ひんやりと送る夏

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ひんやりと送る夏

 瀬戸君は、バス停に向かう坂道を上っていました。  真夏の吹雪から二日経った午後のことです。  東大の磯崎教授は白雪村の出来事について、  「よくある集団ヒステリーによる幻覚の事例で、まったく驚くに値しない。わたしは驚かない。笑っている」 と説明していました。  今日の最高気温は四十二度。  瀬戸君は、ぜんぜん汗をかいていませんでした。  自分だけ、エアコンの部屋にいるようでした。  ひんやり体が涼しく、心も安らかでした。  そして・・・  だれかのやさしい視線をずっと感じていました。  瀬戸君は振り返りました。  さいはての森が見えます。  エアコンのようにひんやりとした風に乗って、なつかしい声が聞こえてきました。    「ほら、泣かないで。  なにも怒ってないから・・・  怒ったふりしただけ・・・  いいものあげるから・・・  だから泣かないで・・・」  だけど瀬戸君の目は、うっすらと濡れていました。  ひんやりした風が、すぐに涙をどこかへ運んでいきました。  いつのことだったでしょう。  そんな会話を交わしたのは・・・      坂道の上。駅に向かうバスが、ゆっくりと停車しました。  自分を見つめている目は、どこにも見えません。  けれど瀬戸君は、視線の方向に向かって声をかけたのです。  「さっちゃん。ありがとう」  それからの人生。  瀬戸君は、一度として夏の暑さを感じることはありませんでした。  たったひとりだけ・・・  ひんやりしたやさしい涼しさに守られていたのです。  
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