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プロローグーー夏やで!
夏の日差しが、八奈結び商店街のアスファルトを焦げ付かす。
アーケードもない商店街の通りをじりじりと熱して、向こうを見渡そうとすれば像が姿をゆらりとくゆらす。午後三時を過ぎた頃、涼しい夕風を期待するにもまだ少し遠い時間帯。
それでも微かな風が、どこかの店先の風鈴を鳴らした。呼応するように、あちこちで軽やかな音色が立ち上る。遠くに聞こえる蝉の合唱と相まって、ちょっとした演奏のようになる。
駄菓子屋の主人の小東さんが、うちわを仰ぐ手をゆっくり止めた。ふと見やれば軒先に吊るした小さい『氷』の掛け軸が、ほんの少し揺れて、じきにまた動かなくなる。小東さんは首にかけた白い手ぬぐいで、こめかみから垂れてくる汗をぬぐってから、よっこらしょ、と掛け声をつけて立ち上がった。
もうしばらくすれば、授業を終えた小学生たちが商店街を賑わせに来る。彼らは家にランドセルを置くと、また外へと遊びに繰り出す。その中には、小東さんのかき氷を食べに来る子らもいる。小東さんの皺だらけの手で丁寧に削られた氷は、いちごかレモンかメロンのシロップが掛けられる。どれも子どもたちには大人気である。
小東さんが一日で一番忙しい時間帯へ向けて準備をしようと店先に出ると、果たして一番の常連が、向こうから走ってくるのがぼんやり見えた。頭の上に左右に結わえた髪をなびかせて、いつものように元気いっぱいに駆け回る姿を、小東さんはよく知っている。小東さんだけじゃなく、八奈結び商店街の、誰もが彼女を知っている。
「おぉい、かっちゃん。今日は氷なんにする」
その少女が聞こえるようなところまで来て、小東さんは声を張り上げた。でも少女は足を止めず、小東さんの前を走り抜けた。そのまま顔だけ振り向かせて、笑って見せた。
「今日な、いそがしいから要らへん!」
そして、ランドセルの冠をバタバタ言わせたまま、少女は通りを左に曲がっていった。
笑いながら、小東さんは溜め息を吐いた。あの娘が忙しいなんて言う時には、決まってひと騒動起こるのだった。
大ごとにならなければいいが……ひっそりそう祈る小東さんの耳に、どこかで水打ちする音が聞こえてくる。
まだ始まったばかりの夏が、八奈結び中を照らしている。
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