殺人マンション

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殺人マンション

 部屋の電気のスイッチを押したままのポーズで、雅人(まさと)は硬直していた。良い具合に酒が回っていたが、酔いは完全に覚めていた。驚きと恐怖が同時に雅人に襲いかかるも、そこから困惑へと変わっていった。  雅人は明るくなったばかりの部屋を切願する思いで見渡してみる。小さな本棚の上にウーパールーパーのぬいぐるみが置かれていた。彼女の美咲(みさき)から誕生日プレゼントで貰ったものだった。  彼の淡い期待は呆気なく散ってしまうことになった。どうやらこの部屋は間違いなく俺の部屋らしい、と雅人は渋々認めざるを得なかった。  そうすると、これは一体どういうことなのだろうか。  なぜ、部屋の真ん中で見知らぬ男が全裸になって死んでいるのだろうか。  雅人がそう判断したのは、仰向けの状態でいる男の中年男性特有のたるんだ腹部に包丁が突き刺さっているからだった。そこから血が漏れていて、男を囲うようにして血溜まりが広がっている。目は開いているも、まるで焦点は定まっていなかった。死んでいるのは一目瞭然と言えた。  雅人はこのような不可解を前にしても冷静だった。彼の頭に今沸き起こっているのは恐怖ではなく、いくつもの疑問であった。  この男は一体誰なのか。なぜ顔も知らない中年の男が雅人の家で全裸になって死んでいるのか。他殺か自殺か。一見すると他殺と判断するのが妥当に思えた。だとしたら、なぜ犯人は現場を雅人の部屋に選んだのか。雅人を犯人に仕立て上げるつもりなのか。  殺人現場が雅人の部屋である根拠は廊下などに血痕が残っていなかったからだった。犯行が他のどこかなら、死体をここまで運ばなければならなく、あちこちに血の跡が付いているはずなのだ。犯人がそれを消したとも考えられるが、今はその意図の理由が思いつかなかった。  そして一番謎なのは、部屋が密室だったことだ。間違いなくさっき雅人は鍵を開けて、この部屋に入ったのだ。窓も確かめたが完全に施錠されている。それにここはマンションの六階で人が簡単に登って来ることは出来ない。合鍵も美咲に作ってくれと頼まれたが、それを断ったので持っていなかった。よって、この部屋に入れるのは雅人とマンションの大家である山口という男以外不可能なはずなのだ。  それにも関わらず部屋に侵入されていて、その上、人が一人死んでいる。死体の皮膚の冷たさと血の塊具合から死後五時間以上は経っているだろう。雅人が仕事で家を出たのは十時間前だった。  他人の家で他人が全裸の他人を殺すとはどういう状況だろうかと考えながら、雅人はこの奇妙な事件を警察に連絡しようと携帯を作業ズボンのポケットから取り出した。壁紙は雅人と美咲の笑顔のツーショット写真だ。その画面に23時41分と表示されている。雅人は通話アプリを開き、キーパッドで1をタップした。その瞬間に雅人は重大なことに気づいた。  彼は前科持ちだった。高校時代に同級生の女を三人殺めていた。少年院に送致されると前科はつかないらしいが、世間はそう簡単に見逃してはくれないだろう。少年院を出てまだ一年も経っていない雅人が警察に連絡して、この状況を彼らたちが見れば、まず間違いなく雅人を犯人候補に挙げるに違いなかった。  雅人は画面の上で静止していた指をそっと下ろし、スマートフォンをズボンのポケットに戻した。そのあと彼は死体の両足を持ってクローゼットまで引きずり中に入れると、血で汚れたフローリングの床を掃除した。死体をどう処理するかは、また明日考えることにした。  いきなりどっと疲れが溜まったみたいで、雅人はベッドに寝転んだ。目を瞑り、最初に頭に浮かんだのは美咲の笑顔だった。  仕事が終わり、帰路に着いた。時刻は二十二時を回っていた。今夜は先輩の飲みの誘いを断ってきた。死体の件があったからだ。美咲からメールが届いていたが、それどころではなかった。  マンションの六階に着き部屋の前まで来たが、まだ雅人は死体処理の良い方法を思いつかないでいた。鍵を開けて、中に入る。靴を無造作に脱ぎ捨て、短い廊下を歩いてから部屋の電気のスイッチを入れた。  蛍光灯が部屋を照らした瞬間、雅人は思わず「うわっ」と声を上げていた。尻餅までついてしまった。