#2 - LA自然史博物館

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 2  LA自然史博物館はエントランスホールから右回りに回って行くと、T-レックスやトリケラトプス、ステゴサウルスに首長竜といった複数の大型恐竜の化石が展示されているエリアがあった。  やはり大型恐竜というのは童心やら男心やらをくすぐるらしく、見て回っていると段々と楽しくなってくる。  しかしこれも仕事の一環であることを思い出し、ふと通報にあった恐竜がどれなのか展示物の中から探ってみたものの、それらからは特に何かの気配を察知することはなかった。  この博物館に潜んでいるのが悪魔なのか、それとも他の何かなのかは分からないが、やはり超常存在が活性化するのは深夜の様だ。  私達は道を辿って更に奥へと進み、複数の女性が背中合わせに立つ像がある旧館ホールへと辿り着いた。  そのホールからは階段とエレベーターを使って、二階もしくは地上階へ行くことが可能で、また右に続く扉を抜ければ外の自然庭園へ行くことが出来る様だ。  今回の目的は館内の調査なので自然庭園は見送り、そのまま階段を伝って二階へ上がる事にした。  二階はアフリカ大陸やアメリカ大陸に生息する哺乳類や鳥類の剥製が多く展示されているエリアだった。  展示物達は今にも動き出すのではないかと思えるほど躍動感に満ちており、本物の生物では近付けない距離まで近付いて見ることが出来るのは、こういった展示物の良いところだろう。  ここでも特に何かを感じるものはなく、やはり本格的に調べない限りはあまり意味が無いのだろうか――そう思いながら西側に進んでいた時だった。 『背の君、少し止まれ』  背後を浮遊するアネットが、私のジャケットの裾をくいくいと引っ張る。  わざわざ足を止めさせたという事は、何かの気配に気付いたのだろうか。 「どうした?」 『……うむ。やはりそうだ、間違いない』 「なんだよ。何かあるのか?」 『背の君よ、おそらくだがこちらには何もないぞ。匂いから遠ざかっている』 「匂い……?」  アネットの言う匂いとは、おそらく超常存在が放つ気配のことだろう。  しかしここまでの道中で、その様なものは感知できなかったはずだ。  当然、私よりもアネットがその類の感知に優れているのは間違いないのだが、問題は彼女がその匂いをどこで強く感じたかだ。   「一番強く感じたのはどこだ?」 『エントランスホールだ。あの場所から離れるほど匂いが薄くなっている。尤もエントランスホールで感じた匂い自体、微かなものだったがな』 「……一応、あとで戻って調べてみるか」 「ジョンさん? なにか気付きました? それともアネットさん?」  猛禽類の剥製が並ぶガラスケースの前に立つミシェルが、こちらの様子を窺っていた。  小声で会話したつもりだったのだが、ミシェルには気付かれていたらしい。  気付いていたのがミシェルだけの様だからよかったものの、もし赤の他人だったなら、空気と話をする不審者と思われていたことだろう。  アネットとの会話はもっと気を付けなければ。 「ミシェル。一通り回ったらエントランスホールに戻りたいんだが、いいか?」 「あ、なにか気になる事があるんですね。了解です! それじゃ、一階の鉱物エリアを見て、それから一度エントランスホールまで戻りましょうか」 「ああ」  私の返事にミシェルは笑顔で返し、彼女はそのまま階段を駆け下りて一階西側の鉱物エリアへと早足で向かって行った。  随分と早足なので、調査の時間を確保する為に出来るだけ早く回ろうとしているのかとふと思ったが、追い付いてみれば貴重な鉱石や色彩豊かな宝石が数多並ぶショーケースに釘付けになっているミシェルの姿を目の当たりにして、決してそうではないと理解した。  どうやら、彼女もしっかりと「大人の女性」らしい。  その後、今一度エントランスホールに戻って来た我々はT-レックス達の周囲を歩き回り、変わった点がないか目視と六感で調べてみたが、やはり目ぼしいものは何も見つからなかった。  アネットが感じたという匂いの発生源はただ遠くないというだけで、別段近いというわけでもない様だ。  やはり本格的に調べてみないことには、手掛かりすら得られないのだろう。 「ぼちぼち引き上げようか」とミシェルに声を掛けようとして、ふと近くに彼女の姿がない事に気付く。  周囲を見渡して探してみれば、少し離れた場所で二人の男と話をしているミシェルを見つけた。  その男達はどちらも同じ格好をしており、その格好が今回の事件の通報者である博物館警備員と同じであることを思い出した。  どうやら、ミシェルは警備員達に対して聞き込みを行っている様だ。  私も加わろうと思ったが、参加する前に聞き込みは終わってしまったらしく、ミシェルが警備員達に敬礼して踵を返す様子が見えた。  