#1 - 失踪

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#1 - 失踪

 1 「深夜の博物館」  その言葉を耳にした者は、いったいどの様な光景を脳裏に浮かべるだろうか。  おそらく大半の者は、警備員が懐中電灯を片手に、真っ暗な博物館を巡回する画が浮かぶかもしれない。  もし、その際に警備員が殺人事件の現場に遭遇すれば、それはミステリーだ。  怪奇現象や幽霊に遭遇すれば、それはオカルトと言える。  そして愉快に動く展示物達に遭遇すれば、それはコメディーである。  期間限定で夜間も開館している博物館は存在するが、そういった例外に関しては考慮しないこととする。  さて、状況によって様々なジャンルへと変化する深夜の博物館だが、もしも前述した三つの事象が同時に発生したとすれば、それは何を意味するだろうか。  ニューダウンタウンから車で十五分ほど南西に向かった先、緑豊かなエクスポジションパークの一角には『LA自然史博物館』がある。  恐竜の化石や動物の剥製、アステカやインカ文化の土人形や貴重鉱石など、自然的な遺産が展示されている博物館だ。  この夜、館内には巡回する警備員が二人いた。  彼等の名前はマイクとケビン。  両者ともこの職に就いてから、まだ一週間しか経っていない新人警備員である。  彼等はそれまで夜間警備員の経験が無く、過去にはショップ店員などの日中のアルバイトが主で夜間仕事は初めてであったが、そんな不安など意に介さず応募に踏み切った理由があった。  それは、金払いが非常に良いということだ。  LA自然史博物館の「夜間警備員急募」の張紙に記載された時給額は、相場の四倍という桁外れの金額であった。  数々の自然遺産や文化財を窃盗から守る重要な仕事である為、本来ならば相応の技術や経験が必要であり、それに見合う対価であると捉えることも出来るだろう。  しかし今回の緊急募集には、そういった経験や技術習得などの条件が無く、未経験も歓迎するという暴挙に出ていた。  この時点で大抵の者は「裏に何か良からぬことがあるのでは」と勘繰るはずだ。  一見簡単そうで金払いの良い仕事の実態というのは、大体命が危ない。LAの常識である。  尤もそれが分かっているとしても、金に目がくらんで自ら危険に飛び込んでしまう者達は必ず存在し、今回はそれがマイクとケビンという二人の若者だったのだ。  そして二人が警備員となって一週間、今日まで特に変わった事は何も無かった。  それが嵐の前の静けさなのか、あるいは本当に何も危険なことが無いのかは定かではない。  ケビンがある噂を聞くまでは――。   「なぁマイク、聞いたかよ」 「お前の二股がバレて彼女に頭燃やされた話をか?」 「違ぇよ! そんな話一度もしたことねーよ! ってかこの頭は焦げたんじゃねぇ! 地毛だ!」  マイクの軽口に、ケビンは制帽を取って自身の天然パーマ頭を指差しながら、黒人的な厚ぼったい唇を尖らせて反論する。  すると彼の返しが面白かったのか、マイクはけらけらと笑った。  学生時代、互いにアメリカンフットボールのラインを経験していたこともあり、この一週間で彼等は軽口や冗談を言い合うほどに親密な関係を築いていた。  話し相手がお互い以外にいない職場の為、互いを知る機会が自然と多くなり、また歳が近いこともあって親近感を覚えたのだろう。  一頻り笑ったマイクは、平謝りしながら額の血管を浮かせるケビンを宥め、改めて彼の話に耳を傾ける。 「で、話はなんだよ」 「この博物館の話なんだけどよ。実はここ、噂があるらしいんだよ」 「噂? まさか、ド定番の『展示物が動く』とかじゃないだろうな」 「それならよかったんだけどな……まぁ最後まで聞けよ」  ケビンは懐中電灯を振って闇に包まれた廊下を照らし、辺りに特に異常がないことを確認すると、僅かに声を潜めた。 「……ここ、俺らより前の夜間警備員が失踪してるんだってよ」 「失踪?」 「昼の警備のやつから交代の時に聞いたんだけどよ、そいつには仲が良い夜間警備員が居たらしくてな。いつも交代の時には必ず互いを労ったり、珈琲を奢り合ったりするぐらいには親密だったらしい。で、ある日、その夜間警備員が突然来なくなって、連絡も付かなくなった」 「単にリザインしただけじゃないのか?」 「俺もそう思ったんだが、そいつが言うには前日までそんな雰囲気は無かったし、誠実で挨拶も無しに辞める様なやつじゃねぇって話だ。