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告白
翌朝、朝比奈は和室で墨を磨った。今朝は、ひときわ墨が香る。
ふすまが開いた。町田が部屋に入ってきた。
黒いカットソーとジャージを着ている。朝比奈が寝室を出ていくときに枕元に置いておいたものだ。
「おはようございます」
朝比奈の挨拶には返事をせず町田は正座した。膝でにじりより、朝比奈の背中に額をくっつけた。
「人の服を着るのは、なんか照れくさいな」
朝、『これを着て』と書いたメモと服を残して寝室を後にした。町田を着替えさせたかった。
でも朝比奈が近くにいたら、服を脱ぐことをためらうだろう。だから先に部屋を出た。
墨を置くと、振り向いて町田を抱きしめた。町田には朝比奈の服は大きすぎたようだ。抱きこめば服に皺が寄る。
(こんなにも小さい人だったのか)
「町田さん、いっしょに書きませんか」
「でも……僕は腕が……ん、ん」
町田の返事を待たずに唇を奪った。朝くらい静かに話したかったのに、顔を見たらキスをしたくてたまらなくなった。
自分自身の心なのに、コントロールできなかった。抑えなくてはいけないと思ったのにできない。
躯が、町田を欲していた。
唾液を注いで舌を吸い続けていたら、突然、町田の腰が崩れた。ひじをついて仰向けになる町田の上に乗っかった。
(いきなりキスするのはまずいよな。どうやって謝ろうか)
唇を離すと、町田に引き寄せられた。
「え……ん、ん――」
朝比奈が送ったキスよりも、ずっとていねいなくちづけだった。
ゆっくりと舌を動かし、唾液をすくい取っていく。応えようとすれば、町田は顎を引く。しかし、逃げてばかりではない。
(キスって、こんなに駆け引きするものなのか)
自分から仕掛けたのに、気づいたら翻弄されていた。町田の口の中に舌を押し込む。
ぐちゅぐちゅと、唾液が粘る音が部屋中に響いた。
キスに夢中になっていたら、町田に頬を叩かれた。
顔を離すと、町田は微笑んでいた。
朝比奈の目を見ながら、唇を舐めている。朝の光を受けて、町田の唇は艶めいている。
あまりにも妖艶な仕草に、朝比奈は唾を飲み込んだ。
(これって、けしかけているのか!)
もう一回、キスしたい。鼻息を荒くして、朝比奈は顔を近づけた。
近寄ってくる朝比奈の唇を、町田は人差し指で押した。
「きみは外国人みたいだな。朝からキスする習慣があるのか?」
「違います。俺は、あなたが好きなんです」
町田は全く驚いていなかった。とても落ち着いた顔をしている。
「僕のこと、いつから好きになったんだ?」
「子供のときからです」
「え?」
朝比奈の言葉に、町田は目を見開いた。朝比奈は、頷きながら町田の手を取る。
「子供のときに町田さんに会いました。表彰式でいっしょに書いたのが俺です。この手が俺を導いてくれた」
ひとつひとつの指に唇を落とす。指先を銜え、乳飲み子のように吸い上げた。味わいながら思う。
書を書きながら、ずっと町田を求めていた。
追いかけていた頃は、町田を神々しい存在だと思っていた。初めて会ったときは何でもできる強い子供という印象だった。
再会してから、町田もひとりの人間なのだと気づいた。
朝比奈のように、戸惑いながらも人生を歩んでいる。傷つくことはあっても、笑うことを忘れない。
その強さに惹かれた。
本当の強さとは、つまずいても立ち上がれることなのだと気づいた。
「そうだったのか……かなり、変わったな。あの頃は、ぽっちゃりしていてかわいい子だった」
反対の手で町田は、ゆっくりと朝比奈の髪を梳いた。見上げる瞳は、どこまでもやさしい。
「もうかわいくない俺は、嫌いですか」
「いや、好きだ。大好きだ」
片手で引き寄せられた。唇が合わさる。勢いのままにくちづけをしたから、ふたりの歯がぶつかった。額を合わせ互いに微笑む。
「ああ、すごくうれしいです」
町田が自分の想いに応えてくれた。
喜びが沸き上がってくる。この恋が叶うとは思わなかった。自然と笑みが零れる。
町田を抱きしめて頬をすりよせた。愛犬が飼い主に甘えるような仕草だった。町田は朝比奈の背を撫でる。
肌が触れ合うだけで心が温かくなる。昨日抱き合ったときと感じ方が違う。
(想いが通じだだけで、こんなに満たされるんだ)
ふと、朝比奈は笑みを消した。
ひとつ確認しないといけないことがある。
「俺の『好き』は、友達としてではないですよ。それでもいいんですか?」
「ああ、わかっている」
町田は表情を曇らせた。
「でも、裸になるのは……困るな」
「大丈夫です、待っています。おじいちゃんになっても」
町田は笑いながら、朝比奈の唇を指で突いた。
「きみのそういうところが好きなんだ。冗談なのに本音に聞こえてくる」
「本気です」
「ありがとう……」
町田は唇を噛み締めた。泣くのではないかというくらい顔を歪めた。
朝比奈は、町田が口を開くまで待った。
(言葉を紡ぐよりも待ったほうがいい。火傷がもとでいやなこともあっただろう。全部聞いて受け止めたい。でも尋ねれば、過去の傷をえぐることになるかもしれない)
町田は息を吐くと、微笑んだ。
「朝比奈くん。もう一回好きって言ってくれないか」
「好きじゃ足りない。愛している」
町田の唇を貪った。舌を絡ませながら、互いに腰を押しつけた。
「焦らなくていいから。俺は、あなたが心を開いてくれるまで待つ」
「うん……ん、うん」
キスに応えながら、町田は懸命に頷いてくれた。
これからは、自分が町田を導いてみせる。心に抱える闇をかき消すくらいの光を当ててやる。
「町田さん。子供のときみたいに、ふたりで書きませんか。今度は俺が支えます」
「うん、書こう」
町田を後ろから抱いて、腿の上に乗せる。
「まずは、『好き』って書きましょう」
半紙を置くとふたりで筆を取った。町田が左手で紙を押さえる。朝比奈は、町田の下腹部に手を置いた。ふたりの腰が沿うように動く。
「あ……あ」
「あれ、感じちゃったんですか」
「そうじゃなくて、僕はひらがなで書きたかった」
「次はひらがなで。声を出して書いて」
「うん。す、き……あ、さっきよりいいね」
一筆、一筆書くごとに、町田は表情を変えた。うまくできたと言って笑い、なんかおかしいと言って眉を寄せる。
その顔は、初めて出会った頃と何も変わっていなかった。
そのひとつひとつの顔を、朝比奈は瞳に焼きつけようとした。
書くのを町田がためらうならいっしょに書けばいい。そうひらめいたのは早朝だった。断らないでくれと願いながら朝比奈はひとり墨を磨っていた。
言われた通り、声を出しながら町田は書いていく。「好き」と言うささやきを聴きたくて、同じ言葉を何度も書かせた。
初めは、朝比奈が強い力で町田の躯を動かした。少しずつ町田の腕に勢いが増す。
やがて朝比奈は支えるだけになり、伸びやかに動く町田に身を委ねた。
「もう一回、もう一回しよう、朝比奈くん」
「はい、何度でも」
「ああ、楽しいからやめられないよ」
町田の額には汗が輝いている。拭ってやると振り向いた。
「ありがとう。きみに出会わなければ、こんな気持ちにはならなかった」
「俺も同じです」
唇を合わせると塩辛い汗の味がした。
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