自分とは

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 成人式には出席せず、その頃からマリは我が強くなった。仕事を始め夢が広がると、自分の主張を訴えたくなる。  理解してもらいたい、こーでなきゃいけない、自分の言い分ばかり唱えて協調性を欠くこともあった。  山あり谷ありを繰り返し、やっと認められたときは嬉しかっただろう。夢が叶った達成感はまた次の目標へと向かう。そんな信念をマリは何年も仕事に費やした。  そして結婚をし、子宝にも恵まれた。親として新しい分野で学ぶこともまた様々。  子供を通じて出来る親同士の親交、役員の関わり、子供の成長を促す親としての役割、夫婦・家族としての互いの存在。  楽しいはずのあるべき姿がマリにはしっくりこなかった。人と人との間には常に冷たい風が吹く。  自分は自分でありながら、それぞれの立場に立った、何種類もの自分がいる。  独身だった頃、夢を追いかけ目を輝かせ好きなように働いたマリ。更なる成長の布石となる結婚を選び、新しい自分に出会えると大きく夢が膨らんだと思いきや、日々のやるべき家事炊事が重くのしかかり夢を見られなくなった。  何をしても当たり前ーー。 それが家族からの視線だった。 そんな自分もまた自分。  マリは自分が何者なのか不安を覚えるようになった。    月日が経ち、子供たちが成人し独立していくと、残された夫婦の生活は著しく弱っていく。  何を境かわからないが、歳をとるにつれて失っていくものが多くなる。 夢も、健康も、力も、希望も。  マリは70代、80代と何とか健康を維持し、子供たちに迷惑をかけないように我が身のカウントダウンを始める。やり残したことがないか、まだ動けるうちに行きたいところはないか。  走ることも、まだ少しは出来る。生きていることの喜びをボケる前にこの身を持って感じておきたいと。
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