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頭上を大きな影が横切って行った。体のほとんどを翠色の鱗で覆われた、大きな巨体がビルとビルの間を器用に避けていく。
ここは、竜の泳ぐ街。
かつて人の栄えた世界は、数ヵ月に及ぶ大雨と異常気象の末に、呆気なく滅びた。
人は勿論、多くの種は水に流されてしまった。
残ったのは、元々海や川に棲んでいた水に耐性のあるものたちばかりであった。
長いヒレを持つ紅い竜が、翠の竜に追い付き行く手を塞いでからかっている。しかし、幾分か紅い竜の体が小さいため、翠の竜は前肢を使って軽く下へ押しやる。
悪戯が失敗した紅い竜は、大人しく道を開けて翠の竜を見送った。
生き延びた少数の人は爬虫類の遺伝子に手を加え、移動手段としてかつて地上を支配した「恐竜」を復活させようとした。実験は当然の如く失敗し、竜たちは逃げ出した。
その時既に何mも上昇していた海面は竜たちに有利となった。
蒼い小さな竜たちが群れをなして道路に列をつくっている。まるで、一匹の蒼い蛇のようだ。
翠の竜が近づくと、驚いたようにぱっと散り散りになる。
ある街に辿り着いた竜たちは、そこで巣をつくり卵を産んだ。卵が孵る頃になると、大雨は止み青空が覗いていた。
街はかつては大都会であったのだろう。高層ビルや地下鉄、広い道路、張り巡らされた線路、学校、使いやすいように設計された公共機関。とても恵まれた街。しかし、この街は四方を山で囲まれていた。
唯一外と繋がっていたはずの出入り口は塞がれ、人はもちろん竜や他の生き物も出入り出来なくなった。
ゆらり、ゆらり。
翠の竜は泳ぐ。
もうすぐ家としている大きな木に着くだろう。
街の中で一番大きなビルに巻き付いて這えている大きな木。
この街では竜だけが住人となれるのだ。
今では外界と完全に隔てた世界の中で、彼らは生きている。
様々な種類の竜たちはここで楽園を築いている。
はるか頭上から降り注ぐ光が、水中をカーテンのように通過していく。
太陽の光は竜たちの餌となるプランクトンや植物の糧に。
月の光は楽園に生きるすべての仲間に安らぎの時間を与える。
ここにはかつてあった愚かな争いも価値観もない。
あるのはゆったりと流れる、穏やかな時間だけ。
ここは竜の楽園。
失われたはずの世界によみがえった、懐かしくも美しく、そしてほんの少しだけ残酷な竜の楽園。
楽園の住人は、皆がそれぞれの生をそれぞれの速さで泳ぎきる。
泳げ。游げ。命の灯火が消えるまでおよぎ続けよ。
それが彼らの生きる証だ。
いつしか、その街には誰もいなくなった。
誰もいなくなった街で、竜たちは再び永い眠りにつくのだろう。
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