#1 - 失踪

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 3  甲虫紳士(ジェントル・ビートル)の襲来から、二週間が経った。  数ヶ月後に出現するとされる『地獄の門』の規模を抑えるべく、私とミシェルは事件の気配や悪魔達の動きにアンテナを張っていたが、特にこれといった超常犯罪は起きず、私達は束の間の安寧に浸っていた。  その日々が過去形である理由は、本日遂にFBI超常課のワークエリアにて、サイモン主任(チーフ)から新たな事件に関する情報の共有を受けていたからだ。  漸く超常犯罪と認定された事件が起きたのだという。  出来れば、そのまま珈琲を啜りながらゆったりと過ごしたかったものだが、どうやらこの街は私の隣人(アネット)と同じく、平穏を享受できないタチらしい。 「五日前、ロス市警に通報があった。内容は『LA自然史博物館で恐竜に食べられそうになった』というものだ」 「恐竜? 恐竜って……あの恐竜ですか? T-レックスとか、トリケラトプスとか」 「多分な。通報者はその博物館の夜間警備員で、酷く憔悴していたという。当然そんな通報を市警がまともに取り合うわけもなく、しかし通報者が余りにも鬼気迫った様子だったらしくてな、統括課と犯罪捜査課の方で少し調べたところ、LA自然史博物館には八人の失踪者がいることが分かった」 「失踪? そんなに失踪者が居たのに、これまで通報されなかったんですか?」  ミシェルの疑問は尤もである。  一人や二人ならいざ知らず、それだけの人数の警備員が失踪すれば明らかに事件だ。 「博物館の管理者(オーナー)が悪評判を恐れて通報させなかったらしい。管理者も何が起きているのか分かっていなかった様だ。だが今回は事態の重さを理解し、昨日漸く館内捜査の許可が下りた」 「人間って、どうしようもない生き物ですね……」 「悪魔が取り憑きたくなるワケがよく分かるな」 「そう言ってやるな二人とも。ただでさえ客足が減りつつある博物館だ、経営はかなり厳しいのかもしれない。その行いが許されるわけでもないがな。まぁそれは置いておいて、二人には本日からこの件の捜査を行ってもらう。ちなみに博物館の休館は明日からだから、本格的な捜査は明日以降行ってくれ。ああ、個人的に行くなら自由だぞ、チケットなら二人分ある」 「なんで持っているんですか……」  サイモンは、恐竜の化石の写真がプリントされた二枚のチケットをデスクの上に置く。  大人一枚十二ドル。彼のことだから、恐らく経費で落としているのだろう。  ふと、横に居るミシェルがデスクに駆け寄った。 「わぁ! 本当に頂いていいんですか!?」 「おう持ってけ持ってけ」 「私、博物館ってほとんど行ったことないんです! ジョンさん、この後一緒に行きませんか? あ、もちろん捜査の下見が目的ですよ!」  そう言いつつ、ミシェルは両の瞳を子供の様に輝かせている。  私も、子供時代には何度か両親に連れられて大好きだった恐竜の化石を見に行っていたので、彼女が抱く期待感はよく分かる。  昔ほどではないが、今でも博物館に行くのは楽しい。  しかし名目上は捜査の一環とはいえ、事件が発生している現場に遊びに行くというのは倫理的にどうなんだろうか。  それに少々能天気すぎやしないだろうか。  そもそも、そんな危険な場所が今現在休館していないという、イカれた事実に驚愕を禁じ得ない。 「これ、本当に行っても大丈夫なんですかね……というかお客さん無事なんですか?」 「それも含めて調査してくれると助かる。まぁ、今のところ確認出来ている被害は夜間警備員だけの様だから、おそらく事件が起きてるのは夜の博物館なんだろう」 「夜の博物館……あれ、どこかで聞いたようなフレーズ……」  ミシェルのその呟きには同意だし、該当するそれが既に私の脳裏を過っているが、敢えて言及しない。  ただ、「あの映画は面白かった」とだけ言っておこう。 「……はぁ、分かりましたよ。とりあえず見に行ってきます。ミシェル、十五分後には出られるように準備を頼む」 「はい! それじゃあ私は荷物まとめて車回してきますね。失礼します!」  ミシェルはその場で元気よく敬礼すると、小さくガッツポーズをしながら笑顔でワークエリアを出て行った。  本当に子供の様に元気な相棒(バディ)だ。  あの笑顔を見ていると、直前まで抱いていた心配事がどうでもよくなってくる。 「どうだ、ジョン。あの新人は」  そんなことを考えていると、徐にサイモンが訊ねた。  