師走

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「お疲れ様……ごめんね、来てもらって……」 「いいよ、乗って」 「うん……お願いします」  彼の車に乗り込むのは初めてだった。  近くのスーパーから家までは、私の車で移動していたから。  座席に座ると、あまねくんの匂いがした。普段から使用している車なんだなと感じる。  運転席に座っているあまねくんが新鮮で、ハンドルを握るしなやかで美しい手が目に入った。その手を辿って彼の顔を見る。 「大丈夫?」  優しい顔で首を傾げる彼。こんなに近くで彼の声を聞けて、とても安心する。 「うん……ありがとう。仕事帰りなのに来てくれて」 「ううん。泣いてるまどかさんほっとけないでしょ」 「……ありがとう」  彼の1つ1つの優しさが心に染みて、暖かくなる。  涙で濡れた頬が、冬の風で冷やされて、顔も体も痛いくらいに冷たかった。  あまねくんの匂いと同時に温かい車内の気温に包まれて、先程までの嫌悪感から少しずつ解放されていった。 「あまねくん、仕事だったのにスーツなんだね……」  車が発進して、暫く経った頃、ふと疑問を感じて彼に投げかける。  運転している彼は、スーツ姿でいつかクリーニング屋で会った時のようにサッパリと髪をセットさせている。 「うん。取引先の社長さんが、今日しか都合つかないって言ってたから、向こうの会社まで出向いて行ったんだ」 「営業みたいなこともするの?」 「営業とはまたちょっと違うんだけど、似たようなこともしてるかな。ちゃんとしていかないと20代ってなめられちゃうんだよね。相手は40代、50代の会社を取り締まっている人だし」 「そっか……」  特にあまねくんは、顔立ちも中性的だし、笑顔は実年齢よりも若く見える。  相手の会社に出向く時は、スーツで行くのは当たり前だけれど、色々考えて言葉を選んで話すんだろうななんて、彼の言葉を聞いて思った。  突然、またスマホが震える。  車に乗り込む直前まで電話をしていたから、まだ手に持ったままだった。画面を見なくても誰だかわかる電話に、また不安が募る。 「……でないの?」  不思議そうに、横目で私の様子を伺う。 「うん……」  私の態度に何か察したのか、「喧嘩?」と聞かれた。  相手が雅臣だと気付いているようだ。クリスマス直前に泣いていて、電話にも出ないとなれば彼氏との喧嘩を想像するのが自然だろう。 「ううん。喧嘩ってわけじゃないんだけど、もう会いたくなくて……」 「泣いてた原因、それ?」 「うん……」 「……話、聞いてもいい?」  彼は遠慮がちにそう尋ねた。  無理に聞き出そうという態度ではなく、あくまでも私のペースでいさせてくれる。こういう気遣いが自然にできるところも彼の魅力だ。  茉紀と同じくらいのところまで雅臣との関係を把握しているあまねくんには、今日の話だけで内容が伝わる。  会いたい気持ちはなかったけれど、結婚についてどう考えているのか知りたくて会ったこと。彼にその気はなかったこと。結婚する気がないことよりも、この5年間が無駄な時間のように思えて悲しくなったこと。  それらのことからすぐにでも別れたかったけれど、彼の前で泣くのは嫌で帰って来たこと。  話している内にまた涙が溢れてきて、いつの間にか私の家の近くにあるスーパーの駐車場に駐車した車内で涙を拭った。  ハンカチで目元を押さえても、次々に溢れ出てしまう。  私のハンカチで吸収できなくなると、あまねくんは自分のハンカチを取り出して、私の頬を優しく押さえてくれた。 「ありがと……」 「ううん。まどかさんのこと、こんなに泣かせるなんて酷い人だよね」 「……私もあの人の言いなりみたいなものだったから仕方ないんだけどね……」 「まどかさんは悪くないでしょ。自分から付き合いたいって言ったんだから、大事にするべきだと思うし、ましてや裏切るなんてあってはならないことだと思うよ。そんな人のためにまどかさんが泣く必要なんてないよ。涙がもったいない」  そう言って彼は、左手で私の右頬を包み込んだ。
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