師走

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 私の頭の中は、あまねくんとどうクリスマスを過ごすかでいっぱいだ。  今さら24日の夜を雅臣にあげることなどできない。しかし、茉紀が言ったように本当に私と結婚する気があるのかどうかだけでも確かめておく必要はある。  自分から結婚のことを聞くのは、気が進まないし、妙に緊張するから嫌なのだけれど、大塚さんの行動力を思い出し、学生時代はいつも茉紀が背中を押してくれたことを思い出す。  ここではっきりさせないと、私の30代はこのままズルズル終わってしまう。知らない間に20代だって終わっていたのだ。後悔しても、戻りたい時には戻れない。  私は、深呼吸をしてから[24日は仕事なんだ。せっかく誘ってくれたのにごめんね。23日の夜なら早く帰ってくるから空いてるよ]そう送ってみた。  このところ、雅臣に嘘ばかりついている。自分の意見を言えなくたって、こんなふうにあからさまに嘘をつくことなんてなかったのに。  彼に対して嘘をつくことに慣れ始めている自分がいる。罪悪感を微塵も感じないのは、彼も嘘だらけだからだ。  すぐに彼から[わかった。じゃあ、23日の夜空けといて]と返信が届いた。  雅臣と会うのは憂鬱だ。そう思っている時点でもう好きなんていう感情はない。  それでも、もしあまねくんが私を恋愛感情としてみてくれたとして、彼と付き合うことにでもなったらとしたら、どちらにしても雅臣とは別れなければならない。  雅臣と同じように同時進行だなんて私にはできないし、あまねくんにも失礼だ。ただ、雅臣がまだ私のことを本気で好きでいてくれて、結婚まで考えているのであれば、私も誠実に向き合わなければならない。  雅臣に聞きたいことをシミュレーションしてみる。  シャワーを浴びながらどう切りだそうかと色んなシチュエーションでの対応を想像する。髪を乾かしながら、もしかしたらこんなふうに言ってくるかもしれないと気構える。  嫌なことを言われたら何て言い返そう。  初めて喧嘩になるかもしれない、そんなことまで考えて対応策を立てる。  ようやく暖まった部屋でベッドに潜り込んでも、そんなことばかりを考えて、いつまで経っても眠れなかった。  今夜は、あまねくんとのクリスマスをどうしようかと、胸を踊らせながら悶々として嬉しくて眠れない夜を過ごすはずだったのに、急に訪れた決戦の日が私にとっては恐怖でしかなかった。  次の日、ほとんど眠れないまま出勤し、仕事をしていると「あんた、疲れた顔してるよ。大変なんだね」と利用者さんに言われてしまった。 「そんな顔してました? すいません」 「いいだよ。謝らんたって。あんたっち、夜も働くで大変だら? 夜になるとね、騒ぐ衆も大勢あるだよ。そりゃあ、あんたっちも大変だらえってあたしゃ思ってるだよ」  今年96歳になった千代さん。私の癒しの利用者さんだ。  アルツハイマー型認知症を発症している。  脳血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症は、感情のコントロールができなくなったり、幻覚が見えることから暴言、暴力などの症状がでることが多いが、アルツハイマー型は比較的穏やかな人が多い。  言ったことを忘れてしまうけれど、昔の記憶は残っているし、たまに私の名前を覚えていてくれた時には、とてつもなく嬉しい気持ちになる。
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