俄に信じられない光景がそこにあったからだ。  また、見知らぬ男の全裸の死体が横たわっていた。  ――嘘だろ……。  雅人にとってこの衝撃は昨日より遥かに大きかった。彼にも何故か分からない。二夜連続同じことが続いたことの奇妙さが昨夜の驚異を上回ったのか。それを裏付けるように彼の心を支配していたのは困惑ではなく恐怖だった。  死体の状況は昨日と全く一緒だった。死んだ男は中年だが、昨日の男と違って痩せ細っていた。同じように腹部に包丁が刺さっていて、血が男を取り巻いている。そして部屋はやはり密室だった。  全く頭が追いついてこなかった。思うことは犯人は同一犯だろうということだけだった。その犯人の目的が分からない。雅人に全裸の死体を見せつけて何がしたいのか。単なる嫌がらせにしては度が過ぎていた。  とりあえず雅人はまた死体をクローゼットに入れようと両足を掴んだ。当然、ひんやりとして冷たかった。雅人はそれを引きずりクローゼットの前まで行く。彼は油断しきっていた。雅人は何の覚悟も無しにクローゼットを開けた。  雅人の悲鳴は唸り声に近かった。叫びながら彼は後ずさりした。頭の中はこの場にそぐわないくらい真っ白になっていた。それほど目の当たりにした現実が明らかに常軌を逸していたのだ。  昨夜、雅人が入れた死体はクローゼットから綺麗さっぱり消えていた。それだけなら雅人は悲鳴など上げなかっただろう。本当に恐怖を覚えたのは、そこに代わりにあった死体だった。  美咲の全裸の死体だった。座るようにして死んでいる。これまでの死体通り、腹部に包丁が刺さっていた。口からは血がぽたぽたと落ちている。今までの美咲を知っているからこそ、彼女の生気を漂わせない顔に悍ましさを感じた。  雅人は気づくなり部屋を飛び出していた。マンションを出て、雅人は何かに怯えるようにただひたすら走り続けた。人とすれ違う度に異様な目を向けられたが気にしてる暇などなかった。  しばらくそうしてから公園を見つけた。マンションから離れた場所だった。夜の公園には誰もいない。ベンチがあったので、雅人はそこに腰をかけて息を整えた。徐々に平静も取り戻していた。  ――美咲……。  さっきの美咲の死体がそのまま頭に焼き付いている。雅人はそれを振り払うかのように頭を振った。そこで一つ思い出したことがあった。  雅人はポケットから携帯を取り出す。通知に美咲からのメールが表示されている。雅人はそれを開いてみた。 『助けて』  メールを閉じ、壁紙の美咲を見ると、途端に涙が溢れてきた。  朝になっていた。いつの間にか眠っていたようだ。雅人は頭を整理してから、自分のマンションに帰るために歩いた。  冷静になってみると、事件に関して思い当たる節があった。過去に雅人が三人の女を殺めた事件と今回との関係性だ。死体状況がとてつもなく似ているのだ。雅人は三人の女をナイフで刺し殺してから、羞恥を世間に晒すために全裸にして教室に放置した。そうしたのは美咲のためだった。美咲はその三人の女からいじめを受けていたのだ。その復讐だった。  もし今回の事件の犯人がそれに似せたとしたら、部屋に帰っても新たな死体が置かれていることはないと思えた。もう既に雅人は三人の全裸の死体を目の当たりにしているのだ。だから今マンションに帰っても、部屋の中身は何一つ変わっていない。そう信じたかった。  そしてある疑問が必然的に浮かび上がってくる。事件を似せたとしたら、犯人は雅人のことを知っていることになる。一体誰だ。なんのためにこんな真似をしているのだ。  色々と思考を巡らせているうちにマンションに着いてしまった。六階まで上がり部屋の前まで行くと、鼓動が早まっているのを感じながら扉を開けた。鍵は閉まっていない。昨夜飛び出した時はそれどころではなかったのだ。  廊下の先から光が漏れている。昨日、電気を付けっぱなしで出て行ったことを思い出した。  雅人は短い廊下を進んでいく。部屋の前で唾を飲み込んだ後、中を覗いてみた。  雅人はその場に崩れるようにしてしゃがみ込んだ。しかし、それは安心から来るものではなかった。  とてつもなく異様な光景だった。  大家の山口が美咲の死体を使ってセックスしていた。
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