#2 - LA自然史博物館

1/3
7人が本棚に入れています
本棚に追加
/27ページ

#2 - LA自然史博物館

 1 「うわぁ、すごい……!」  エントランスホールに展示されている二体の大型恐竜の化石を目の当たりにした一人の少女が、その迫力から生じた興奮をなんとか爆発させまいと静かに燥(はしゃ)いでいる。  もしも大声を上げながら飛び回ろうものなら、思わず注意していたかもしれない。  しかしどうやら場所に合わせた礼儀作法は弁えているらしく、なにやら小声で感想を呟いてはいるものの、大きな声を出したりする様な真似はしていない。  博物館の正しい楽しみ方を知る稀有な少女である。  喧騒を嫌う私達大人としては、そういう子供の実在が少し嬉しく、どれほど輝いた瞳でそれらを見ているのかつい知りたくなって、ちらりと横顔を確認する。  そしてその少女の顔を見た私もまた、静かに驚いた。  その少女は、紛れもなく私の相棒(ミシェル)だったからだ。 「どうかしましたジョンさん? あ、私の顔に何かついてますか?」 「いや、随分楽しそうだなぁと思ってさ」 「どこか他所の子供だと思った」などと馬鹿正直に言えるはずもなく、首を傾げるミシェルに対して、咄嗟にそう返答した。  確かに彼女の身長は平均よりも低いが、それでも成人女性なら全くおかしくない背丈で、体型も多少スレンダーではあるものの決して、子供のものではない。  しかし背後から見ると、どうしても少女にしか見えないのは、彼女が纏う雰囲気がどこか幼いからだろうか。  これも本人には言えないなと思いつつ、誤魔化しの笑みを浮かべていると、ミシェルはとても晴れ晴れとした表情で返した。 「はい! とても楽しいです! パンフレットを見た時からもう楽しみで楽しみで仕方なかったんですけど、実物を目にすると迫力が凄くて、こんなに大きな生物が地球を闊歩していたなんてとても浪漫があって素敵だなぁ、とか思ったりするんですけど――」  どうやら心のダムが決壊し、塞き止めていた感情が漏出したようだ。  非常に早口で自らの想いを述べ続けている。  基本的に恐竜という太古の生物に対する浪漫を抱くのは少年や少年の心を持った大人が多いので、ミシェルがこういったものに興奮するのは、少し意外だった。  そして彼女は興奮すると早口になる様だ。  もう早すぎて、今は何を言っているのか全く判らない。  適当に相槌を打っていると、ミシェルがはっと何かに気付いた様な表情を浮かべた。 「あ、これって一応仕事なんですよね。こんなに燥いでしまって良いのでしょうか……」 「主任が行ってこいって言ったのだから、問題ないさ。なんなら、調査は俺に任せて君は楽しんできなよ」 「え、い、いやいや! そんなこと出来ませんよ! ジョンさんに仕事を任せて自分だけ楽しむだなんて! それに私は一人で見て回るよりも、誰かと一緒に見て回りたいなぁ……なんて」  ミシェルはこちらから視線を外し、僅かに顔を赤らめている。  おそらく本人としては、館内を巡って展示物を楽しみたいという気持ちが強い一方で、仕事の一環である以上は、己の職務を全うしたいという気持ちも同程度に抱いているのだろう。  私としても調査を行うなら一人より二人の方が効率が良いと思っているし、同時に展示物を見て回る事も楽しみにしている。  ただ、調査を行いながらではどちらか一方に集中出来ないと思ったのだ。  尤も本格的な調査は明日以降に行う予定なので、今日は最低でも内部の構造が理解出来れば問題ない。  その折に何か見つけられればラッキーといった程度なのだ。  それに、ミシェルの楽しそうな様子も見ていたい、という感情も少なからずある。  もはやこれは庇護欲に近い気がするのだが、彼女が子供の様に楽しんでいる姿を見ていると何故だか心が落ち着くのだ。  子供どころか妻帯者ですらない身でありながら、親心の様なものが芽生えていることに若干の違和感を覚えつつ、私はいくつか妥協することにした。 「じゃあ一緒に回ろうか。その代わり、ミシェルは館内の構造や展示物の特徴をよく覚えながら見て回ってくれ。俺は悪魔や魔術の気配が無いか探りながら見ていくから」 「分かりました! それじゃあ早速あちらに行きましょう! あちらには別の恐竜の化石があるみたいなんですよ! さぁさぁ早く早く!」 「お、おいおい……」  私の返答を聞いたミシェルはとても嬉しそうに私の腕を掴み、そのまま次のエリアへ連れて行こうと強く引っ張る。  年甲斐もなく燥ぐその様は、まさしく子供。  やはり彼女は、年齢を十つほど詐称している。  そう思ってしまう程に、彼女は同年代の女性と比べて非常に幼い性格をしているのだ。  しかし普段は仕事に対して真面目な性格であり、度々ドジを踏むことや多少早とちりな面はあるものの、多彩な知識を持っている点は大学卒ならではと言えるだろう。  そんな大人と子供の相反する二つの性質を備えた彼女が、深淵なる知識の一端に触れたのは二週間程前の事だ。  人は純粋であればあるほど狂いやすく、また知識に飲まれやすい。  今はそういった様子は微塵もないが、サイモンにも注意された通り彼女の事は常に気にかけておくべきだろう。  何故なら既に人間ではない私と違って、彼女はまだ普通の人間なのだから。  まだこちら側に引き込まれていない、ただの人間なのだから。  彼女も私が守らなければ――そう決意して私の手を引くミシェルの顔を見れば、そこに浮かべる笑顔はとても眩しかった。
/27ページ

最初のコメントを投稿しよう!