第1話――繁雄と和希と夕日の公園④

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第1話――繁雄と和希と夕日の公園④

(で、出たーーーーーーーーー!)  なずなは必死で出そうになる声を堪えた。相手は露骨に性的な要求をして見せる異常者である。こちらのどんな行動がきっかけとなって暴挙に出るかわかったものでない。  極度のパニックに何とかすりつぶされずに済んだ最後の理性のひとかけらで、なずなは腰を上げ、和希と美也を守るように変質者の前へと立ちはだかった。両者の距離は五メートルもない。この場の最年長者である自分が二人を守らなくては、その責任感だけが、気弱で臆病ななずなを奮い立たせていた。 「あ、あ、あっちに行ってください! けぇさつ、呼びますよ!」  振り絞った声でそう言って、なずなはスカートのポケットに手を入れる。たまたま入れたままにしていた携帯電話の存在を思い出したのである。その確かな手触りを指先に感じると、なずなはほんの少し落ち着きをとりもどした。  が、 「………………あ」  それも束の間、気を失ってその場に卒倒した。 「な、ナズナ! どしたんや!」  突然の出来事に、和希は飛びつくようにしてなずなに駆け寄った。 「かずねぇ、あれ」 「なんや!」  ベンチに座ったままの美也は、またも正面の男を指差す。  せわしなく和希が見やると、男がロングコートを御開帳していた。  なずなが倒れた理由がそこにあった。  ロングコートの中身は、真っ裸だった。  わかりやすすぎるほどあからさますぎて、吉本新喜劇であれば毎週のお約束になっている、そんなシーンだった。 「なぁ……なぁ、お金あげるから………触らしてぇな………ハァ……」  そう言って、男はにじり寄ってくる。  男のだらしない息遣いと笑い顔は、和希の背筋に冷たいものを迸らせた。次いでどっと全身から汗が噴き出るのを、はっきりと感じる。それが夏の夕日がもたらす暑さゆえのものではないことを、和希は考えずとも察していた。  生まれて始めて生理的な嫌悪と恐怖とを、感じていた。  つい今しがたのなずなの言葉が、和希の脳裏をよぎる。  でもな、これだけはわかって――……悪いこと考えて、女の子のことをめちゃくちゃにする男の人が世の中にはいるってこと――……  それが今目の前にいるこの男のことだと、和希は嫌になるほど直感していた。  気が付けば、自分の体に美也がぎゅっと抱きついていた。  いつものように美也の表情に大した変りはない。だが和希の胴体に巻きつけた両腕には、確かな力が込められていた。肩も少し震えている。自分よりなお小さいこの幼い子が、自分と同じように――いや、それ以上に怯えていることを和希は感じ取った。  和希はぎゅっと歯を食いしばる。気の弱いあのなずなでさえ、自分たちを守ろうと身を挺した。彼女が気を失っている今、小さな美也を守れるのは自分しかいない――! 「ど、どっか行け! ミヤになんかしたら、ウチが許さんからな!」  虚勢を張って、和希は大きな声を出した。  その間にも、変質者との距離は縮まっている。美也の手を引いて逃げることも考えたが、相手に飛びかかられ捕まる方が早い、そんな距離だ。何より気を失ったなずなを置いていくなどできるはずもない。  必死になって方策を考える和希に、変質者はねっとりとした声で問いかける。 「そ、そ、そっちのなぁ……小さい子もえぇけど……ハァ…ハァ……おじちゃん、キミの方がえぇなぁ……」 「は、はぁ?」  予想外の言葉に、思わず和希は間の抜けた声を上げる。  今にもよだれをたらしそうな調子で、黒づくめの男は続けた。 「さっきゆうとったやろ……おっぱいみせるって………………なんや、ほんまはキミもすきなんやろ、そういうの……ハァハァ……ええやんか、みしてぇな…………お金あげるさかい……」  先ほど走った悪寒以上の怖気が、和希の全身を駆け巡った。  この男は先ほどの和希たちの会話を、近くで聞いていたのだ。こちらに悟られることもなく――  気色が悪かった。そんな男が、そういう存在がいるということを、和希は知りたくなかった。 (怖い……このおっさん、怖い………!)  人目をはばかることなく、和希は身を大きく震わせた。  今になって、このドアホが、と怒鳴り散らした繁雄の言葉を痛感していた。 「なぁ…………えぇやろ…………」  男はどんどん距離を詰めてくる。  もはや一歩も動けなくなってしまった和希は、その眼尻に涙すら浮かべていた。  男の靴音が、異様に大きく響くように思えた。  その広げたコートに包みこまれてしまったら最後、自分も〝めちゃくちゃ〟にされてしまうのだ。 「なぁ…………」  ついに目前にまで男が迫ったとき、 「助けてにいちゃあああああああああああん!」  和希が叫ぶと同時に、 「なにさらしとんじゃこのカスーーーーーーーーーーーーーーーー!」  という怒号がして、どっ、と変質者は地面に叩きつけられた。  思わず目を瞑ってしまっていた和希は、恐る恐る目を開ける。そこには…… 「無事か、和希!」  間一髪で駆け付けた繁雄の姿があった。
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