お紺捕り物帖その2

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              *** 「ふん。威勢のいい小娘だな。だがな、お紺。お前がたった一人で息巻いても無駄だ。この船は知っての通り海賊船だ。俺の手下は大勢いるんだ。他の娘たちと同様に、大人しくしねえと簀巻きにして海の中へ放り込むぞ」  そう言って、伊三丸は高笑いした。お紺も負けていなかった。 「おい、海坊主。わたしが一人でノコノコとこんな所にやって来ると思うてか。チャーンとお奉行様には連絡してあるのさ。おっつけ、お上の御用船がこの船を雲霞のように取り囲むだろうね。嘘だと思ったら、見張りに訊いてご覧な」 「なに、役人がここにやって来るだと」  参治が慌てた。 「おい、留吉。お前、外の様子を見て来い」  参治の指示に頷いて、留吉が部屋の外に飛び出した。 「よし、参治。早いとこ出航の準備だ。その前に、この小娘を片付けてしまえ」  伊三丸の命令に参治が頷き、腰の脇差を抜いた。刃渡り五十センチ程の小刀だ。お紺はじりじりと迫る参治に対して、十手を右手に構えた。間合いが詰まった瞬間、参治の脇差がお紺の頭上に振り落とされた。お紺は一歩も引かずにその刃を十手の鉤金で受け止めるや腰だめして、両手で力一杯振り回した。 「パキン」  という音とともに、参治の脇差の刃が折れた。参治はそのはずみで伊三丸の傍らにすっ飛んで尻もちをついた。部屋の片隅に固まる娘たちが歓声をあげた。 「ふん。お紺さんを見損なっちゃ困るね。こう見えても麹町界隈を取り仕切る目明し、文五郎親分の一人娘とは、わたしのことさ。捕り物の技は子供の頃から習得済みさ」  お紺の威勢に気圧されたか、参治は情けなく伊三丸の顔を見た。 「なるほど。それで、お前の仕草や目付きが油断ならねえと、あの時思ったわけだ。だがな、この世界には、お前が想像もつかないものが五万とあるんだ。例えばこれだ」  そう言って、床几から腰を上げた伊三丸がおもむろに懐から茶褐色に光るものを出した。 「あっつ。短筒」  お紺が叫んで、思わず後ずさった。 「そうだ。これは海の向こうの、マカオという所で海賊仲間から手に入れた西洋式の短筒だ。火縄銃と違って手間もかからねえ、優れものだ」  伊三丸が手にしているのはフリントロック式の拳銃だった。火打石を内蔵した拳銃で、1620年頃フランス人のマラン・ル・ブールジョワによって開発され、西洋の海賊の頭には必需品となった。 「飛び道具とは卑怯じゃないか」  お紺が抗議した。 「ふふふ。卑怯だと。井の中の蛙大海を知らずって、諺を知らねえか。海の向こうじゃ人を殺す道具は刀だけじゃねえ。この短筒も当たり前のことなんだ」  伊三丸が海外の知識をひけらかし、ニヤリとした。 「さあ、観念してその十手を捨てろ。さもなくば、この短筒の鉛球がお前の胸板を貫くぞ」  お紺が歯ぎしりしながら、十手を足元に捨てた。その時だった。 「おや、お取込み中ですかな」  部屋の外から素っ頓狂な声がして、蒼井新之助が顔を覗かせた。 「なんだてめえは」  参治が叫んだ。 「わたしはちょいと通りがかりの浪人でしてね」  新之助が笑った。 「なぜこんなところに、浪人が。お前から短筒の餌食にしてやろう」  そう言って、伊三丸が短筒を新之助に向けた。 「蒼井さま、危ない」  叫びながら、お紺は左袖に隠した団子の串を掴むと、眼にも止まらぬ早業で伊三丸目掛けて投げた。 「うわあっつ」  狙い過たず竹串は短筒を持つ右腕に突き刺さり、伊三丸の手から短筒が零れ落ちた。慌てて短筒を拾おうとした伊三丸の前に、唸りを上げて飛んできた黒い物体が床板に相次いで突き刺さった。 「ひえー」  伊三丸は思わず、後方に尻もちをついた。短筒の周りには、忍者の使う十方手裏剣が三つ突き刺さっていた。お紺はその間隙をついて、素早く短筒を拾い上げた。 「形勢逆転したね、海坊主」  お紺が短筒を伊三丸に向けて、叫んだ。再び、部屋の隅に固まる娘たちから歓声があがった。 「お紺さん、お手柄だ」  部屋に入ってきた新之助が十方手裏剣を拾いながら囁いた。 「蒼井さま、また危ないところを助けていただきました。