師走

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「そっか……。まだ忙しいんだね」 「うん。今はまだそれどころじゃないんだ。だからもうちょっと時間ができるまで待ってて」  それどころって何だ。  私にとって結婚は、人生を左右されるものであって、今後の人生をどう過ごすかが決定される重要な選択だ。それを、今晩のおかずを選ぶくらいのテンションで言うなんて、冷静になって考えてみればおかしな話だ。  私は、どうしてこんな人との結婚を考えていたのだろう。ハイジさんが言ったように、お金だけ持っていても、幸せにはなれない。  この人と一緒にいたところで何の魅力も感じないし、これ以上好きになることだってない。  経済力がなくたって、私が今後夜勤をすることになったって、こんなふうに精神的に疲れるよりかはよほどいい気がした。  あまねくんと付き合ったら、雅臣程の経済力はなくて、私が支えることも多くなるかもしれない。それでも、精神的に支えてくれるのであれば、協力して共働きすればいい。  だって、彼だったら家事も手伝ってくれるし、きっと結婚だってこんな軽く考えたりしない。  気付けば、雅臣とあまねくんを比較している自分がいて、それをすればする程、雅臣への興味は薄れて、あまねくんへの気持ちが大きくなる。 「私、帰るね」 「え?」  別れるとは言えなかった。  色んなことが悲しくて、このまま一緒にいたら泣いてしまいそうだったから。  雅臣の前でだけは、最後まで弱いところを見せたくはなかった。この人のために泣きたくなんかなかった。  悔しくて、悲しくて、すぐにでも彼と別れたい気持ちは大きいけれど、それを口にしたら楽しかった時の思い出も全て否定することになりそうで、純粋に一緒にいて楽しいと思えた昔の自分までも否定することになりそうで、それではあまりにも自分が可哀想に思えたから。  自分の気持ちも、自分のことも1番理解してあげられるのは、自分自身なのに今までのことを考えると、彼と付き合ってきたことでこんなにも自分を苦しめていたのだと自覚する。  どうして私は、こんなに自分を大事にしてあげられなかったのかとそれすらも辛くなる。  今日のところはもう帰りたかった。  彼の顔はもう見ていたくなかった。泣いてしまう前に、彼の前から姿を消したかった。  別れ話は後日にして、とにかく今は一刻も早くこの男の前から逃げ出したい。そう思ったのだった。  彼は、なぜ私が帰ると言い出したのか全く理解していない様子で、呆然としている。  まだ雅臣の手の中にあるスマホを取り上げ、バッグへしまうと「明日は、仕事なの。臣くんも忙しいだろうし、私も早く寝たいからもう帰るね」と言って立ち上がった。 「え? ねぇ、まだメインのお肉もきてないよ? デザートも残ってるよ?」 「ごめん、食欲がないの。今日は誘ってくれてありがとう。綺麗な景色だったし、素敵なところだった。でも、今日は帰る」  こんなふうに、デートの途中で突然帰ることなんてもちろん初めてのことだ。  いつもと違う私の態度に戸惑っているのか、眉をひそめて狼狽えている。私は、ついそこまできている涙をぐっと堪えながら、テーブルから離れた。 「え? ちょっ、まどか?」  彼の呼ぶ声には振り返らず、早足に歩き始めた。  メインディッシュを運んでくるウェイターとぶつかりそうになり、間一髪のところで避ける。  私の姿を追うように視線を動かしたが、「すみません」と一言声をかけて通りすぎた。遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえた気がしたけれど、振り返る気はなかった。
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