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1:Tearless Tear
その女、涙を知らず。
半分褒めて半分貶すようなその文句は、いつからか私の名前について回っている。たぶん最初は「血も涙もない」と似た意味のつもりで敵側が識別名称として言い始めたのだと思うけれど、仲間が死んでも皆と並んで涙を流すということをしない私の態度を揶揄して味方に引用されることもある。
「『涙知らず(ティアレス)』だ! 散開! 散開せよ!」
どちらも正しい。確かに私は、敵の涙も味方の涙も知らない。反撃する間もなく散っていく悔しさも、肩を並べた戦友を失う悲しみも、私には全く分からない。
「作戦中止! 全滅だけはするな!」
そもそも私はただの傭兵であり、他の兵と親しいわけでもない。ほんの少し戦列を共にしたからといって、友軍の兵士にいちいち情が湧くはずもなかった。いわんや敵兵をや。
「こ、こっちに……ぎゃぁぁああっ!!」
本日の掃除は終了した。
報告を終えて家に戻る。家といっても、かつて誰かの家だった建物を一時的に住処にしているだけで、戦況が変わればすぐに移動することになるのだけれど。
「お疲れ、ティア。今日も涙知らずだな」
「やめてよ姉さん」
義手の右手で長い茶髪をいじる姉さんの、吊り気味の目尻が下がる。
姉さんは、私を育てて、戦い方を教えてくれた人だ。本当は血が繋がっていなくて、いわゆる戦災孤児だった小さい頃の私を拾っただけらしいけれど、私はそのことをよく覚えていない。
「昔はあんなに泣いてたってのになぁ」
「いつの話?」
「さぁな」
私が戦闘服を脱ぐと、姉さんは救急箱を出し始めた。肩口の傷が気になったらしい。かすり傷だから手当てはいらないと手を振ると、「いいから」と強引に座らされた。
「痛いときは痛いって言えよ。膿んでからじゃ遅いから」
「痛くない」
「嘘つけ」
嘘ではない。だって、消毒液をつけるほうがずっと痛い。
「若いってイイねぇ。お肌がピチピチだ」
処置にかこつけて背中を撫で回すのはやめてほしい。
「髪もこんなに長いのにサラサラだし。そろそろ切るか? 邪魔だろ」
「うん」
後でな、と言ってから、姉さんは私の肩に包帯を巻く。
「……はい、終わり。あんまり無茶するなよ」
「……」
無茶するな。そう言われてふと生じた疑問を、救急箱を片付ける姉さんの背中に投げかける。
「どうして、私は戦っているの?」
「……あん?」
姉さんが振り向く。
「何で今そんな話になった?」
「だって、戦わなければ無茶もしない。無茶をしているとは思っていないけれど」
有象無象を蹴散らすのに、無茶などするはずもない。それ自体が無茶だというのなら、戦わなければいい。
では、なぜ戦うのか。
「ああ、そういうことか……。お前もそろそろ、そういうことをきちんと考えたほうがいいのかもな」
少し笑ってからこちらに向き直った姉さんは、真っ直ぐに私を見つめる。
「お前はどう思う? 何でお前は戦ってんだ?」
逆に質問され、私は戸惑う。
「……雇われているから」
「辞めてくればいい」
「……戦争が起きているから」
「逃げちまえばいい」
「……そうしないと生き残れないから」
「誰かから聞いただけだろ、それは」
ひとつ溜め息をついた姉さんは、立ち上がってお湯を沸かし始めた。ガスは通っていないので、調理には軍用の携帯コンロを使っている。
やがて沸いたお湯で、姉さんは紅茶を淹れ始めた。これはこの家にあったものだ。先日まで非戦闘地域だっただけのことはある。
「仕事だから戦う。戦争が起きてるから戦う。そんなのはただの言い訳で、それを戦う理由だとか言ってる奴は馬鹿だ。本当に戦うのが嫌だけど仕方なくやってるだけなら、仕事を変えればいいし、逃げればいい」
カップに紅茶を注ぎながら、姉さんは言う。
「もちろん、『戦わなければ生き残れない』なんてのも嘘だ。世界には戦わなくても生き残れる方法が山ほどある」
義手の握力はそう強くない。姉さんは左手でカップを一つ持ち、テーブルに置いてから、もう一つを取りに戻った。
「アイツらは、自分の人生がつまらないのを軍や戦争や敵国のせいにして、ただ鬱憤を晴らしてるだけなんだよ。銃を持てば、自分が強くなれると思ってる」
椅子に座った姉さんは、そのまま左手のカップを口に持っていき、少し飲んでから、テーブルに置いた。膝に置かれた義手の指が閉じて、開き、また閉じて、また開く。
「そんなわけないのにな」
義手を見つめながら、姉さんは呟いた。それからもう一つのカップをつかみ、
「今の軍にはそんな馬鹿しかいない。敵にも味方にも。さて……」
取っ手をこちらに向けて、差し出してくる。
「少なくとも、お前はそんな理由では戦ってないはずだ。じゃあ、お前は何で戦ってんだ?」
そう問いかけられ、受け取ったカップの中の紅茶にぼんやり映った自分の顔を見つめる。
「私は……」
少なくとも、私は彼らより強い。強くなりたいという願望をこじらせてがむしゃらに銃を振り回しているだけの連中よりは、ずっと。
でも、強くなるためではないのなら。私は、どうして戦っている?
「……分からない」
今は、そう答えるしかなかった。
「そうか。でもまあ、お前の場合はそれ以前に、戦うことしか知らないんだもんな。アタシはそれしか教えてないし」
姉さんは片脚を椅子に立てた。紅茶はいつの間にか飲み干したらしい。
「もしこれ以上戦いたくないなら、いっそアタシと一緒に遠くまで逃げるってのもアリだ。どうだ?」
「……」
あまり想像がつかなかった。姉さんと二人、戦争とは無縁の生活を送る。ライフルも拳銃もナイフも捨てて、血と硝煙の匂いがしない場所で暮らす。それは……きっと今よりもっと。
「つまらなさそう……」
「さすがアタシの育てた女、良い答えだ」
空のカップで私を指しながら、姉さんはニヤリと笑う。
「でもな、一度気づいちまったんなら、ちゃんと考えたほうがいい。何で自分が戦ってんのかをな。じゃないと……」
死ぬぞ。
最後にそう付け加えて、姉さんは立ち上がった。
「髪、切るんだろ。早く飲んじまってくれ」
まだ一口も飲んでいない、少し冷めた紅茶を口に含む。それなりに高級なものらしいことは分かったが、好きな香りではなかった。
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