そして彼女はすぐさまこちらを見つけ、手を振りながら駆けて来る。 「お待たせしましたジョンさん。なにか分かりましたか?」 「いや、こちらでは目ぼしいものはなにも。そっちは彼等に何を聞いていたんだ?」 「失踪者の件と通報の件、それと月並みですが、何か不審なものを見ていないか伺いました」 「で、結果は?」 「有益な情報かどうかは分からないんですけど、少し気になることを話してくれました」  有能だ。彼女ならどの課でも重宝されるだろう。  超常存在が見えさえしなければ、配属されていたのは特殊犯罪捜査課だったかもしれない。 「聞かせてくれ」 「はい。まず夜間警備員の失踪者の件ですが、昼の警備員の方も知っていたそうです。ただどれくらいの人数が失踪していたかまでは知らなかったみたいですね」 「館長は隠蔽していたらしいが、おそらく昼と深夜の警備員同士で知り合いが居たんだろうな。突然知り合いが消えたらそりゃ不思議に思うはずだ」 「ただそれに関連して、お話を伺った両名とも奇妙な体験をしたそうです」 「奇妙な体験?」 「数週間前に失踪したはずの夜間警備員の方を、昨日の夕方に館内で見かけたそうです。しかも、格好は制服だったそうです」 「それは……確かに妙だな」  警備員達の失踪がただの失踪であるとしても、制服姿で戻って来るということはまずあり得ないだろう。  超常犯罪の発生が確定しているこの博物館において、失踪している彼等は既にこの世にはいないと判断するべきだ。  それにも関わらず死んだ人間を現世で見かけるということは、彼等が『幽霊(ゴースト)』化している可能性が高い。  未練を残し、現世に思念を漂わせる幽霊に。 「お二方とも見かけた場所はそれぞれ違った様ですが、どちらも地上エリアに向かう階段を降りて行くところを見かけたらしく、それも昨日だけでなく、ここ数日に何度も見かけたと話していました。本人達は見間違いか何かだと思っていたらしいんですが、今思うとやはりおかしかったと」 「成程。この下か」  そういえば一階から下へ、地上階へは行っていなかった。  確か地上階にはショップやフードコート等があった気がするが、それ以外のものは何が展示されていたか覚えていない。  流石に何の準備もしていない状態で幽霊が向かった先の調査は出来ないが、後ほど館内マップを確認して、構造理解だけはしておこう。 「それと、どうやらこの博物館には『深夜に警備員の幽霊が出る』という噂があるらしくて、それに関係があるんじゃないか、とかなんとか」 「間違いなくあるだろうな。深夜は悪魔や幽霊の動きが活発化する時間帯だ」 「でもあの警備員さん達、知り合いだった警備員を見かけたのは夕方頃だったって言ってたんです。そもそもあの人達は日中の時間帯担当らしいですから、噂も全容は知らないとのことでした」 「夕方……黄昏時か」  夕方、夕刻、黄昏時――深夜ほど超常存在が活発化する時間帯ではないが、現世と幽世との境界がひどく曖昧になる時間だと云われている。  それ故に人々は時折この時間帯にて見えないものを目にし、存在しないものの気配を感じる。  世界の目が眩むその時こそ、奴等はその身を人に晒すのだ。  しかし実際に館内を一通り回ってみても、幽霊の気配は感じることが出来なかった。  それこそ地上階のどこかに潜んでいるのか、あるいは何かに宿っているのか、現状ではそれが全く分からない。 「アネット。幽霊の気配はあったか?」 『いいや、全く』 「全く? 微塵も?」 『微塵もだ』 「オーケー。だいたい分かった」 「え! なにか分かったんですか?」 「よく分からないってことがな。しかし不可解極まりないこの感じ……すぐにでもマルコムさんに相談したいな」  情報の統合性が欠けている。  聞いた限りの内容では、この博物館で何が起こっているのか全く見当が付かないのだ。  このまま超常課の人間だけで深夜の博物館に乗り込んで調査するのは、あまりにも危険だ。  情報、作戦、そして助っ人……必要なこれらを揃える為にも、このあとすぐにでもマルコムに知恵を借りるべきだろう。  それが正しい選択のはずだ。 「……よし。本格調査の前に一度マルコムさんに相談しよう。ちなみに通報の件――『恐竜に食べられそうになった』件については?」 「鼻で笑われました」 「まぁそりゃそうだよな……」  恐竜に食べられるなぞ、どこのスピルバーグ映画の話だ。  警備員達はきっとそう思ったに違いない。  しかし、その一見馬鹿馬鹿しく思える通報も我々の調査の対象だ。  せめて私は、それが通報者の錯覚であることを祈らんばかりである。  恐竜に追われるのはスクリーンの中だけでいい。    一通り見たいものも見終え、集められる情報も出来る限り収集した私達は、久しぶりの自然遺産巡りもそこそこに博物館を後にした。
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