ありがとうございます」 「若、御用船が近づいています」  部屋の外から、男の声がした。 「よし、我々は引き揚げよう。お紺、役人がやって来たようだ。あとはお前に任せる。油断するなよ」  そう言い残すと、新之助は部屋の外に姿を消した。  しばらくして、与太郎が部屋に飛び込んで来た。その後に酒田左近が現れた。 「お嬢。遅くなってすみません。こいつが海賊の頭ですかい」  床に尻もちをついて負傷した右腕を左手で抑えた伊三丸を指差して、与太郎がお紺に声を掛けた。 「そうさ、八幡伊三丸っていう海賊の頭だよ。隣が手下の参治だ。二人ともお縄にしちまいな。酒田様、よろしいでしょうか」 「うむ、お紺。大手柄じゃ。与太郎、その者たちに縄をかけえ」  左近の指示に頷いて、与太郎が取り縄を取り出すと、伊三丸の背後に回った。伊三丸は観念したのか、与太郎の縄縛りに身を任せた。 「よし、与太郎。二人とも引っ立てえ」  左近が縄に繋がれた伊三丸と参治を見ながら、与太郎に指示した。 「酒田様、ちょっとお待ちください」  お紺が止めた。 「どうした。何か見落としたものがあるのか」 「伊三丸の懐に山城屋金兵衛からの書付があるはずです。娘たちをかどわかした実働部隊は金兵衛の手下です。その金兵衛から娘たちの名を書き記した引渡し状を伊三丸が所持しています。金兵衛をお縄にする証拠になるでしょう」 「そうか。でかした、お紺。よし、与太郎。伊三丸の懐中を探ってみろ」  左近の言葉に頷いて、与太郎が伊三丸の懐に手を入れ、書状を取り出した。 「なるほど。お紺の言う通りだ。ご丁寧に、書状には山城屋金兵衛の名と落款がある。これで、黒幕もお縄にできよう」  左近は中身を改めた書状を懐に入れて、お紺をねぎらった。 「それにしても、腑に落ちぬことがある」  左近が呟いた。 「何があったんですか」  お紺がいぶかった。 「我々が到着した時には、この船の船員たちは皆、眠りこけていたのだ」 「そうだったんですか。きっと、夜明け前から働かされていたので、眠気がさしたんでしょう。ああ、そして、短筒。これは伊三丸の持ち物です」  そう言って、お紺は短筒を左近に手渡しながら、笑った。だが内心では、伊三丸の手下たちを眠らせたのは蒼井様とそのお仲間の仕業だろうと、お紺は考えていた。  翌日の麹町界隈では、瓦版が人気を呼んだ。読売の仁平は辻に置いた床几の上に立って、道行く人々に声高に刷り上がったばかりの瓦版の束を片手に、そのさわりを披露した。 「さあさ、皆さま。寄っといで。竹串お紺の大捕り物の一部始終だよ。えー、皆皆さまよ。憶えておいでか。先日、お堀端に浮かんだ見目麗しい江戸小町の水死体のことを。なんと、これが大江戸で相次ぐ美女かどわかしの発端だったとは、お釈迦様でもご存知なかったろう。だが、麹町界隈を取り仕切る文五郎親分の一人娘、お紺さんの眼を誤魔化すことはどんな悪党でもできやしねえや。北町奉行定廻り同心の酒田左近さまの命を受け、手下の与太郎とともに探索すること阿修羅のごとし。狙いをつけたのが、いま大評判の「大江戸小町競艶大会」だ。木挽町の早川菊之丞一座の芝居小屋で催されていたが、なんと、麹町小町と評判のお紺さんだ。これに単身乗り込み、見事、優勝を勝ち取った。さあ、ここからが本題だ。皆皆さまよ。よーく耳をかっぽじって聞いておくんなさいよ」  大声で叫ぶ仁平の周りは厚い人垣で囲まれた。それを横目で見ながら、お紺はお蘭のお供をしていた。 「お蘭さま、あれ、みんなわたしが昨日お話したことじゃありませんか」  お紺が尋ねた。 「あの仁平も仕事が速いね。夕方団子屋で待ち合わせしてね。事件の顛末を面白おかしく言って聞かせたのさ」 「御用の筋ですから、あまり大袈裟にされても困りますが」 「なに、その辺はちゃんと承知の助さ。読売は売れて何歩だ。平和ボケした町の衆には大言壮語が何よりの娯楽だからね。お蔭で、小遣い稼ぎにもなった。ちょうど用事も済んだことだ。これから、団子屋でも行こうじゃないかえ」  団子屋と聞いて、お紺はごくりと唾を呑んだ。 「お蘭さまには敵いません。嬉しい用事は早く済ませましょう」  お紺はお蘭の手提げを引っ張って、足を速めた。
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