第1話――繁雄と和希と夕日の公園⑤

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第1話――繁雄と和希と夕日の公園⑤

 繁雄が走り寄った勢いでぶちかました体当たりは見事にクリーンヒットし、和希と美也から変質者を大きく引き離すことに成功していた。 「にいちゃん……!」  その顔に安堵し、和希は全身から力が抜けていくのを感じた。そのままその場にへたり込んでしまう。  何事もなかったことを確認すると繁雄はひとまず胸をなでおろしたが、和希の前に倒れ込んでいるなずながいるのに気付き慌てて駆け寄った。 「おい、なず! ……なずっ! 大丈夫か!」  繁雄が上半身を抱き起して肩を揺さぶると、なずなの眉間にしわが寄り、ゆっくりとまぶたが押し上げられていく。 「うぅん……」 「よかった……なんともないな?」 「え…………ひゃあっ!」  真ん前に繁雄の顔があることを認識したなずなは、慌てて飛び起き、なぜだか敬礼して見せた。 「だ、だ、だ、大丈夫であります!」 「いや……大丈夫かどうかはかなりあやしなったけど、まぁ、無事、やな?」  幼馴染の奇行に首を傾げながらも、ひとまず繁雄は彼女が無事であることを確認した。 「なずねぇな、みやとかずねぇを守ってくれてん」  そう報告したのは美也だった。その震えはもうおさまっていて、平素の人形のようなたたずまいに戻っている。 「そうか……あんがとな、なず」 「えっ、う、うん……!」  繁雄の礼になずなは顔をこれ以上ないくらいに赤くし、押し黙ってしまった。  そうして一同の間に和やかな空気が流れかけたとき、 「う、うぅん……」  突き飛ばされた男が呻いて、起き上がろうとした。 「野郎ォ……!」  繁雄は再び構える。すぐにでも応戦できるようその体に緊張が走る。が、 「二撃目以降は正当防衛にカウントされないって知らない、シゲ?」  涼やかな声がその隣を通り過ぎた。  千十世だった。  繁雄たちが声をかけるよりも先に彼は変質者のもとまでつかつかと進み寄り、立ち上がろうとしている男の、その長いコートの裾を股の間で、ガッ、と踏みつけて、 「こうすれば立ち上がれない」  振り返って、にっこり笑った。その言葉のとおり、立ち上がろうとした男は動きを妨げられ、無様にも再び地面に縫い付けられた。  こんな時にでさえマイペースな千十世の座り切った肝に、半分呆れ、半分感心しながら、繁雄は溜め息を吐いた。 「ほんわかするのもいいけど、とりあえず店に帰りなよ。北村さんが待ちぼうけ食らってるよ」 「えっ、でも、ちぃくんは……?」  なずながおずおずと訊く。千十世はいつものように人の悪い笑いを返す。 「僕はこいつを警察に突き出してから行くよ。まさか野放しにはしておけないからね」 「お前……ひとりで平気か?」  不安げな繁雄の言葉に、やれやれ、と千十世は芝居がかった仕草をして見せる。 「僕だってこう見えても男だよ? 変質者の処理のひとつやふたつ、ドンと任されてほしいもんだね」 「せやけどやな……」  言い募る繁雄を遮って、千十世はピッと指差して見せた。その先には和希がいる。 「そこのお姫様が腰砕けになっちゃって自力じゃ帰れないみたいだよ。優しいお兄ちゃんはおぶって行ってあげないとね」  歯の浮くような台詞を、よくもまぁぺらぺらと言えたもんである。そう呆れるとともに、それが、自分によく似た境遇にいるこの少年なりの気遣いであることを悟って、繁雄はそれ以上何も言わなかった。  そしてへたり込んでいる和希の正面に立った。 「な、なんやねん……」  プイ、と目を逸らす和希だったが、その目元は涙の流れた跡が残っていた。  繁雄はくるりと背を向け、そのまましゃがみこむ。 「帰るで」 「なっなによ! そんなんされんでもウチは……!」 「ほーぅ、歩いて帰れるゆうんけ?」  肩越しに、繁雄は挑発的な視線を投げかける。反射的に和希はかみつこうとするも、反論の余地がないことは自分自身が一番よくわかっていた。先ほどから立ち上がろうとしても、腰から下に力が入らないのだった。 「ほら、かっちゃん」 「むう………」  なずなに助けられながら、和希は繁雄の背中に乗った。しっかりと和希の足を掴むと、繁雄は立ち上がり、千十世の方を見やった。 「ほな、先に行くわ……」 「ああ。夕飯は食べに行くよ。ぶっかけうどんがいいな」 「おにいちゃん……」  なずなに手を繋がれた美也が、千十世をじっと見つめていた。  千十世はやっぱり、にっこり笑って見せる。 「美也、シゲと和希のところに行ってなさい。お兄ちゃんすぐ帰るから」  その言葉を聞いて少ししてから、小さく美也は頷いた。  そうして、千十世を除いた一同は公園を後にした。  残った千十世と変質者は、しばらくそのままの体勢でいた。  いや――正確には何とか逃れようと男はもがき続けていた。しかし千十世の右足が――そう、先ほどまでは男のコートの裾を縫いとめていたその足が、今は男の背を容赦なしに踏みつけていた。  体重がかけられていることもあるが、それを差し引いても尋常でない力が、その足にはこめられていた。どう見てもひ弱そのものの少年の体のどこにそんな力があるのかと、男は恐ろしく思った。  そんな男を、千十世は見下ろしていた。常時張り付いているあの笑顔はどこにもなかった。見下すその眼光は鋭利な侮蔑と嘲弄でできていて、ひっくり返しただんご虫のどこからちぎって遊ぼうか、考えている子どものそれに似ていた。 (あー…無理無理無理無理)  千十世の耳には、自分を呼んだ美也の声が残っている。  あの小さな妹が言わんとした言葉を、この兄ははっきり悟ってる。 (あんまいじめんといてあげて、とか、無理に決まっとぉわ……美也)  そして千十世は足を上げた。男は、助かった、と思った次の瞬間、背中とは別の個所に激痛を感じた。  いつの間にか少年は自分の真正面にいて、ニット帽を引っぺがしてその下にある地毛を力任せに掴んで握り、無理やり頭を上げさせてた。  男は少年の顔を見た。  それは残虐そのものだった。 「股の間にぶら下がったそない粗末なブツを、美也に見せて怖がらせた……その落とし前、きっちりつけてもらうで」
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