しかもな、その夜間警備員の制服が返却されてないらしい」 「制服泥棒か? 随分とニッチな趣味だな」 「いや、流石に盗んででも警備員の制服を欲しがるやつなんてそういねーだろ……」  少し呆れ気味のケビンの言葉に「それもそうか」とマイクが零す。  しかし貸与制の警備員の制服が返却されていないということは、やはりその夜間警備員が制服を盗んだことになる。  昼の警備員が語った通りの誠実な人間であるとすれば、辞めた後に制服も返却されているはずなので、確かに失踪という表現が合致しているかもしれない。そうマイクは考えた。   「しかもな、同じ様に失踪した警備員ってのが他に何人もいるって話だ」 「夜間は二人体制だろ? 一人ずつ失踪したのか? それとも一緒に失踪したのか?」 「さぁ」 「さぁって……」 「いや、昼の警備のやつが実際に体験したのは仲が良かった警備員の失踪だけで、他は受付や館長から聞いた話らしい」 「又聞きのさらに又聞きみたいなもんだろそれ……本当に何か盗まれたりしてないのか?」  働いていた人間が突然失踪した場合、考えられる理由は何かを盗んで逃走しているか、或いは野垂れ死んでいるかのどちらかだろう。  常識的に考えれば可能性が高いのは前者であり、出来れば後者であってほしくはないとマイクは思った。  二の舞は御免だからだ。 「制服以外には特に無かったけど、失踪した日の翌朝、昼の警備員が廊下で懐中電灯を見つけたらしい」 「落ちてたのか? 廊下に?」 「らしい」 「どうやって帰ったんだ、その失踪したやつ」 「だから失踪なんじゃねーの? 帰った痕跡もないって話だしよ」 「なんだか、途端にオカルト染みてきたな……」  警備員が携帯していたはずの懐中電灯は博物館の廊下に残され、帰った形跡もなく、警備員の制服を持ったまま消息を絶った。  これだけ聞くと、何か妙な事が起きた様な、「まるで幽霊(ゴースト)にでも祟られたのでは」と、マイクは年甲斐もなく幼稚な想像をしてしまった。  するとケビンは、マイクの呟きに口を歪めた。 「お、察しが良いな。実はこの話には続きがあってな……出るんだってよ、この博物館」  ケビンが潜めた声でそう言うと、マイクは驚きと呆れを混ぜた様ななんとも言えない表情を浮かべる。  もはやここまで来ると想像に難くないが、「出る」というそれについて、マイクは敢えて尋ねることにした。 「何が?」 「幽霊だよ、幽霊! 警備員の服装をした幽霊が、深夜にここを徘徊してたんだってよ! しかも何人も居て、そのうちの一人が昼の警備のやつと仲が良かったやつに似てたらしいぜ」 「待った。それ誰が見たんだ?」 「たしか……昼の警備のやつと、館長だったっけな」 「ということは昼間に見たってことか? 幽霊って昼にも出るのか?」 「細かいことはいいじゃねーか。大事なのは、もしかしたら俺達もその仲間にされちまうかもってことだよ!」 「はぁ?」  途端に、青ざめた表情を浮かべながら放ったケビンの言葉に、マイクは眉をひそめる。 「いやだってよ、おかしいと思わねーか!? ここの給料、相場の四倍だぜ!? 絶対何か裏があるって思ってたんだよ! 噂聞いた時は面白いなーとか思ってたけど、よくよく考えると俺らの状況って相当ヤバいだろ! 嫌だ俺死にたくねえ!」  ケビンは自身の体を両腕で抱え、ガタイに似合わず小動物の様に震えている。  しかしあまりにも突拍子で、そのテンションに付いていけないマイクは、深い溜息を吐いた。  彼はケビンの様に幽霊を信じたり、噂を鵜吞みにする性格ではないからだ。 「ばかも休み休み言え。それにただの噂だろ? そんなもん信じてたらこの仕事やってられないぞ」 「でもよぉ、実際この博物館何かありそうなんだよなぁ……ほら、化石エリアとかインカの石像のところとか、何か出そうじゃん!」 「あほくさ。この一週間特に何も起きてないし、気にしなければ大丈夫だろ。そろそろ見回り行くぞ。俺が二階、お前が一階な」 「え、ちょ! この流れで一人で行こうとする!? えぇ~……」 「うるさい、さっさと行けって」 「うぅ……怖えなぁ」  そう言いつつ、ケビンは館内の巡回に向かった。  結局、彼も噂については怖いもの見たさで信じているだけなのだろう。  そのうち、鼻歌でも聞こえてくるだろうとマイクは呆れつつ、彼もケビンとは反対の方向へ歩き出した。
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