お紺捕り物帖その2

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            第2話 小町娘かどわかし  新緑眩い五月晴れのある日、麹町の外堀で若い娘の水死体があがった。早朝の商いに出ていた納豆売りの助三が見つけ、自身番に届けた。やがて、連絡を受けた四ツ谷下の寅蔵と子分の末吉が現場に駆け付け、検分した。同じく知らせを受けた八丁堀同心の酒田左近も与太郎を引き連れ現場を改めた。  さて、その頃伊勢屋では、女中奉公を始めて丁度一か月経ったお紺が、お給金袋を初めて戴いてホクホク顔だった。お蘭から手渡された時、伊勢屋の身代を盗賊から救ったお礼も入ってるよと言い渡された。給金袋はずしりと重かった。 「あら、うれしや。一両二分も入ってるよ」  自分の部屋に戻って、袋の中身を改めたお紺はギューッとお給金袋を胸に抱きしめた。 「お嬢。何やってるんですかい」  縁側からヒョイと顔を出した与太郎の声だった。 「おや、丁度良いところに、与太郎じゃないか」 「なんだか盆と正月が一緒に来たように、上機嫌じゃねぇですかい。いったい、どうしたんです?」 「やっと戴いたんだよ。お給金。与太郎。ここに一両あるから、これをお徳さんに渡しとくれ」  お紺は給金袋から一両取り出すと、それを縁側の与太郎に差し出した。 「えっ。そんなぁ。折角、お嬢が汗水垂らして戴いたお給金を貰うわけにゃいきやせんぜ」 「何、言ってんだよ。お父つぁんの世話をやいてもらってるんだ。その為に、ここで奉公しているんだから、よろしくお願いしますよ。それに、手元にはまだ二分残っているから、これはわたしのお小遣い。今度、与太郎にもお団子をご馳走するからね」 「ええ―っ。また、お団子ですか。この前、一生分のお団子を食べたんじゃなかったんですかい?」 「馬鹿言ってるんじゃないよ。お団子はわたしの元気の素なの」  与太郎はお紺の押しに抗し切れず、一両を手に取り自分の懐に納めた。 「ところで、与太郎。お前、わたしに何か用があって来たんじゃないのかい?」  お紺の問いに、与太郎はしばらく考えた。そして、ポンと手を叩いた。 「あっ。そうそう、お嬢。てぇへんだ。事件だ。大事件が出来したんでさぁ」 「どんな事件だい。わたしも目明し代理になったんだ。詳しく聞きたいから、中へお入り」  与太郎は縁側から上がって、お紺について部屋に入ると後ろ手に障子を閉めた。そして、奥に正座するお紺に相対して座った。 「それが、今朝のことなんですがね。この近くの外堀に若い娘の土左衛門があがったんでさあ。この辺では見かけねぇ顔で、恐らく満ち潮に乗ってここまで流されて来たんじゃねぇかって、坂田様が仰っておりやした」 「ふーん。若い娘がねえ。身投げってことも考えられるけど、その辺りはどうなんだい?」 「へえ。その時、四ツ谷下の寅蔵親分が検分したんですがね、寅蔵親分も身投げじゃねぇかって、言っておりやした」 「おや、寅蔵親分がそう言ったのかえ。それじゃあ、違うね」  そう言って、お紺は笑った。 「確かに、ちげぇねぇや」  与太郎も吊られて笑った。 「それで、坂田様のお見立てはどうなんだい?」 「へい。坂田様は娘の両手首と足首に細縄で縛られた薄い痕があるのに気付かれやして、『これは、ただの土左衛門じゃあねぇな』と、言っておいででした」 「そうかい。それで?」 「へい。娘の身元は寅蔵親分が調べることになりやして。そして、おいらにはお嬢と一緒にこの事件の真相を調べるようにと、坂田様のご指示がありやした」 「事件の真相ねぇ。まずは、その娘の身元が知れないと手の出しようがないね。与太郎。お前、それが知れたら直ぐにわたしに知らせておくれ。あとは、娘が何時、どこから流されて来たかだね。この辺りの船宿を当たって、昨夜の潮の満ち干や何か手掛かりになりそうなものを見なかったか、その辺りの所を調べておくれ」 「合点承知の助」  そう言い残すと、与太郎は勢いよく障子を開けて部屋からすっ飛んで出て行った。 「おや、今のはあの若い岡っ引きだね」  そう言って、与太郎と入れ替わるように部屋に入って来たのはお蘭だった。 「あっ。お蘭さま。そうです、あれは与太郎です。それで、わたしに何かご用でしょうか?」  お紺は突然のお蘭の入来に驚いた。 