質問はとても抽象的だが、だいたいの意図は察することが出来る。 「よく働いてくれてますよ。いつも元気で前向きで、そして正義感に溢れている。時々気合いが入り過ぎて空回りすることもありますけど、いい相棒です」 「そうか。嫁さんとどっちが良い女房だ?」 「主任……何度も言ってるじゃないですか、あれ(アネット)は嫁じゃなくてただの隣人だって。それにミシェルと比較するのはやめて下さい。あと女房って言い方もやめて下さい。ミシェルに対抗心燃やしてるから、そういう話になると面倒臭いんですよ」  アネットはミシェルが私の相棒になって以降、ミシェルよりも自身が役に立つことを執拗にアピールしてくるようになった。  曰く、『小娘如きに背の君の隣は譲らん』とのこと。  今尚、彼女は私の耳元でひたすら自分が如何に役立つ存在なのか、そして比類なき良妻であるかを囁いてくる。  だから恋人でも妻でもないと何度も言っているというのに、非常に鬱陶しい。  しかも彼女は自身の姿を、ミシェルには頑なに見せようとしない。  本当に隣を取られると思っているのか、余程ミシェルの事が気に入らないらしい。  この魂が滅ぶまで一心同体だというのに、なにを心配しているのだろうか。 「悪かったよ、だからそんなに睨むなって。いや少し心配だったんだよ、本部長の所に行って色々と知ったみたいだからな。この街の事や、お前達の事とか」 「ああ、なるほど……」  初めてミシェルがマルコムと対面したあの日、彼女は『地獄』を目にした。  LAの裏側にして、悪魔と亡者が犇めく紅蓮の世界。  その光景はきっと彼女の脳裏に色濃く焼き付き、その価値観に大きな影響を与えたことだろう。  それにジニー達が解決した事件の話のみならず、私達が甲虫紳士の対応をしている間もマルコムは彼女に様々な知識を与えた様だった。  外面は何も変わらないように見える彼女だが、恐らくその思考や内面にはどこか変化が起きているはずだ。  超常課の捜査官として成長してくれるのは有難いことだが、彼女の本質までもが変化してしまうことだけは避けたい。  サイモンはそれを危惧したのだろう。当然、私も気に掛けていたことだ。 「今のところはいつも通りですよ。彼女は分かりやすい性格ですし、様子がおかしければすぐに分かると思います」 「そうか。だが、おかしくなってからじゃあ遅い。お前さんと違ってあいつは普通の人間だ。深淵に飲み込まれないよう、気を配ってやってくれ」 「ええ、分かっています。でもそんなに心配なら、主任が彼女の相棒やったらどうです? なんなら俺と変わりますか?」 「おいおい、こんな非力なオッサンに狡猾で残忍な悪魔共と戦えってか?勘弁してくれよ、現場での活躍は若いお二人に譲るぜ」  躱された。相変わらず、サイモンは意地でも現場に出ようとしない。  しかし実際に現場に出た彼ならば、舌先三寸で悪魔や魔人を説き伏せてしまう様な気がする。  勿論、その前に殺されなければの話だが。  尤も私の言葉も冗談だし、そもそもあまり期待はしていない。  それに今の役割を譲る気もない。  LAの人々を守るのは、私の役目だ。 「一応、今のうちに調査資料を渡しておこう。通報者の聴取記録はこの資料を参照してくれ」 「了解しました」 「エクスシアへの応援要請は、お前の判断に任せていいんだよな?」 「はい。本部長から直々に許可を貰いました。今後は必要に応じて俺の方から直接連絡します。その分、報告業務も倍ですけどね……」 「こっち(超常課)の報告書はミシェルに任せちまえ。相棒とはいえ、書類仕事は部下に任せるに限るぜ? 俺みたいにな!」 「主任はもう少し自分で仕事してくださいよ!」 「ははは、すまんすまん」  口では謝っているが、顔には反省の色が全く見られない。  もはや、これは治らない病気か何かなのだろう。きっと言うだけ無駄だ。  そう思い直した私は諦めの感情を深い溜息として吐き出して、その思考を払拭した。 「まったく……それじゃあ、ミシェルが待っているのでそろそろ行きますね」 「おう、楽しんでこい」  主任の言葉に若干釈然としないものを感じつつ、しかしながら私は僅かに心を躍らせ始めていた。  半分は仕事の様なものだが、折角の機会なので、久しぶりに博物館の展示を楽しむことも悪くないと思い始めていたのだ。  私もミシェルとなんら変わりない。  徐々に童心へと帰る私は、主任に見送られながら早足でワークエリアを後にした。
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