再び窓枠を越えていた彼は、こちらが銃を構える暇も与えず連射を再開する。このまま弾切れを待って突撃するしかなさそうだ。  程なくして銃弾の雨が止んだ。私はみたび瓦礫の陰から顔を出し、銃を向け……ようとしたが、それは伸びてきた足の一撃によって手から離れていった。どうやら、彼はあくまで逃げずに戦うらしい。  武器を失った私たちは、近接格闘へと移行する。つかみかかろうとする腕は避けられ、転ばせようとする足はいなされる。急所を狙う攻撃は全て弾かれる。致命打を互いに与えられない攻防が続いた。  やがて彼の左手が私の首元をつかみ、私は一気にその場にねじ伏せられる。しまった。やられた。絶体絶命だ。このままでは、死ぬ。  戦場に出るようになってから一度も触ったことのなかった、腰の後ろのホルダーに手が伸びた。古い愛銃を抜き、彼のこめかみに構える。同時に、彼が取り出した拳銃が、私の額に当てられる。  ――この瞬間、世界は彼と私、二人だけのものだった。  遠くで響いているはずの銃声も、爆発音も、叫び声も、今だけは聞こえなかった。  ……いや、本当に音が止まっていたわけではない。ただ、私も、そしてきっと彼も、別の音を聞くことに集中していただけ。  すぐ近くで立てられる、お互いの呼吸音に。  そのとき私の中に湧き上がっていたのは、ある衝動的な欲望だった。幾千もの敵兵を手にかけてきたのに、一度たりとも感じたことのなかった、その想い。  殺意。  殺したい。目の前の彼を。引きたい。彼のこめかみに構えた銃の引き金を。粉々にしたい。私に覆い被さって笑っている彼の顔を。  動いたら撃つ。動けば撃たれる。こんなときなのに、私の頭の片隅に全く場違いな感想が生まれる。  ……綺麗な瞳。  銃声が響いた。
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