「いえね。今日はお給金日だから、浮ついてお前も仕事に身が入らないだろうと思ってさ。どうだい?わたしの芝居見物に付き合っておくれでないか」 「えっ。今からですか?分かりました。わたしは芝居唐人ですが、お供させていただきます」  お紺は、お蘭の出掛ける支度の手伝いを済ませた後、お蘭と連れだって現在の歌舞伎座周辺に当たる、木挽町へと向かった。この辺りは芝居小屋が建ち並び、芝居茶屋も軒を並べて客引きを競う盛況さだった。その中でも、ひと際女性客が集まっている芝居小屋にお紺は気が付いた。人寄せ太鼓を打ち鳴らす櫓の下にある木戸口で、威勢の良いお兄さんが声を枯らして、演目の見所や花形役者の紹介をしていた。幟には「早川菊之丞」と大書してあった。 「おや、お紺ったら。なかなか目敏いね。あれが今評判の菊之丞一座だよ。若いが滅法な色男で、芝居も斬新で面白いそうだよ。今日のあたしのお目当てもこれさ」  そう言って、お蘭が笑った。 「それにしても、この辺りは人通りが多くて大変な繁盛ですね」 「そうさ。武家屋敷の多い麹町界隈と比べたら月とスッポン、提灯に釣鐘だね。ここは町方の活気が溢れている所だよ。そうだ、お紺。お前に一つ菊之丞の役者絵を買ってあげようかね」 「えーっ。ホントですか?ありがとうございます」  どうやら、お蘭は上機嫌になると気前も良くなるらしい、お紺は内心そう思った。 「おや、別嬪さん。今日はご隠居さんのお伴かえ?」  菊之丞一座の木戸番の若い衆が、呼び込みをしていた拍子木の手を止めて、お紺に声を掛けた。 「よくわかるね。わたしに菊之丞の役者絵を一枚、おくれな」 「あいよ。一番の売れ筋が良いだろうよ。それから、別嬪さん。うちでは素人の娘さんを相手に月一で『大江戸小町』の選抜大会をやってるんだ。あんたなら、見事上位に入れるだろうよ。賞金も出るし、これが次回の応募要領だ。これも一緒に持っていってくんねぇ」  そう言って、木戸番の若い衆は役者絵と一緒に一枚の紙片をお紺に手渡した。  それから、木戸銭二人分と役者絵の代金をお蘭が支払い、お紺たちは中央の土間席より一段高い、「花道」で区切られた桟敷席に通された。確かに、菊之丞一座の舞台は素晴らしかった。第一、舞台装置が並ではなかった。役者が昇降できる「迫り」や「廻り舞台」、「花道」など、一〇〇年程経ったら斯くも有りなんと言える本格的な歌舞伎の舞台装置だったからだ。芝居も言葉使いが平易で、活劇あり、涙と笑いありで面白かった。 「お芝居って、初めて観ましたが、こんなにも面白くて興奮するものなんですねぇ」  幕間に、お紺がため息まじりに口にした感想だった。 「この菊之丞一座は特別だよ。わたしも、今まで色々観て来たけどね、こんなに素晴らしいのは初めてだよ。まさに千載一遇。盲亀の浮木、優曇華の花もんだね。読売りの仁平にまたこのネタを売り込んでやろうかねぇ」  お蘭はチャッカリ、仁平からまた小遣い稼ぎを目論んでいるようだった。  やがて、舞台には一座の座長、早川菊之丞が現れ、客席に向かって満員御礼の口上が始まった。お紺は先ほどお蘭に買って貰った役者絵を取り出して、舞台に正座する美形の菊之丞と見比べた。 (なるほど、そっくりに描かれているわ)、とお紺は感心した。  それから、お芝居は幕が上がり後半が演じられた。大団円では観客席からやんやの喝采と拍手が沸き起こった。お紺もお蘭も感激に打ち震えながら、菊之丞の名前を大声で連呼した。  そして芝居を見終えて、お紺はお蘭と連れだって芝居小屋を出た。お紺は芝居の余韻を引き摺って、殆ど放心状態だった。時刻は今でいうと午後二時過ぎだった。 「良い芝居を見ると、幾分若返ったような気分になるねぇ。ところで、お紺。お前、お腹が空いたんじゃないかえ」  お蘭の言葉に、お紺は我に返った。 「あっ。はい。確かに、お腹が空きました」 「それじゃあ、ちょいと芝居茶屋にでも寄って、何か食べようかね」  軒を並べる大小の芝居茶屋を覗きながら、お紺とお蘭は暫く歩いた。すると、ヒョイと前方の店から出て来た与太郎と遭遇した。 「あれ、与太郎じゃないか」  お紺も驚いたが、与太郎も眼を剥いた。 「お嬢。どうして、ここに?」
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